遊んでる、そんな倫理観で教師になるのはどうかと…


というようなコメントを頂きました。はい、正論でございます。これからもそう言われ続ける覚悟は出来てます。


ただ、ひとつだけわかってほしいのは、そうした倫理観を持った子どもがいるということと、そうした子どもを救えるのは、その倫理観を理解して共有できる教師だけだということです。



僕は9歳の時に母親に捨てられて、父親に「死ね」って言われながら育てられました。大学に入学する19歳までの10年間。

お陰様で、親から受けられなかった愛情を他人に求めるようになって、こんな自分に落ち着きました。



ま、そんなことはどうでもよくて。



小学校の時、自分が抱えたものを幼さからうまく表現出来なかったし、そんな家庭環境から生まれた倫理観は誰にも理解されなかった。それは今も同じです。

家庭に居場所が無かったので、学校で少しでも否定されていたら多分この世からさよならしていたと思います。

今はもう大人だから、理解されなくても良いんですけどね。



でも理解されない倫理観をもった子どもは、同じ経験をした人にしかわからないと思います。例えば私のような倫理観を持っていても、それが子どもだったら皆さんも助けなければと思いますよね?理解できない、最低、なんて言いませんよね?



しかし、同じような体験をした人でなければ、そうした子どものことは理解できないんじゃないでしょうか。幼い私はそう感じました。周りの人には私のような体験は理解できないのだ、と。



だから、自分のような経験をしたその一人のために、私は教師を目指すつもりです。



最低な教師かもしれませんし、自分でも向いていないと思います。



しかし、いつか出会う子どもを助けるために、私も一緒だよ、でもここまで生きることができたよって言うために、私は教師になります。倫理観も、少しでもまともになるよう努力したいと思います。



まとまらない文章でごめんなさい。少しでも、私のことなんかはどうでもいいので、そうした理解されない経験をした子どもに優しい大人が増えるよう、願っています。