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5回目の手術B〜手術を迎えて終えるまで〜


私は覚悟を決めていた。

だけど、父は動揺してたし、揺らいでたと思う。。。
                                                                                                    
手術室に入ったら私が生きて出て来ないかもしれない。

それを受け入れて覚悟することは

父にとって、そんな簡単なことではなかったみたい...


それに、すごく焦ってた。

手術するなら一刻も早くしないと

モタモタしてたら手術したくてもできない状態になるんじゃないかって。。。


 私は嫌な予感がしてた。

父は昔、病気のせいで鬱病になって、抗うつ剤を飲んでた時期がありました。

薬を飲まなくていいまでにはなったけど

その後も何かのきっかけでヤケになって、自暴自棄になって

「もう死んだらいい」とか言って...

私の手には負えないくらい精神的にオチる時があって...

『本当に鬱は治ってるのかな』って思うことが何度もあったんだ。                                               
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         だから、今回もこんな進まない状態で

今どうなって、どこまで話がいってるのか何も分からない状況で

どんどん悪くなっていく私の姿を見続けて。。。

不安とか苛立ちとか、怒りとか恐怖とか

そんな感情を一人抱えて。。。

それで夜になって病院から帰って

民宿で一人色んなことをずーっと考えてたら。。。


絶対また鬱が出る。。。

そう思ったんです。

そしてそれは、近いうちに現実になるんですけど...

 


あの手術の説明から1週間ぐらいたった頃。

若チャンが来て、私の手術に必要な科の先生たちが集まって

話し合いをしたことを教えてくれた。

今回の話し合いの結果としては。。。

やっぱり参加するかどうかは言葉を濁してて

とりあえず、『もっと情報がほしい』って言われたらしい。

だから、もう少し詳しくCTを撮るのと、

腫瘍を生検して、デスモイドか確認してほしいって言われたらしい。

その結果を見て、もう一回話し合いをするって。

 



あはは。

今さら生検とか、デスモイドかとか...笑っちゃうよね。


若チャンが帰った後、一緒に話しを聞いていた看護師さんに。。。

「まだ決まらなかったかぁ(f´▽`)」って笑って言った。

「いつになったら決まるんだろう。。。

それに、おかしいよね。。。

だって私が入院してから他の科の先生誰一人として会いに来てないんだよ?

検査のデータとか情報とかほしいのは分かるけど。。。 

それもすごく大事だと思うけど。。。

それより私や家族の気持ちの方が大事なんじゃないのかな。。。

どうして検査とか生検の結果より、そっちを知ろうとはしてくれないんだろう。。。」

思わずそう言って泣いてしまった。


手術への決意は揺らがない。

それに変わりはなかったけど、でも...

もぅ...辛くて、苦しくて、空しくて、悔しくて

しんどくて、やるせなくて、哀しくて。。。

色んな感情がぐちゃぐちゃになって溢れてしまってた。。。

こんな状態になって、人前で泣いてしまったのは二回目だった。

こんなに人前で泣くなんて自分でも信じられなくて...

でも、それだけ色んなことが不安で、キツくて...

心が疲れてた。

看護師さんはそんな私の手を握って

「本当にそうだね。

これからはもっと我慢せずに、そうやって思ってることを吐き出してほしい。

我慢強いとこ、みっちゃんのすごいとこだけど、それではパンクしちゃうから」

って言ってくれた。

その言葉と手が優しくて、私はまた泣いてしまって、

看護師さんは私が落ち着くまで傍にいてくれました
 

ちょっと泣いて、思ってることを聞いてもらったら少し楽になって

『よし。まだ頑張れる』って思った。

だけど、父は違った。

メールで若チャンから聞いたことを伝えたら

『もう無理だ』って返ってきた。

『もういい。パパはもう無理。

これ以上決まらなかったら手術できないで終わるよ。

ただ死ぬのを待って終わりだ。

パパはそんなあんじゅの姿見ていられないから、

先に死んで待ってるから、お姉ちゃんたちに看取ってもらって。

パパは先に行って待ってるから』って。。。

恐れてた鬱が出てしまったんです。


メールでやり取りをしてたけど、返ってこなくなって

このまま放っといたら父はもう、本当に病院に来なくなるって思った。

だから、どうしても今電話をかけなきゃって思って看護師さんにお願いをした。 

「もう23時過ぎてるし、看護師が三人しかいなくて。。。

明日じゃダメなの?」

返事がそうなのは分かってた。

無理は言いたくない。

だけど、これだけは譲れなかった。

電話すら自分一人でかけに行けないことが悔しかったけど

今の私は頼るしかなかったから。。。

必死にお願いしてエレベーター前の電話BOXまで連れてってもらった。


電話に出てくれるか心配だったけど、なんとか出てくれた。

メールと同じようなことを繰り返す父に私は

思いつく限りのことを言って説得しようとした。


「もう1週間だけ待って。それでダメなら私も諦めるから!」

「お姉ちゃんに診てもらえばいいって言ってるじゃん。

パパはもう無理だしイヤだって...」

「お姉ちゃんじゃダメなの。

同じ病気で、私の辛さや痛み、不安も全て

言わなくても分かってくれるのパパだけなの。

パパがいるから頑張れるの。代わりなんていないの!」


そんな会話を1時間ぐらいしただろうか。。。

何とか明日は病院に来てくれるって約束してくれた。

そこでちょうど、交代した深夜勤の看護師さんが迎えに来てくれて

部屋まで送ってくれながら。。。
      

「お父さん、大丈夫でしたか?」

「なんとか

ありがとうございました。ワガママ聞いてくれて。。。」

「またいつでも言って下さいね夜中でも大丈夫ですから」

そう言ってくれたのが嬉しかった。


車椅子では扉が閉まりきらなくて、きっと会話は筒抜けだったと思う。

でも、あえてそこには触れず、優しく気遣ってくれたことが嬉しくて。。。

本当にここの看護師さんたちはいい人たちばっかりだなって
 
実感しっぱなしの一日でした


そして次の日。

朝一番に来てくれた父の顔を見るなり私は泣きじゃくってしまった(>_<)

色々、なんて言おうか考えてたけど。。。

そんなのは全部ふっ飛んで

ただ泣きじゃくって。。。

「パパがいなきゃムリだょ。。。」って。


お恥ずかしい話ですが

あとから聞いた話、これが一番効いたらしいので

人前でたまには泣くのもいいのかなって思ったりww


それから言われた通りCTと生検をした私は、また父と二人。

根気強く...でも、あんまりそればっかり考えないように

結論を待ちました。


でも。。。ここでまた問題が(>_<)

父がイレウス(腸閉塞)になってしまったのです(>_<)


まぁ、幸い病院だったし。。。

もう何度もイレウスになってるので感覚的に自分で分かるようになってる父は

早めに救急外来に行き

いつも通り痛み止めの処置をしてもらいました。

おかげで二泊三日の入院と絶飲食の軽症ですんだ父は

次の日病院のパジャマ姿で点滴ついて

私の病室までお見舞いに来て

看護師さんたちを驚かせていましたが(´∀`)www


でも、きっと原因は極度のストレスと、ずっと私についていること。

そして往復の坂道なのは間違いなくて。。。

父の体も限界に近いことは明らかでした。




そしてようやく結論が出ました。

7月13日のことでした。


結論から言うと、手術はできることになりました(≧ω≦)


だけど...結局 手術に参加してくれる科は耳鼻科以外に皮膚科と麻酔科の二科。

緊急入院してから19日目...

色んな検査をして、2回の話し合いを経て...

手を上げてくれたのは、本当に手術する為の最低ラインの科だった。
 


でも、それでもよかった。

私には手術できるって事が何より一番大事だったから。


もちろん、最低限の手術しかできない。

本当に今回大きくなった、あの腫瘍だけ。

それも成功する確率は限りなくゼロ。


だけどね、手術できるって決まった瞬間ホッとした。


余命宣告を受けて、不安と恐怖でいっぱいで

正直、毎晩のように泣いてた。。。


だけど、そんな感情が嘘のように消えたんです。

いい意味で、腹が据わったって言うのかな。

「死」を受け入れることが自然にできて

覚悟もできて。

それと同時に「生きる」ことへの執着心が生まれました。

だから遺書もちゃんと書くことができました。

お父さんと、お姉ちゃんと、心友宛に。。。

きっと

「ちゃんと」っていう言い方はみんなからしたら違和感があるかもしれないけど

私は、「死」を受け入れたからこそ

逆に遺書を遺せたんだって思うんです。


どう説明すればいいのか分からないけど。。。

「死」を受け入れられなかったら、そんな余裕なかったと思うんだ。

自分の思ってること、伝えたいことをまとめることなんてできなかっただろうし

きっと、そんなことすら思いつかなかった。

自分が死んだ後のことを考える余裕ができたからこそだと思うんです


まぁ、こんなことがなければ私も分からなかったと思うんですけどね

「死ぬかもしれない」って思うから遺書を書くんだと思ってたし

「死」と「生」は相反するものだって思ってたから。。。


でも、今回のことで私は

きちんと「死ぬ」ことを考えられるから

「生きる」ことへの強い執着心が生まれるんだって知りました。

そして冷静に、自然に「死ぬ準備」ができたから

「生きる」ことだけ考えられたんだって。。。




そして、19日に高知から心友が来てくれました。

私が個室から出るまで、父と交代で私に付いててくれるために

仕事も休んで。。。


仲のいいボラ友たちも何回もお見舞いに来てくれた。


お姉ちゃんや、お父さんも傍にいてくれた。


「死」を受け入れた上で「生きる」ことで

私には自然に余裕が生まれて。。。

手術日まで、みんなと穏やかに笑って過ごすことができた


手術の前々日に血管造影をして

手術前日には1Lの輸血をした。


そして、手術当日。

お父さんと、お姉ちゃんと、心友の三人が手術室に入るのを見送ってくれた。


「行ってらっしゃい」って言ってくれたから

「行ってきます!」って返した

 
そして、2011年7月22日。

私は手術をしました。

結果…私は生きてます
 

言わなくても分かってるだろうケドwww
 

手術時間13時間。
 

問題の麻酔も1時間半くらいかかったけど、無事に乗り越えて…
 

輸血は約4L。
 

全身の血を入れ替えるほどの出血をして…
 

一度は危なかったみたいだけど…なんとか乗り越えて…
 

私は、みんなの所に帰ってきました

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