憂ちゃんや鳴狐なんかは延命措置や救護活動を選ぶけど、朔夜はそれが嫌いみたいです
本編でもこんな話が出てくるんです
『二度と目覚めない肉体は、生きているか?死んでいるか?』
先に言った憂や鳴狐は『生きている』と感じるのだと思う
細胞の1つが、その存在が生きている
今は覚醒させる事は出来ないが、未来には希望を持つ事が出来る
その存在を思う人が居る限り、希望を維持する
朔夜はそれに反対する
それは既に同じ人物として生きる事は不可能
本人の意志に添わず、身勝手に生きさせる苦痛
それに伴う、周囲への幻想的絶望の付与
細胞では無い、生命への侮辱行為
きっと感覚的に無理な延命措置は死姦に似てる位置なのでしょう
通常ならば死姦は生命の侮辱行為ととられるかも知れない
朔夜から見れば、死体は美しい存在であって、無理矢理『生』に縛り付けているモノは醜いと
どちらとも言わないのがシーク
ビジネス的に生かす処置は施す
けど、その状態は些か滑稽で無様とも思う
どれも正しくは無いね
間違いとも言わないけどさ
常々思うのは、根本的処置は施されない事
何か災害とかが起きると募金を促す
物資の援助やボランティアが動き出す
素晴らしい人類愛だ
でも、一過性の処置だ
いくら『救済』に回っても『災害』や『戦争』は止まない
やれ『世界平和』だ『人権を守る』だって言っても価値観や理念が全然違うのを1つの枠組みに填められないだろう?
いっそ全ての国なんて撤廃して『地球国家』として1から教育と言う名の洗脳調教でもしないとね
それでも感情が邪魔をして争いは起きるだろうから、無駄かもね
シークは言う
「それぞれが相容れない別な存在って割り切って生きた方がマシだよ」
って
でも綺咲とかは
「みんな、話し合えば解り合えるかも知れない」
って思ってる
つまり『全部の願いは叶わない』んだ
3つの願いは共存しない
だから1つが総取りで願いを叶える
あるいは2つが妥協点を見付けて1つを出し抜いて願いを叶える
世の中『善』『悪』で割りきれないでしょ?
単純に『利益』を皆求めてる
それは複雑に絡み合って、共倒れしたり捻れたりしてる
「こんな筈じゃ無かったのに!!」
膝を着いて叫んだ彼みたいに
世界は優しく残酷に、誰かの欲望で動いてる
そしてそれは、全部人間の『エゴ』でしかない紛い物だ