不気味な、冷たい風が吹き抜ける。
長い黒髪の少年は周囲を見渡して、まばたきをする。
漆黒の瞳に灯るのは、戸惑いと不安の色。
「……此処、何処……?」
彼……ペルは小さく呟いた。
その声に応えるものは無論なく、静かな木立を冬の風が揺らしていくだけだ。
自分はいったい何をしていたんだっけ。
自分はどうしてこんなところにいるんだっけ。
ペルは、そう考えた。
そして、思い出す。
そうだ、自分は大好きな友人たちの任務についていって……
ついていって……それから?
そこから先の記憶が酷く曖昧だ。
いったい、どうしてだろう?
ともあれ、此処に棒立ちでいる訳にもいかない。
そう思いながら、ペルは歩き出した。
「森の、なか……」
ペルはそう呟きながら足を進める。
パキッと木の枝が折れる音が響いた。
此処は、何処だろう
ペルはそう思いながら周囲を見渡す。
そして、小さく呟いた。
「……知ってる、とこじゃない……」
見覚えがない。
森の奥は、彼の住処があるような場所出もあるけれど、この森は、違う……
見覚えが、なかった。
「どうしよ……」
途方にくれた様子で彼は呟く。
見覚えのない場所。
どうして此処に来たのかもわからない。
此処は、何処?
そして彼ら……シュタウフェンベルクやヘフテンは何処?
ペルがそう思いながら足を止めた、その時。
「誰かそこにいるのか?」
不意に聞こえた声にペルはビクッと体を跳ねさせて、止まった。
それと同時に木立からひとつの影が現れる。
ペルは警戒して身をこわばらせた。
「っ……」
「子供……?」
出てきたのは、黒髪の少年だった。
少し驚いたように青い目を見開いている。
その姿を見て、ペルも驚いた顔をした。
「!シュタウフェンベルク……」
小さく、その名を紡ぐ。
木立から現れた少年は、ペルが兄と慕っている彼……
シュタウフェンベルクそっくりだった。
"そっくり"というのは、幾つか違う点があるから。
顔立ちはほぼそのままだし、声も聞き覚えがあるそれだけれど、
大きな違いが、目に見える限りでも二つある。
両目、両腕があるのだ。
ペルがよく知る彼は、隻眼隻腕だというのに。
驚いたのは相手も同じようだった。
短い黒髪の彼は目を見開き、ペルを見つめる。
「え……なぜ、私の名前を……?」
あぁ、やはりそうだ。
ペルはそう思った。
やはり、シュタウフェンベルクであっているのだ、と。
けれど。
「…………」
どうして名前を知っているのか。
それは、答えることができない。
だって……何をどう説明していいのかわからないから。
両目、両腕が揃っているということは、恐らく今目の前にいるのは過去の彼。
そんな彼に、"現在の彼"を知っているなんていったって、
信じてもらえるかわからないし、説明するのもなんだ。
黙っているペルを見て、シュタウフェンベルクは首をかしげる。
そしてフッと息を吐き出すと、呟くような声でいった。
「……まぁ、いい……近くの村の子か?」
その問いかけにもペルは答えない。
近くの村?
ここが何処であるかわからないと、なにも答えられない。
「家は?」
シュタウフェンベルクは質問を重ねる。
ペルは相変わらず答えないままだ。
「じゃあ、親は?はぐれたのか?」
その問いかけに、ペルはゆっくりと首を振った。
親は、いない。
強いて言うなら保護者がわりがシュタウフェンベルクがそうだが、
それは今目の前にいる彼ではない。
「…………」
黙り込んだまま俯くペル。
それを見つめて、シュタウフェンベルクは少し困ったような顔をした。
「困ったな……」
親がいない。
そう答えたことで、彼はペルが捨て子かなにかと思ったらしい。
それでは何処かに送っていくこともできないし、
例え送り返したところで、同じ子とになってしまう未来が見えた。
どうするか暫し悩んだ後、シュタウフェンベルクは小さく息を吐き出した。
そして、ぽんとペルの頭に手をおいて槍ながら、言う。
「とりあえず、一人でふらふらしていては危険だ。
私と一緒に居ればいい」
その言葉にペルはパッと顔をあげる。
「!ほんと……?」
「あぁ。放っておくわけにもいかないからな」
一人でふらふらしていたら、魔獣に食われてしまうかもしれない。
それに何より……心細いだろう。
そう思いながら、シュタウフェンベルクは優しくペルの頭を撫でた。
「大丈夫だ」
「……ありがとう」
ペルはほっとしたように息を吐き、体の力を抜く。
緊張を解いた彼を見て少し表情を緩めると、
シュタウフェンベルクはペルに問いかけた。
「そういえば、名前は?」
「ペル……」
ペルは短く答える。
それを聞いてシュタウフェンベルクはまばたきをした。
ファミリーネームを名乗らない。
それで訳ありだとある程度悟ったらしい。
「ペル、か……私は、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク。
……困ったことがあれば、いってくれ」
力になるから。
そういう彼を見て、ペルは黒い瞳を細めた。
「……シュタウフェンベルク」
ペルは小さな声で彼の名前を呼んだ。
それと同時。
近くで、銃声が響いた。
「……っ」
ペルはびくりと体を強張らせた後、シュタウフェンベルクに飛び付く。
唐突な衝撃にシュタウフェンベルクは驚いた顔をした。
「わ……」
ぎゅうっとしがみついてくるペル。
シュタウフェンベルクは彼の様子に幾度かまばたきをした後、そっと彼の背に触れた。
小さく、震えている。
「銃声は苦手か……
いや、平気でいられる子供の方が珍しいか……」
よく考えればそうだよな、と彼は呟く。
その実、ペルは過去が過去だからいっそう銃声が苦手なのだけれど。
シュタウフェンベルクはそっと彼の背を撫でる。
宥めるようにそうしながら、彼は優しい声でいった。
「大丈夫だ。
あれは味方のものだし、お前に害はない……大丈夫」
大丈夫、大丈夫。
彼は何度も何度もそういった。
ペルの体の震えが止まるまで。
「……落ち着いたか?」
ペルの体から力が抜けた頃、彼はそう問いかけた。
柔らかい声のシュタウフェンベルクの問いかけに、ペルはこくりと頷く。
「ん……ごめん、なさい」
ごめんなさい、と彼は詫びる。
シュタウフェンベルクは気にするなというように首を振った後、
優しく彼の頭を撫でて、いった。
「大丈夫なら良かった。そろそろ夕食だし、戻るか」
そういうとシュタウフェンベルクはそっとペルの手を握る。
はじめて握る、彼の右手。
ペルはそれを強く握り返しながら、一緒に歩いていったのだった。
***
そうしてたどり着いたのは、彼らのキャンプ。
シュタウフェンベルクと同じ服を着た騎士が大勢いた。
何故か彼の傍にいるペルの姿を見て訝る顔をする者もいたが、
シュタウフェンベルクが事情を説明すると、納得したように頷いていた。
そうして、夕食。
シュタウフェンベルクは自分の分の食事のパンをペルに差し出した。
「少なくてすまないな」
食料がここでは限られているから。
そういう彼。
ペルは差し出されたパンを見て首をかしげつつ、いった。
「……僕、お腹すいてないよ」
そんなにものを食べなくても生きていける。
シュタウフェンベルクは仕事をしていた訳だから腹は減っているだろうし、
自分は要らないから食べてくれ、とペルはいった。
しかしシュタウフェンベルクはそんな彼の言葉に首を振る。
「子供が気を使わなくても良い」
私は大丈夫だから、と彼は言う。
ペルは少し戸惑いつつそれを受け取ったものの、なかなか口にしない。
「……でも、本当に、少しで、良いから」
「……少しでも食べておけ。私も、大丈夫だから」
そういう彼。
ペルは小さく頷くと、パンを小さくちぎって、残りを彼に返した。
これ以上はいい、もうこれで十分だとペルが言うと、
シュタウフェンベルクも納得したように食事を始める。
彼にもらった食事を取りながら、ペルはポケットを探った。
そして、中にあったものを取り出す。
「あげる」
そういいながらペルはシュタウフェンベルクにそれを差し出した。
シュタウフェンベルクはキョトンとしながら、それを見つめる。
「……?飴?」
ペルが出してきたのは、飴玉だ。
それが大好きなペルはいつも幾つか持ち歩いている。
「……お礼、助けてくれた、お礼」
そういいながらペルはそれをシュタウフェンベルクに渡す。
暫し受けとるのを躊躇っていた彼だが、やがて折れて受け取り、穏やかに微笑んだ。
「ありがとう。後で、食べさせてもらう」
「ん……」
どうにか少しでも恩返し出来て良かった。
ペルはそう思いながら息を吐き出す。
そんな彼の頭を、シュタウフェンベルクは優しく撫でてやったのだった。
***
森の奥ではさして出来ることもない。
食事が終われば、交代で見張りをしつつ、休むことになる。
シュタウフェンベルクはペルの面倒を見なければいけないということで、
今日は見張りの当番を外されて、ペルと一緒にテントのなかにいた。
明かりのない、空間。
シュタウフェンベルクはペルに問いかける。
「……暗いのは平気か?」
暗いのが苦手という子供も多いから、と彼は問いかけたのだがそれは杞憂だ。
ペルは、暗い場所にかなり慣れている。
「うん……」
大丈夫、とペルは頷く。
それを見て、シュタウフェンベルクはほっとしたような顔をした。
そしてペルの頭を撫でてやりながら、言う。
「そうか。
でも、一人でふらふら離れるのは駄目だからな」
勝手に出ていくのもダメだ、と彼は言う
ペルはそれに素直に頷いた。
「わかった……一緒に、寝て良い……?」
そういいながら、ペルはシュタウフェンベルクの服を握る。
普段はおとなしく自分の屋敷にかえっている彼ではあるが、
こんなわけのわからない状況に一人で放り出されて、不安なのだろう。
シュタウフェンベルクはあっさりと頷く。
そして、いった。
「元からそのつもりだったからな」
一人で出掛けていかれたらと思うときが気ではないし、
幼い少年の心細さは想像ができる。
シュタウフェンベルクがそういうと、ペルはほっとしたように彼に擦り寄った。
「……暖かい、ね」
こうして誰かと一緒に寝るのは、久しぶりだ。
ペルはそう思いながら穏やかな眠りについたのだった。
―― Miracle… ――
(過去の、彼の姿。いつもと違う姿なのだけれど…
優しさは、暖かさは、全く変わってなくて…)
(見慣れぬ、不思議な少年。
その様子を見ているとなんだか不思議な気分になって…)