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今日からお仕事再開

おはようございます。
ふじ夫です。

昨晩宮城より東京に戻ってまいりました。
風呂に入れなかったのでかなり髪の毛ぺったーとなってました。若さゆえ代謝がいいのが憎い。

石巻といっても、場所によって全然風景が違って、天と地ほどの差がありました。

我が家は、川に近かったので、大量の泥を一階に置いていかれてました。
30cmくらいかな?
これがなければ大分片付けも早く終わるんでしょうが、如何せん足の悪い年寄りの母と、最近無理して腰を痛めた年寄りな父と、腕力自慢だけど運動不足で腰が弱い娘では中々進まない。
腰がくがくになりました。
無理して体壊してもあれなので、後日続きはボランティアをお願いしてくると言ってました。

ライフラインは未だ全滅なので、せめて水が出てくれると助かるんだけどなぁなんて。
泥をね、ほら吹き飛ばしてさ。

祖母のことはまた次の機会にでも。

実家に帰ります。

実家の祖母が亡くなりました。
不幸中の幸いで、火葬してもらえることになったので、見送りに実家まで行ってきます。
ずっと一緒に暮らしてた祖母との思い出は沢山というか、祖母の存在があたりまえ過ぎてなんだか現実として受け入れられてないようです。

先に今日から行ってる親戚曰く、我が家の周辺は涙さえ出ない状態なので心してくるようにと。

だったら尚更行かなければと、気持ちを奮い起こし行ってきます。
向こうの人達の迷惑にならないように色々準備したし、配れそうなものも用意したし、いざいかん石巻。
しかしスゲー荷物になってしまった。

我が家の生命力の強さには驚きです

どうもこんにちわ。
家族から一番若くて、見た目も強そうなのに一番貧弱だと評判のふじ夫です。

両親と携帯電話ですが、連絡とれるようになったので、毎朝体調確認の電話をしているのですが、流石戦争経験者と言うべきか、逞しいです。
私が来たら汚い!って騒ぐからくるなと言われました。

こんな状態なのに、毎日排便して健康に暮らせてる。軟弱な若者とは違うから汚くたって平気と母は笑っていました。

電気もガスも水もないけど、灯油ストーブわけて貰ったから、温い食べ物も食べれてる。
なんたってお母さんは料理上手だからと父はのろけてました。

もうお店は再開できないだろうって話したけど、植物状態で入院していた祖母が、まだ辛うじて命を繋いでいて、石巻を離れることはできないと。

祖母が亡くなった時、お墓に入れてあげられない可能性はあれど、きちんと見送ってあげるのが、家族であり、息子である父の役目だと、そんなこと言われたら、落ち着くまで東京に来てほしいだなんて言えないよ。

祖母の件が解決した時に、こちらにきて貰えるように、こっちで仕事を頑張るしかないんだろうか。

平気だから、大丈夫だからって言うけど、戦時中とは違って両親はもう70代だし、私に心配させないように言ってるであろうことは明白で、心配です。

早く私も向こうに行って、片付けの手伝いを一緒にしたいです。
あの見慣れた景色がなくなっているなんて、あんなにのんびりした田舎町だったのに、一人で歩けないような治安になっているなんて、未だに信じきれない自分がいます。

地震だけなら被害は少なかったはずなのに。
なんで津波なんて…。

あ、実家の犬を両親が食べてないか、リアルに心配になってきました。

みんななくなっちゃった

私の実家は宮城です。
沿岸部です。

今すぐかけつけたいのにかけつけられない。
連絡とりたいのにそれもできない。
ニュースから流れてくる情報以外なにもわからない。

あそこには市が、町が、村が、街があったのに。

みんな流された。
焼き尽くされた。

ただただ無事を祈るばかりだけど、早く私をそっちに行かせて欲しい。
危ないのなんて、わかりきってる。
それでも行きたい。
無事を信じてるから、会えるまで泣かないって決めてるけど、不安でたまらない。

今、自分の危険を省みず救助にあたってくれている人達には、本当に、本当に、心から感謝します。
気をつけて、皆をよろしくお願いします。

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