カーテンの隙間から射し込んでくる、眩しい朝日。
外に積もった雪に反射したその白い光は、眩しくてなお清々しい。
すっきりとした冬晴れの、心地よい朝のはずなのだが。
「うー……頭痛い……」
ベッドのなかに潜ったままの金髪の少年……ムッソリーニは小さく呻いた。
射し込む朝日が眩しい。
それが眩しすぎると感じるほど頭が痛い。
そして何より体を起こす気力さえも危ういほど体が怠い。
でも、いつまでもうだうだ寝ているわけにはいかない。
ヒトラーや、フィアたちに心配をかけたくはないし、
この程度ならば体を動かしていればそのうち忘れるだろう、とポジティブに考える。
せーの、と自分のなかで掛け声をかけて、怠い体をベッドの上に起こせば、
少し目眩がしたけれど、どうにか体を動かすことは出来そうで、ほっとする。
鏡で見れば、少し顔が赤いような気がしたが、この程度ならば誤魔化せるだろう。
でも、友人に風邪をうつしても申し訳ないから、
今日は少し離れていないとな、と思う。
「弱ってる俺は、俺らしくないもんな……」
はは、と笑って手近に置いてあった上着を羽織る。
そして時計を見て"ヤバイ、いつもより遅いっ"と慌てた声をあげると、
急いで部屋を出ていったのだった。
***
食堂にいくと、もう既に見慣れた面子が集まっていた。
一部の騎士たちはすでに任務に出る時間だ。
やはり少しぐだぐだしているうちに、遅刻ギリギリだったらしい。
彼らのいるテーブルにかけよって、ぽんっと二人の肩を叩いた。
「おはよー!ヒトラー、フィアの嬢ちゃん」
「あぁ、おはようムッソリーニ」
「おはよう、出来ればその呼び方はやめてくれ……まぁ、いい。
珍しいな、ムッソリーニが遅れかけるの」
フィアは隣の席の椅子を引きながら、そういった。
ムッソリーニは苦笑して"ちょっと寝坊しちゃってさ"という。
まぁ、強ち嘘ではない。
ベッドに沈んでいた理由が眠気ではなく体の怠さなだけで。
「でも、何だか顔色悪くないか……?風邪か?」
敏いヒトラーの指摘に一瞬体が強張りかけたが、必死にそれを殺して笑った。
ヒトラーは他人の心を読むことが出来る。
普段はそういう魔術を仲間に使わないはずだが、
あまりに不審な様子を見せたら心配して探るということはあるかもしれない。
「ははっ、大丈夫大丈夫ー!馬鹿は風邪引かないっていうじゃん?」
「あぁ、自分が馬鹿だって自覚はあったんだな」
隣で辛辣なフィアのツッコミが入る。
ムッソリーニは"相変わらずきっついなぁ"と苦笑すれば、
彼はちらとムッソリーニの方を見て、溜め息をひとつ。
「本当に大丈夫か?」
その言葉にムッソリーニは瞬きをした。
フィアはムッソリーニをサファイアの瞳で見つめている。
さっきはあんな言い方をしていたが……どうやら、心配してくれたらしい。
ムッソリーニは彼のそんな気遣いに微笑むと、ぽんと彼の頭に手を置いて、いった。
「大丈夫だって。心配してくれたんだ、ありがとー」
に、と笑えば彼は照れたようにぷいとそっぽを向いてしまった。
"フィアの嬢ちゃんはツンデレだな"と言えば、テーブルの下で足を蹴られる。
「痛っ!?」
「……今のは、お前が悪いと思う」
そんなヒトラーの苦笑。
ムッソリーニはフィアに蹴飛ばされた足を軽くさすりつつ、笑った。
どうにか、彼らには体調不良もばれていないらしい。
その事にホッとしながら。
***
そんな日の、夜……――
「はぁあ……何とか、終わったー……」
長い溜め息を洩らして、ムッソリーニは呟いた。
廊下の窓から空を見れば、白っぽい月明かりが降り注いでいる。
どうにか、一日を乗りきった。
多少騎士たちと話したりすることもあったが、基本的には人との接触を避けた。
それでも、それが不審にとられないように、いつも通りに振る舞って。
ただ、その代償というべきか。
「は、ぁ……ちょっと、キツいかなぁ……」
はは、と力なく笑って、ムッソリーニは呟いた。
ヒトラーたちにはああいったが、正直体調は頗る悪い。
体が熱いのに、寒気がする。
少し音が遠いのも、熱があるからだろう。
朝より悪化しているのは多分、確実だ。
そのまま部屋に帰って寝ようかとも思ったのだけれど、
とりあえず、医療棟にいこうと思った。
この具合の悪さでは到底眠れそうにないし、
薬をもらって一晩寝れば、多分良くなる。
ジェイドあたりなら頼めば仲間には自分の体調不良のことを秘密にしてくれるだろう。
そう思いつつふらふらと病棟の方へ歩いてきた。
夜遅いこともあって、廊下を行き交う幼い草鹿の騎士たちの姿はない。
そして……
「何で、此処に来たんだろ……」
ムッソリーニは小さく呟いた。
そこは、目指していたはずの、この国の医療部隊長の部屋ではない。
最近自分をよくきにかけてくれる……
元々のこの騎士団の統率官の部屋だ。
避けていたはずなのに。
彼と一緒にいると、何だかいつもの自分でいられないから。
笑っているのが、辛くなってきてしまうから。
でも…… 無意識に、彼の……あの、優しい手を求めたのかもしれない。
気がつけば、虚ろな意識のままにドアをノックしていた。
その音にすぐに"どうぞ、開いていますよ"と返事が返ってくる。
誰か確かめる前に入室を許可する辺りがこの国の騎士らしいな、等と思いつつ、
ムッソリーニは力の入らない手でノブを握り、ドアを開けた。
ドアの開く気配に振り向いた淡水色の髪の彼は、
部屋に訪ねてきたのが誰かを理解すると、少し驚いた顔をしたようだった。
「?ムッソリーニ?珍しいですね、貴方から私のところに来てくれるのは」
そういって、カルセは微笑んだ。
いつも何だか避けられているような気がしていたから。
ちょっとしたことでも話を聞いてやりたいと思って声をかけたのに、
そうして避けられてしまうのは正直少し寂しいものがある。
けれど……ムッソリーニからは、なんの反応もない。
カルセも俯いている彼の様子がおかしいと、すぐに気がついた。
どうしたんですか、と彼はドアの前に立っている彼の方へ歩みを進める。
そしてあと少しで顔を見れる距離……というところで。
ぐらり、とムッソリーニの体が傾いだ。
受け身を取る姿勢も何もなく、糸の切れた操り人形さながらに。
カルセは慌ててそれを抱き止めた。
「ムッソリーニ?どうし……っ」
どうした、なんて聞くまでもなかった。
抱き止めた彼の体の熱さに、カルセは驚いて藍色の瞳を見開く。
「は、……、はぁ……っ」
苦しげに息を吐き出す彼に、カルセは顔をしかめた。
彼の顔は真っ赤で呼吸は荒い。
吐き出す吐息も熱く、かなり熱が高いことがわかった。
……大体、想像はついた。
これだけ状況が悪くなるのには、多少時間がかかったはず。
それを考えれば……今日一日、いつも通りに振る舞っていたのだろう。
例のごとく、気丈に。
それで……もう、他の騎士たちは自室に戻った今ごろになって、
何か対策として……薬なりなんなりもらいに来たのだろう。
「全く……」
これだけ熱があって、薬だけでどうにかなると思う方が間違いだ。
何をしてるんですかこの子は、と呟いて倒れた彼を抱き上げる。
彼の部屋に連れ帰るのは得策ではないため、とりあえず自分のベッドに寝かせた。
額に触れれば、一層よくわかる彼の異常な体温の高さ。
顔は真っ赤で吐き出す息は荒く、熱い。
これだけ寒い気候だというのに薄く汗をかいている。
そのわりに体は震えているのだから……
まったく、どれだけの辛さを堪えていたのやら。
「……本当に、馬鹿な子ですねぇ……」
そう呟きながら、カルセは彼が着ている服を少し緩めた。
少し呼吸が楽になったのか、深い息を吐き出す彼を見て、
どうやって処置したものかな……と考え始めたのだった。
***
熱い。
でも、寒い。
体が軋むように痛い。
いうことを聞かない体に少し泣きそうになりつつ、ムッソリーニは息を吐いた。
薄く目を開けば、揺らぐ視界のなかで、誰かが自分の傍にいることがわかった。
誰なのかまでは、はっきりわからない。
けれど、薄い記憶のなかで多分"彼"だ、と認識する。
冷たい手が、優しく額に触れる。
発熱している体には、その冷たい手が心地よい。
はぁ、と息を吐き出すとするりとその手が離れた。
どうしたんだろう、と思うと同時、唇に何か、暖かなものが押し当てられて……
多分、口付けられているのだと思った。
一体何、と考えていると、口のなかに苦い液体を流し込まれた。
驚いて吐き出そうとするも、相手はそれを許してくれそうにない。
抵抗する気力も薄く、諦めて飲み込むと、漸く口を解放された。
口のなかに残る苦さに小さく呻くと、先程のように優しく頭を撫でられた。
良い子ですね、と宥めるような声が聞こえた気がする。
沈んでいく意識のなかで、離れかけた"彼"の気配に、無意識に手を伸ばす。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ……甘えたいと、思った。
優しく、手を握られた。
大丈夫、此処にいるから。
そういうかのような優しい手に、ほっとして息を吐き出す。
熱く火照った頬を、冷たい滴が……涙が、流れていった気がした。
―― きっとそれは、体を蝕む熱の所為だ。
泣きたくなんかないんだ。
泣いてたら、ダメなんだ。
そう思うのに、優しく手を握られたり緩められたりすると、涙が溢れる。
そんな感覚をおぼえつつ、ムッソリーニはもう一度眠りに落ちた。
***
―― どれくらい、時間が経った頃か。
ぱち、と目が開いた。
幾度か瞬く、青い瞳。
まだ少し体が熱くて怠いが、身動きがとれないほどではない。
「ん、……」
「漸く目が覚めましたか」
小さく声を洩らせば、少し呆れたような、でもほっとしたような声が聞こえた。
ムッソリーニはその声にしっかりと目を開ける。
寝起きでまだ揺れている視界で捉えたのは淡い水色の髪の男性だった。
やれやれ、と呟く低い声が聞こえる。
「カルセ、さ……?」
ムッソリーニは少し掠れた声で、彼の名前を呼ぶ。
体を起こそうとすると、すぐにそれを封じられた。
「まだ寝ていなさい。大分下がったようですが、まだ熱もあるのですし」
「熱……?」
ムッソリーニは怪訝そうに小さく呟いて、漸く思い出した。
そうか。
体調が悪くて、でもへたばった所を仲間たちに見せたくなくて……
薬でももらおうと思って病棟に来た。
無意識に彼の、カルセの部屋に来て、彼に声をかけられて……
そこで安心して、倒れたんだった。
記憶を整理していれば、ぴんと額を弾かれた。
所謂デコピン。
ムッソリーニがビックリして彼を見つめれば、
カルセは呆れたような、少し怒ったような表情で、いった。
「どれだけの無茶をしたらきがすむのですか。
普通の人間はあれだけの高熱で動き続けようと思いません」
「で、でもそんなに悪くないって思っ……」
「お黙りなさい。悪くないと思って動いた結果がこれでしょう」
ぴしゃり、と言われる。
確かに、軽い風邪程度だったら……倒れはしなかっただろう。
「ご、めんなさい……」
そういわないと本気で怒られる。
そう直感して、ムッソリーニは素直に謝った。
元々彼は気が強い方ではないし、
心配を、迷惑をかけたのは間違いなく事実だし。
そう思いながら視線を逃がしていれば、カルセはふっと笑って、いった。
「……まぁ、いいです。
少し遅かったですが、私のところに来たのですから良しとしましょう。
とりあえず…軽く物を食べて薬をのみなさい」
ほら、と手近におかれたのはスープの入った器と水の入ったグラス、
そして如何にも苦そうな薬の入った薬包紙。
ムッソリーニが眠っている間に用意してくれたのだろうが……
"夢の中"で感じた苦さが、口のなかによみがえった。
もしかして、あのとき流し込まれた液体は、この薬?
露骨に怯んだ顔をした彼を見て、カルセは溜め息混じりにいった。
「飲まないならまた口移しで飲ませますが……?」
「え……また……?!」
また、という言葉で確信する。
やっぱり、寝ていたときにキスしてきたのは……
否、薬を飲ませてくれたのは、彼らしい。
そのお陰で今幾分体調はマシになったのだろうけれど……
「寝ている人間に強引に飲ませるのはきが引けたのですけどねぇ……
あのまま熱が下がらないというのも不安なので、少々荒療治でしたが。
多少なりとも意識はあったようですし、まぁ問題ないだろうなと」
涼しい顔をしてそういう彼。
やはり、"犯人"は彼だ。
しれっとそういうことが出来るのは年の功、という奴だろうか。
そんなせんないことを考えていれば、もう一度軽く額をこづかれる。
「ほら、さっさと食べてさっさと薬飲んで、寝なさい。
今日は一日この部屋から出しませんよ」
そういわれるままに、ムッソリーニはおとなしく体を起こした。
彼が手伝ってくれて、ヘッドボードに背を凭れさせる。
倒れてしまった以上心配をかけたくないとか、それどころの話ではない。
もう、さっさと治して彼らの前に戻るのが一番だ。
おとなしく、カルセのいうことを聞くべきだろう。
流石医者、というべきか……
現在の彼の体調でも何とか食べられる分量、食べられるものだった。
そして、いざ薬……なのだが。
やはり、さっさと飲めと言われても飲めるものではない。
草鹿の薬はよく効くがとても苦いと散々聞かされている。
しかしカルセに"やはり口移しがお好みですか"と言われ、渋々それを飲み込んだ。
案の定、素晴らしく苦い。
夢の中で飲んだものより更に苦く感じたのは、気のせいだろうか。
「うぇ、苦い……」
「おとなしく飲んで偉いですね」
ふ、と笑ってカルセはそっとムッソリーニの体をベッドに倒した。
そして、冷たい掌で彼の額を撫でる。
―― あ。これ……
この感覚も、虚ろな意識のなかで感じていた。
冷たくて、優しい掌。
思わず吐息を洩らした彼を見て、カルセは目を細める。
そして、低い声で囁くように訊ねた。
「気持ち良いですか?」
「う、ん……」
素直に、うなずいていた。
優しく撫でてくれる掌は、心地よい。
薬の所為もあってか、ふわっとした眠気に包まれた。
まだ熱もある、と言われていたし……睡魔にも病魔にも勝てない。
ムッソリーニはおとなしく目を閉じた。
「お休みなさい」
そう囁く声と同時にもう一度軽く触れてきた唇は、甘い。
そんなことを考えながら、ムッソリーニは幾度目かの眠りに身を委ねた。
―― Unconsciousness ――
(少し壊れた、強がりの仮面
ほら、甘えることはそんなに怖いことじゃない)
(無意識に彼に助けを求めていたんだと思う。
それは、きっともう否定できないことで……――)