長い、廊下を歩く。
歩きなれた城の廊下とは少し違う、しかし広く長い廊下を。
金髪の青年は慣れないその空間にやや緊張しつつ、
少し先を歩く銀髪の青年を追いかけた。
長い、長い銀髪が揺れる。
廊下の窓から射し入る月明かり。
柔らかな風が、歩く二人の銀と金の髪を揺らした。
と、彼らはひとつの部屋の前に立ち止まった。
くるり、と振り向いて、銀髪の青年……クオンは微笑む。
「此処だよ、リエンツィ」
クオンは金髪の青年の名を紡いだ。
そしてドアを開けて、明かりをつける。
小綺麗に片付いた客間だった。
二つのベッドが並んでいて、服をかけるためのクロゼット等、
必要最低限のものがきちりと置かれていた。
「ふぅ、疲れた……」
銀髪の青年はベッドの脇に持ってきた鞄をおくと、そのままベッドに寝転んだ。
着てきた上着もベッドの上に転がしたままに。
「クオンさんは、自分のお部屋があるのでは……?」
リエンツィは自分もベッドに腰かけつつ、彼にそう問いかけた。
ここは、彼の家。
だから、彼にはきっと彼自身の部屋があるだろう、とふと思ったのだ。
クオンはそんな彼の言葉に体を起こすと、こくりと頷いた。
「まぁ、あるにはあるけど……どうしてだ?」
「ん……休むのなら、自分のお部屋の方がゆっくり出来るのではないかな、と」
寝る場所をどうするのかと家族に聞かれたとき、
クオンはあっさりと客間にリエンツィと一緒に泊まる、と答えていた。
その時はリエンツィもさらっと流したのだけれど……
よくよく考えたら、彼には彼の部屋があるはずなのだ。
せっかく自分の家に戻ってきたのだし、そちらの方がゆっくりできるのでは?
リエンツィはそう思ったのである。
クオンはそんな彼の気遣いに、言葉に、ふっと笑った。そしてゆっくりと首を振りつつ、答える。
「お前一人で此処に寝かせたくない」
「私は、大丈夫ですよ?」
「……わかった、言い方変える。俺が、一人で寝たくない」
その発言にリエンツィは目を丸くする。
クオンはにこっと笑って、いった。
「一緒の部屋にお前がいるのが当たり前みたいになってるからさ。
逆に、一人だと落ち着かないと思うんだよ……
だから、リエンツィがよかったら、俺も此処で寝たいな」
「勿論……私は気にしませんよ。
クオンさんが、ゆっくり休めるようならば」
リエンツィは微笑んでそういう。
クオンは小さくうなずいてから、小さく溜め息を吐き出した。
そして、リエンツィ、と隣のベッドに座っている彼を呼ぶ。
不思議そうに首をかしげて彼に、いった。
「お前の方が疲れただろ、リエンツィ。
ごめんな、俺の私的な用事に付き合わせてさ」
すまなそうにクオンはいう。
リエンツィはいえ、と首を振った。
確かに珍しい、むしろこの国に来てから城以外の場所に来るのははじめてで、
少し緊張をしていたのは事実だが、いきたいといったのは彼自身である。
「平気ですよ、私」
「んん……でも、さ」
"気疲れしただろ"という彼の言葉には、曖昧に笑っておいた。
先程まで、リエンツィもクオンと一緒にリビングルームにいた。
そこで、彼の家族とちょっと談笑していたのである。
流石に息子であるクオンが唐突につれてきた金髪の青年に、
始めこそ皆驚いたようだったが、クオンが細かい事情は伏せて"友人だ"と紹介すると、
案外すんなりと歓迎してくれた。
クオンと話している彼の家族は普通に優しそうな人たちではあったが、
なるほど彼が嫌がる理由はわかった気がした。
言葉の端々に混ざる、状況を探ろうとするような言葉。
或いは、真っ向から期待しているという言葉を彼に伝えたり。
重いだろうな、と思った。
他人事ではあるけれど、少しクオンが心配になった。
騎士団で過ごす日々の報告をするクオンの表情は始終固かった。
それを隣で見ていたリエンツィが感じ取れるほどに。
そんな状況にいた彼は疲れているだろう。
なんといって彼を励まそうか、とリエンツィは考えていた。
と、その時だった。
軽く、ドアがノックされる。
誰だろうと思いつつクオンが体を起こして返事を返すと、ドアが開いた。
「リエンツィもつれてきたんだな、クオ」
「あ、リスタさん……」
リエンツィはひょこりと顔を覗かせた青年の名を紡いだ。
幾度か顔をあわせたことがある、クオンの兄。
先程はゆっくり話をする余裕はなかったし、
リスタは夕飯を終えるとさっさと部屋に引っ込んでしまったのだった。
彼はにっと笑ってリエンツィとクオンの方へ足を進めた。
そしてわしゃわしゃっとクオンの頭を撫でて、リエンツィにいう。
「クオがおとなしく帰ってくるの珍しいな、って思ったよ。
親父が手紙出してたのには気づいてたから近々かえって来るだろうとは思ってた」
"リエンツィも一緒は少し予想外だったけどな"といって、リスタはウインクを一つ。
ややすまなそうな顔をしたリエンツィを見て、慌てたように言葉を付け足した。
「や、悪い意味じゃなくてだぞ?
お前も一緒に来てくれたからクオンも素直に帰ってきたんだろうな、って」
そんな彼の言葉に、リエンツィは視線をクオンの方へ向ける。
クオンは小さく苦笑しつつ、頷いた。
「リエンツィがいかない、っていってたら……どうにかして逃げたかもな」
「はは、だろうなぁ。
リエンツィが一緒に入るときのクオの表情はほんとリラックスしてるよ。
そうして珍しくこの家でクオが笑ってるから俺も嬉しいんだよ」
そういうと、リスタはクオンから離れて、リエンツィに近づく。
そしてクオンにしたのと同じようにわしゃわしゃとリエンツィの長い金髪を撫でる。
「わ、わ……」
「よろしくな、っていったの……正解だったなぁ。
よかったなクオ、こんないい友達できてさ」
「うん」
照れ臭そうに、クオンは微笑む。
"友達"のことを誉められて嬉しかったのか、或いは……
「まぁ、いいや。
クオンもリエンツィも疲れてるだろうしゆっくり休めよ」
リスタはそういうと、もう一度ずつリエンツィとクオンの頭を撫でて、
それから部屋をゆっくりと歩いて出ていった。
クオンは兄の背を見送って、ふうっと息を吐き出す。
そして、リエンツィの方を向いた。
「リエンツィ」
「?なんですか、クオンさん」
「……ありがとうな。一緒に来てくれて」
はにかんだように、そういう。
先程のリスタの言葉が効いているのだろう。
そう思いつつリエンツィも微笑んで、"此方こそありがとうございます"と返した。
「つれてきてくださって、ありがとうございます」
「あはは、礼を言われることでもないんだけどなぁ……
俺が来てほしいくてつれてきただけだからさ」
そういって笑った後、クオンはベッドを降りてリエンツィに近づいてから、
ぎゅっと彼の体を抱き締めて、軽くキスを交わした。
***
しばらくして、二人は部屋の明かりを消した。
いつもより若干早かったが、移動のこともあって疲れていたし、
せっかくだからゆっくり休もうか、ということになったのである。
「なぁ、リエンツィ……」
クオンは隣のベッドに寝ている彼の名前を呼んだ。
しかし、返事がない。
あ、とクオンは声を漏らした。
「寝ちゃったか……」
「あ、すみません……少し、考え事をしていて」
少しの間を空けて、リエンツィはいった。
その声は、やや苦笑気味。
なにか、考え事をしていたという言葉どおりだろう。
ーー そういえば。
クオンは、ふと思う。
先刻、リスタと話していたとき、リエンツィは何かを思い出しているような、
懐かしんでいるような表情だった。
クオンはそれを思い出して、少しだけ表情を曇らせる。
もしかしたら、"家族団欒"とはいかずとも、家族皆で過ごす自分達を見て、
自分のことを、自分の世界を思い返しているのだろうか、と。
それが、普通だと思う。
彼はこの世界の人間ではなくて、クオンはあくまで他人で。
そんな自分のために振り回してしまったかな、と少し不安になる。
「……ごめんなリエンツィ」
「え?どうして、謝るのですか?」
唐突に聞こえたクオンの謝罪に、リエンツィは驚いた声をあげる。
彼の綺麗な緑の瞳と、クオンの銀灰色の瞳とがぶつかる。
「……んん。何でもない」
クオンは小さくそう答えると、くるりと丸くなった。
帰りたいか、なんて聞けなかった。
頷くのが当然とわかっているが、頷かれるのが怖い。
ーー どうしていいのか、わからないではないか。
もしも彼が帰りたいといって、帰る方法が見つかったとしたら。
彼を引き留めることは出来ない。
ならば、自分が彼の世界にいくか?
そうしたら、風隼はどうなる。
一緒にいたい。
その我儘は、いつまで有効?
「?クオンさん……?」
暫しの沈黙の後、リエンツィが呼んだ。
隣のベッドでもぞりと彼が体を起こす気配を感じたが、
クオンは目を閉じたままでいた。
寝たフリは職業柄得意だ。
意味深な謝罪を残して黙った自分を心配する彼を騙すのは少し気が引けたが、
今口を開いた所でまともなことが言えるとは思えない。
少し体を動かして、クオンの方を覗き込んでいる様子のリエンツィ。
寝てしまいましたか、と呟くようにいう彼に、クオンは心のなかで小さく笑う。
こんな短時間で眠れるはずがないと言えばないのだが……
そうしてすぐに、信じるのが彼らしい。
おやすみなさい、と小さく呟くようにいった彼に心のなかで"おやすみ"と返しつつ、
クオンもそっと目を閉じた。
ーー 有効期限。 ーー
(それは、いったいいつまでだろう
いつまで、お前は俺の傍にいてくれるのだろう?)
(家族というものを久し振りに見た。
そしてあんなにも緊張した様子の貴方もはじめて見た
最後の謝罪の理由は、いったい何……?)