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5回目の手術@〜余命宣告〜


2011年。

この年は私の運命の年でした。

この手術が成功しなければ…というか、そもそも手術ができなければ…。

私は今、ここにいなかった。



始まりは4月...。

左首の腫瘍の上にできた小さなかさぶたでした。

ある日、そのかさぶたに爪が引っ掛かって無理に剥がれてしまって...(>_<)

最初は笑ってた。

私も、お父さんたちも。

下の写真みたいに、かさぶたになったり、また傷になったりを繰り返してたけど...。




「腫瘍の上だから治りが悪いんだ」って思ってた。

でも、そのうち傷から腫瘍が出てきて...みるみる大きくなっていったんだ

それはもう、生き物のように...あっという間に...


テレビのリモコンと同じくらいの幅になり...

ソフトボール大になり...

顔と同じくらいになり...

あっという間に顔の2倍以上の大きさになっていった...。

その時の写真がコレ

※あまりにも衝撃的な写真です。皆さんの想像をはるかに超えていると思います。グロテクスなものが苦手な方は見ないようにして下さい!!万が一気分が悪くなったりしても責任は取れませんので申し訳ありませんがよろしくお願いしますm(_ _)m※

 http://blogs.yahoo.co.jp/anju135wing/45806482.html


主治医も私達も、デスモイドという腫瘍の恐ろしさを改めて感じ

そして、ただただその成長が止まるのを祈るしかない無力さにうちひしがれてた...。

でも、そんな祈り通用するハズもなく...

皮膚がない状態の腫瘍からは血液とか浸出液が常に流れ出る状態で

毎日のガーゼ交換が絶対になった。


1ヶ月たつ頃には、お風呂に入ることが困難になりました...。

だけど、なるべく清潔にしなきゃいけないから可能な限り入るよう努力した。。。

けど、死ぬような思いだった...。

左手は元々、麻痺や胸〜背中にかけての腫瘍のせいで動かしずらかったのに

今回の腫瘍が邪魔して さらに動かせないから何をするにも右手一本。

髪を洗うのに上は向けないし、

下を向くと腫瘍の重みで皮膚や組織が引きちぎられそうな感じがして

激痛が走って耐えられなかった...(>_<。)

太ももや手で支えていたから何度洗っても、すぐ血がついた。

お風呂から出て体を拭いていると血が流れて体もマットもすぐ血だらけ...。

なかなかお風呂から出ることができず、

色んな意味でお風呂から出るといつも疲れ果ててた...(>_<。)


でも、一番キツかったのは…鏡に映る自分の姿だった...

変わり果てた自分の姿...

この世のものとは思えない…醜い化け物となった自分を見るたびに

溢れ出る涙を止めることはできなかった...



最初はお父さん一人でできていた毎日のガーゼ交換も次第に難しくなっていって...

近くの病院で交換してもらったり、

お姉チャンに手伝ってもらわなきゃいけないほどになっていった


そのうち左肩〜左手にかけてむくみが出だして、

常に8度〜9度の高熱が続くようになった...。

恐れていた感染が起こってしまったんです...。

あまりのむくみの酷さで動くことが辛くなって

どうにもならなくなって若チャンに手術ができないか相談をした。

...だけど、あまりの腫瘍の巨大さに大量出血の危険性がある事と

成功率の低さが理由で手術は反対された...。


予想はしてた...。

この腫瘍の怖さを誰より知ってるから...

でも...だからこそ私達の口から「手術」の一言が出てくるのが

どれほど切迫していたかを物語っていると思う...。


だけど...若チャンの口からは

「僕は反対。やりたくない」の一言で...

それはつまり、どういうことかなんて考えなくても分かることで...

そんな あまりに辛い状況に...

「じゃあ、どうしたらいいの?今のまま生きていくしかないの?」って泣いてしまった...。

若チャンの前で泣いたのは、後にも先にもコレ一度きりです。

人前で泣くことは苦手で...めったになくて...

だけどもう私には...涙を止める理由も方法も分からなかったんだ...。



どうにもならない現実...。

若チャンと一緒にずっと看てくれてた看護師サンが優しく肩をさすってくれたから...

それが余計に涙を止められなくした。。。

本当は早く止めたかったんだけど...

その涙が若チャンを責めてるような気がして...それがイヤだった...。

ずっと診てくれてた若チャンだって辛いのは分かってたから...。



それからは、現実を受け止めて何とか生活をした。

諦める事は得意だったから。。。


でも、何もできないのに絶対必要なガーゼ交換。

本当に大変で、それだけで1時間半くらい時間が必要で...

私はもう、お父さんやお姉チャンに迷惑をかけるだけの存在でしかない気がした。

抗生剤を飲んでも下がらない8度の熱が辛くてしんどくて...

腫瘍の重みとむくみのせいで思うように動けなくて、一日中座って過ごした。

そしたら自分が人形のように思えたりして。。。

テレビを見ても、みんなとおしゃべりしてても笑ったフリをしてるだけ。。。

心から笑うことも、楽しいもなくて

ただボーっと。。。座ってた。

『どうせもう死ぬのを待つだけなんだから早く連れてってくれたらいいのに。

もう、少しでもみんなの負担になりたくない』

そんなことをただ考えてた気がする...


正直、このときらへんの記憶はあんまりなかったりする(>_<)

高熱のせいでボーっとしてたからかもしれないし

無気力だったせいかもしれない。


その中でも一番考えられるのは『意識障害』

この頃の私は、よく意識がなくなるようになってたんです。

それは本当に眠るように。

だから本当に最初は意識障害と分からなくて

ただ熱やダルさ、疲れのせいで眠ってしまってるだけだと思ってたんです。

でも、自分では『眠たい』なんて感覚はなくて

ただ気付いたら寝ていた...っていう状況や、

父が、私がそうなる前に必ず白目をむいていることに気付いたこと、

さっきまで眠たい素振りも見せてなかったのに気付いたら眠ってること。

それはテレビを見ていても、誰かと会話していても。。。

1日に10回前後は必ず起こるようになっていました。

それが感染のせいで起こっていたのか何なのかは今だに分からないんですけど(>_<)


なので、この辺からは私のかすかな記憶と父から聞いた話を基に書きますね


6月21日、耳鼻科診察日。

腫瘍外来で半年ほど診てもらったW先生が転勤することを聞かされました。

そして、その場で引き継ぎの先生を紹介されました。

それがI先生との出逢いでした。

患者さんでも誰でも敬語で優しく丁寧に話す、ものすごい腰の低い先生で。。。

腫瘍専門のお医者さんのくせに「デスモイド腫瘍をあまりよく知らない」なんて言うから

その言葉と、あまりにお医者さんらしくない物腰柔らかな雰囲気が

頼りないように感じて第一印象はちょっと不安でした(´∀`;)w


でも、そのI先生が一言。

「手術の方向で考えていきましょう。僕もデスモイドの勉強をします。

一緒に頑張りましょう」って言ってくれたんです。


嬉しかったぁ。

簡単な道のりではないし、上手くいくかも分からないけど

『手術できるかもしれない』ってことが。。。


単純かもしれないけど

たったそれだけのことで、また『頑張ろう』って思えた。

まだ諦めなくてもいいって事が、ただただ嬉しかった


それから、とりあえず7月14日に手術の予定を入れた。

その2日ぐらい前に入院して14日に手術。。。

本当に“とりあえず”ですけどね


まだI先生もデスモイドを勉強しなきゃいけないし

どう手術を進めようかとか。。。

他の科にも協力を要請しなきゃいけないし。


でも、それらが上手くいったとして 。。。

それから手術室を押さえようと思っても、さらに1ヶ月後とかになってしまうから

とりあえず押さえとこうってことになったわけです。


そんなに待っていられる余裕なんて私にはもうなかったから。。。


これより少し前。

私は若チャンから余命宣告を受けていたんです...

「このまま何もできなかったら年は越せないと思う」って...


つまり、余命半年ってこと。。。なんだよね?

テレビでよく見る通り、本当にあんまり実感もなく。。。

でも、そんなに抵抗もなく。。。

本当に“ストン”って受け止めた感じだった。


「あぁ。そっかぁ。。。」って。


だから余計にI先生の言葉が嬉しかったのかな。

 
若チャンにも、I先生が「手術の方向で...」って言ってくれたことを伝えたら

最初あれだけ反対してた若チャンが

「みっちゃんが決めたことなら僕もできる限りのことするね」って言ってくれて。。。

すごく嬉しかった。


だから、どんなに大変でも最後まで諦めずに頑張ろうって思った。



でも、手術までの道は本当に大変でした。

私たちはもちろん、先生たちでさえも予想できないスピードで

事態は急激に悪化したから。。。


それは、耳鼻科診察日からわずか3日後の事。

目が覚めると左足が動かなくなってたんです...

何の前触れもなく、突然に...

その日は、壁伝いと父の手を借りてようやく歩いていたのに...

その次の日には右足まで動かなくなってしまって。。。

歩くどころか、立つことも出来なくなって...

一人でトイレにも行けなくなった私は救急車で運ばれて、そのまま緊急入院した。

6月25日の事でした。


*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*


長くなってしまったので、今回はこの辺で一度終わりますね〜

読んでくれてありがとうございました

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