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青あざ君

昔、なんの因果か私を好きという人がいて、私も恋愛感情に興味があったので付き合ってもらったが、時間を経るごとに好意が目減りしていった。
別に相手は悪い人ではなかったけれど、私は目的なしの連絡を取り合う(ex:声が聞きたい/それでかけてくる電話!だってそれは相手の声ではなくて、ただの電子音じゃないか?)のが苦手なので、ストレスがものすごかった。

ある日お風呂に入っていて、ここから出たらまた連絡が来ているかもしれない。と思ったら、急にパニックを起こした。もうその場にいるのも耐えられなくて、でも出るのも怖くて、私は強く強く自分の腕を噛んでいた。
後に青あざになったが、別に嫌ではなくてスッキリした。この痣があるうちは悪いことは何も起こらないと思った。痣が消えるたびに更新した。

結局その人と付き合いを続けるのは不誠実だと思って別れてもらった。相手は最後まで私を理解していなかった。でも、それがなんだろうか?たいていの人間同士は分かり合えない。分かったと思い込んでいるだけじゃないか?
他人に期待したり変えようとするのは無駄が多い。出来ないことの方が多いし、変えることが出来ても、同じだけ自分も変わるよう求められる。
対価を求めるのは当たり前だ。そうでなきゃフェアじゃない。

私の周りの優しい人たちは、それはたまたまその相手と合わなかっただけだと言ってくれる。
私は動物の義務として繁殖は、できることならしたいから、もしそうなら本当に嬉しい。
でも、そうじゃないかもしれないということも予感している。それが怖くてたまらないのだ。
青あざも、私を私から守ることは出来ない。

部屋に鍵をかけても、自分を締め出すことは出来ない。もし、本気で自分が私をころすつもりなら、私には止められないかもしれない。
私はしぬのが恐ろしい。私の名の下に自分がやってくるのはいつだろう。誰も成り代わってはくれないのだ。それはできない。

きみをみしこと

すべてを傾けて人を愛することができたら、それはどのような幸せだろうか ?
それは自分らしくあれということくらい難しい。既にそこにあって、またどこにもない。
ずっと小さく覗いていくと、最後には何も残らない。ただし、最初からあったものが損なわれたと考えるのは誤りかもしれない。何度考えても理解できない。ほんとうにほしいものは手に入らない。

今日は頭がガンガンする。

たとえば

例えば、2人旅の途中で気まずくなるような出来事があって、帰りの電車を隣同士の席でとっておいたのに、なんやかや理由をつけて別の車両に乗ってしまう
よりも、まるで何もなかった風に、笑顔でいるから、もう1人も「ああ、機嫌治ったんだ」くらいに思っているけれど、本当は心の中では自分をめためたに責めて切り刻んでいて、せめてもの報いで楽しそうにいつもと変わらずにしているほうが恐ろしい。
帰ったらしぬ算段ばかりしている。
内部から崩壊する事は防げないのだ。
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