夕闇に染まる空。
街の人々も自分の仕事を終えて、自分の家に帰る頃……――
街の中心にある、ディアロ城。
賑やかな声が、そんな城の騎士の棟に響く。
金髪の少年はぐっと伸びをしつつ、いった。
「腹へったなー!」
「煩いぞ、ムッソリーニ……」
そんな彼の大きな声に顔をしかめつつそういうのは亜麻色の髪の少年。
金髪の少年……ムッソリーニの大声に少し顔をしかめている。
隣にいた黒髪の少年は小さく笑って、いった。
「慣れるしかないな、フィア……
こいつの声が大きいのは今に始まったことじゃない」
「ま、そうですね」
そういって肩を竦めると、彼……フィアは食堂のドアを開けた。
賑やかな夕食時の食堂には人が多い。
もう少し時間をずらすべきでしたかね、と彼は小さく呟いた。
フィア、ヒトラー、そしてムッソリーニ……そんな珍しいメンバーでの夕食。
各々の任務なり書類の整理なりを終えて、偶然顔をあわせた彼らは、
一緒に食事をとろうということになったのであった。
部屋に入っていったムッソリーニは半ば無意識に"彼"の姿を探した。
怯える……というのとは少し違う、いたら引き返そうという意識が働いていた。
それは、そう。
先日の決まり悪さから。
出来る限りあの淡水色の髪の彼に会わぬように、と過ごしてきた。
あの一件は気にしていない、と彼はいっていたが、
それでも……ムッソリーニからしてみれば、気になってしまうわけで。
あのときの自分の情けない泣き顔。
彼の言葉の暖かさと、優しさ。
自分を抱き締めていた彼の暖かな腕……――
忘れろ、という方が無理な強い強い記憶だった。
そんなわけで一瞬意識が留守になっていたムッソリーニ。
ぽん、と肩に手をおかれてムッソリーニは驚いたようにそちらを見る。
怪訝そうな顔をして自分を見つめる、黒髪の少年の姿があった。
「?ムッソリーニ、どうしたんだ?」
「へ?あ、何が?」
黒髪の彼……ヒトラーの問いかけにムッソリーニは逆に問い返す。
ヒトラーは少し迷うように視線を泳がせると、いった。
「いや、少し元気がないような気がしたから」
大丈夫か、とヒトラーに訊ねられる。
彼は少し心配そうな顔をしていて、その隣にいるフィアも心配そうに見つめていた。
ムッソリーニは一瞬だけ悩む顔をすると、
にっと笑って、二人の頭に手をおいた。
そのまま、わしゃわしゃっと頭をなで回す。
「うぁ?!」
「な、何をするんだ!」
すかさずフィアとヒトラーから上がる、小さな悲鳴。
それを聞いて、ムッソリーニはにかっと笑った。
「いやぁ、両手に花で嬉しいなぁと思ってさ!
こんなで食堂横切ったらお前らのファンに睨まれそうでさー」
その言葉にヒトラーは呆れた顔をしてジト眼でムッソリーニを見る。
「同じ騎士団内でファンもなにもあるか」
「いや、ヒトラー様には普通にありな話かと……」
フィアのさりげない同意にヒトラーはいっそう眉をしかめた。
それを見て、ムッソリーニも楽しそうに笑う。
「ほら、あそこの席空いてるし、座ろうぜ……っと!」
と、ムッソリーニの手が皿に当たって、それが床に落下した。
陶器が砕ける音に周囲が少し驚いた顔をする。
「うわっ、悪い!」
「何してるんだ全く……」
呆れたような顔をして、可笑しそうに笑う二人。
ムッソリーニはそれを見て軽く頬を引っ掻いて苦笑すると、
床で砕けた皿の破片を指先で拾い集め始めた。
しかしすぐにメイドたちが来て片付けをしてくれる。
ごめんなぁ、と彼女たちにも笑みを向けて、彼は席についた。
「全く、注意力散漫だぞ」
「ははは、ごめんごめんっ」
フィアからの言葉を軽く流して、隣にいるヒトラーに"フィアのいう通りだぞ"と頭を軽くこづかれる。
そんな、いつも通りの……否、いつもより幾分賑やかな夕食だった。
***
―― そんな日の、夜遅く……
「まだ誰か起きてるかなぁ……」
ムッソリーニは小さく呟きながら、医療棟の廊下を歩いていた。
彼の指先には小さな切り傷が出来ている。
食事のときに、落として割った皿で切っていたのだが、
あの場ではそんなことを言い出そうとは思わなかったし、気にもしていなかった。
しかし、案外ああいった割れた陶器やガラスでの傷というのは痛いもの。
ぴりぴりとした痛みに耐えかねて、とりあえず絆創膏くらい貼っておこうと思うも、
そんな気の利いたものが手近になくて。
医療棟の人間ならば持っているだろう、と思った。
正直……"彼"も滞在している棟だから、あまり、気が進みはしなかったけれど、
放っておくのはちょっと辛いし、悪化させたらそれはそれで周りに迷惑だ。
ナースステーションにならば誰かしらいるだろう。
そう思いつつ、明かりもほとんど消されて、
薄暗い廊下を通りがかったときだった。
「……っ!?」
ムッソリーニはぐいっと、強く腕を引かれた。
思わず悲鳴をあげかけたが、現在の時刻を思い出して慌ててそれを飲み込む。
真っ暗かと思った部屋にはぼんやりと明かりが点っていて、
部屋のなかにいる人間……自分の腕を引っ張った人間の姿が見えた。
肩に流れる、癖のある淡い水色の髪、
薄暗い部屋でもよく目立つ深い深い藍色の瞳。
「な……ん、だ……カルセさんか」
ちょうど、彼の部屋の前を通ってしまったらしい。
ビックリさせないでくださいよ、とムッソリーニは少し怒ったような顔をする。
しかし、その表情さえも、何処か戯けたようなそれ。
カルセはにこりともせず、そんな彼を見つめていた。
暫しそうして戯けたむくれ顔を続けていたムッソリーニだが、
一向ににこりともしないカルセの様子に焦った顔をする。
普段なら、こんな自分に呆れたように笑ってくれるのだ。
面白い反応をしてくれる、と。
それがないと、不安になる。
「……ムッソリーニ」
この状況をどうしたものか、と悩んでいるときに、
カルセに低い声で呼ばれて、思わず体がはねた。
「貴方は、他人に都合がいい人だからと利用される道化で良いのですか」
静かな声での、静かな問いかけだった。
そんな彼は、ムッソリーニの右手を掴んでいた。
怪我をしている方の、手を。
きっと……彼は、見ていたのだろう。
夕食の席で皿を落として割ったのを。
ついでに、怪我をしているのにも気づいていたらしい。
「私が近付くと貴方が逃げるようでしたからねぇ……
遠くから見ていたのですよ」
ムッソリーニの思考を読んだかのようにカルセはそういって、目を細める。
ムッソリーニが自分を避けていたことにも気がついていた。
最近、少しも姿を見なかった。
探してみれば仲間と過ごす彼の姿を見つけることが出来たが、
一瞬でも目が合うと、彼は姿を消してしまっていたから。
避けていることにもとっくに気づかれていたな、と思いつつ、
ムッソリーニは溜め息を吐き出して、答える。
「……いいんだよ、俺は。
皆が笑ってくれるし、それで良い……道化上等だよ」
これでいいんだ、とムッソリーニは笑う。
道化でもなんでも構わない、と。
この前、彼の前でさんざん大泣きしたことは、ムッソリーニの記憶に新しい。
あのときの優しさや、暖かさを嬉しかったとは思うけれど……
普段から明るい性格で通っていたが故、哀しいかな……
そうでない自分は、落ち込んだり泣いたりしている自分はらしくないと……
明るい、何も考えてなさそうな自分だから皆が好いてくれていると、
彼はそう思うようになっていて。
カルセの前で涙を晒したあのときのことは、
正直ここ最近で一番取り消したい記憶だった。
カルセはそういう彼に、顔を歪めた。
悲しげ、或いは……切なそうな表情。
「でも……」
「あんまり仲間達(あいつら)のことを悪くいうの度が過ぎると、怒りますよ」
少し、本気の口調で彼はいっていた。
カルセの言い方では周囲の人間が自分を利用しているかのように聞こえる。
それが、ちょっと引っ掛かっていた。
さっきのだって、自分が進んでやったことだ。
自分の所為でその場が少し落ち込んでしまったようだったから。
自分を心配してくれた二人に笑って食事をとってほしかった。
自分の傍で笑ってくれる彼らは、ムッソリーニにとって大切な友人だから……
カルセは彼の言葉に一瞬怯んだ。
それを見て、ムッソリーニは小さく息を吐き出す。
「……用事ないんだったら、俺も部屋に帰りたいな、って」
そういいつつ、ムッソリーニは固い表情で様子を窺った。
その顔には、逃げの感情が滲んでいた。
この場から、離れたい。
これ以上質問されたくない。
そうしたら……何かが、おかしくなる気がして。
自分らしくいられない気がして。
「……すみません、言い方を間違えましたね」
カルセは自分の非を素直に認めて、小さく息を吐いた。
友人を大切に思う彼にたいしては言い方が悪かったか、と。
そして少し意固地になった様子の彼の声色に、悩む。
自分の思いを伝えるためには、どうしたら良いのだろう。
暫し考え込んだ末、すっと顔をあげたカルセはまっすぐにムッソリーニを見つめた。
そして、凛とした声で、訊ねる。
「……じゃあ、貴方のことは誰が笑わせてくれるのですか」
思わぬ返しにムッソリーニは固まった。
ムッソリーニが言葉を返せず戸惑ううちに、カルセは二の句を紡ぐ。
「貴方の涙を、拭ってくれるのは誰?」
ねぇ、ムッソリーニ?とやや追い詰めるように、いう。
そんな彼の声色に、表情に、ムッソリーニは視線を逃がした。
目を、あわせられない。
それは、この部屋に入ってきてからずっとだけれど。
否……あのとき、以来か。
カルセは視線を逃がす、自分と目を合わせようとしない彼を見ると、
細く長い指を彼の顎に当てて、くいっと上向かせた。
必然、彼に見つめられることとなってムッソリーニは慌てて目を伏せる。
すべてを見透かすような、深い藍色の瞳を直視出来ない。
「私を見なさい」
命令口調で彼に言われる。
拒否は許さない、と言わんばかりの声色。
ムッソリーニは逆らえないままに、彼を見た。
怒っているのだろうか、そう思ったけれど……
彼は、少し哀しげな顔をして自分を見つめていただけだった。
少し拍子抜けて、幾度かまばたきをした彼を見つめつつ、
カルセは静かな声色で、いった。
「貴方を、慰めるのは誰なのですか?」
「俺、を……?」
「えぇ。哀しい道化を慰めるのは、一体誰の役目なのですか?」
冷静で、無表情ともとれる現在の彼の表情は対照的に、優しく、頬を撫でられた。
その手の冷たさと優しさに、ムッソリーニは体を震わせる。
カルセは真面目な顔をして、ムッソリーニを見つめていた。
いつもような穏やかな笑みを浮かべることもなく、
ただ真剣な表情でムッソリーニを見つめている。
「私は、本当に面白いと思ったときにしか笑いません。
私の前で幾ら道化を気取って見せたって、無駄なのですよ」
その言葉に、ムッソリーニはぐっと唇を噛んだ。
カルセは彼のその表情を見ると、片手で頬に触れたまま、
もう一方の指先で彼の唇に触れた。
そして、穏やかに、優しく微笑む。
「だから……ちゃんと、見せてください。貴方の涙も、悲しさも。
戯けることが無意味なら、泣くも笑うも一緒でしょう?」
カルセはそういうや否や、素早くムッソリーニの唇を塞いだ。
ムッソリーニの青い瞳が大きく見開かれる。
「ん、ん……っ」
ムッソリーニの口から甘い吐息が、こぼれた。
翻弄されて、頭のなかが真っ白になる。
戯れ程度に軽くキスをするのなら、自分からだってしていた。
挨拶のようなものだからとしてやれば、
その度恥ずかしがった仲間達から抗議の声があがった。
それに笑って見せれば、相手も笑ってくれて。
でも、今されているキスは明らかに違う。
相手からされたことなんてほとんどないし、
何よりこんな……深いキスをしたことなんて、ない。
探るように舌を絡められる。
逃げようとしても、腰を抱かれていて離れられない。
息の仕方がわからない。
苦しいし、少し怖い。
拒むように首を振れば、すぐに解放されて。
荒く呼吸をするムッソリーニとは対照的に、カルセは余裕の表情。
キスのために濡れた唇を指先で拭って軽く舐めて見せる。
ムッソリーニは必死に呼吸を整えて、
今の苦しさからかはたまた違う理由からか……
どちらかは不明だが、涙で瞳を潤ませて、カルセを見つめた。
先程までの真剣な表情からは一転、今度は彼は、微笑んでいた。
藍の瞳に優しい光を溶かして。
「は……、な、に……何、するんですか、いきなり……」
「貴方が道化を演じるのは貴方の勝手ですが……
忘れないでほしいのですよ、そんな貴方を案じている者がいることを」
カルセは目を伏せると、ぼそり、とそういった。
え、とムッソリーニが声を洩らすより先に、
彼の手を掴んでいた手をほどき、救急箱をとりにいく。
「手、怪我したのでしょう。
何でもっと早く来ないのですか、破片が入っていたら大変でしょう」
そういう彼は、いつも通りの彼で。
ムッソリーニは少し驚いたような、拍子抜けのような心境で彼を見た。
カルセは怪訝そうに首をかしげつつ、"早く手を出しなさい"という。
おずおずと手を差し出せば、驚くほど優しく手を包まれて。
「全く……」
小さく呟きながら、カルセはそっとムッソリーニの傷口に触れた。
不思議なことに痛みはほとんどなくなっていた。
恐らく、彼の魔力の所為だろう。
さっきの彼の言葉の意味を考えながら、
ムッソリーニはまだ少しぼんやりする頭のまま、
自分の傷の手当てをしてくれる彼の様子を見つめていた。
―― PIERROT ――
(皆を笑わせるのが道化の役目というのなら道化を笑わせるのは一体誰なのですか?
…貴方が、私に縋ってくれるのを待っているから、私の言葉の意味に気づいて)
(一緒にいると安心できるのだけれど少し怖い。
貴方の言葉の意味は?あのキスの意味は……?)