桜の蕾はまだ少し固い。
それでも、青空に白い雲のコントラストが眩しい。
カーテンを開けて、降り注ぐ朝日に目を細めた。
「絶好の入学式日和だな」
呟いて大きく伸びをする。
「先にシャワー使うぞー」
「あ、うん」
いつの間にか起きていた泉の声に振り返えれば、バスルームに消えていく背中が見えた。
それを見送って手持ち無沙汰になった俺は、おもむろにクローゼットを開けて真新しいスーツを2着取り出した。。
衣類用の糊の独特の匂いが鼻を掠めていく。
今日のために新調したシワ一つないスーツ。
「浜田ー、シャワー開いたぞ」
「ん、わかった」
スーツにシワがよらないようにソファの背もたれにかける。
「スーツ、出しといたから」
「おー、サンキュ」
肩にバスタオルをかけたトランクス1枚の泉が戻ってくる。染めたことのない黒髪からポタポタと雫が落ちていた。
「ちゃんと髪拭けっていつも言ってるだろー」
すれ違いぎわにバスタオルを取り上げてグシャグシャと髪を拭いてやる。
このやりとりも何度したことか。
最初はうざったそうにしていた泉も、今は俺のお節介を受け入れている。
そんな姿がとんでもなく愛しい。
「ほい、完了」
手櫛でチョイチョイと整えやって、満足気に浜田は泉の顔を眺めた。
「早く浴びてこいって」
「ハイハイ」
泉が顔を照れくさそうに背けたのを合図に、バスルームへと向かう。
数歩進んでから、アッと思い出したように振り返って、
「泉」
「あ?」
呼ばれて振り向いたスキに、
「オハヨ」
掠める程度にキスをした。
つづく。
「お前なんかだいっきらいだ!」
大きな黒い瞳にまっすぐ射ぬかれて、
投げ付けられた言葉に声を失う。
縋ろうと伸ばした手を、ピシャリと叩かれた。
それは完全な拒絶。
――――オイオイ、嘘だろ?
誰にでもなく呟いて、
反された踵。
向けられた背中を追い掛けようとして、
ドンッ!
「痛ッ!?」
痛みで意識が戻ってくる。
むき出しの床が頬に冷たい。
しばらく頭を整理して、
バッと勢い良く立ち上がれば、
泉がベッドの真ん中で大の字になって寝息をたてていた。
「…そっか…泊まっていったんだっけ……」
シングルベッドは狭いだとか、
このベッドは堅いだとか、
なんだかんだ文句を垂れながら、それでも収まった腕の中。
「だからって、蹴り落とさなくてもいーだろ……」
ガシガシと呆れたように頭をかいて、
ソッと起こさないように泉の小柄な体を端に寄せる。
なんとか自分のスペースを確保して、その隣に潜り込む。
ふと、例の夢を思い出して、ソッと泉の体を抱き寄せた。
〜・〜・〜・〜・〜
苦しくて目が覚めた。
いきなり視界に入ったのが、浜田のドアップで息を飲む。
あ、泊まったんだ。と昨夜の流れを思い出して、この状況に納得した。
しかし、このままでは苦しいと少し体をずらして見たら、
「い、ずみ……?」
「悪ぃ、起こした?」
寝ぼけたままの茶色い瞳。
「…お前に、大嫌いって言われた」
「は?」
「夢」
「なんだ、夢かよ」
それでこの状況かと、また違う意味で納得する。
「バカ言ってないで寝ろ」
時計を見ればまだ3時。
あと1時間は寝れる。
「ん…おやすみ」
「おやすみ」
すぐに寝息をたて始める浜田を見て、自分も瞼を閉じる。
ふと、昼間に篠岡が言っていたことを思い出す。
(夢にはその人の深層心理が表れるんだよ)
深層心理。
「………。」
たまには甘やかしてもいいかもしれない。
なんて、反省なんかしてやんねーけど。
運動神経が良い奴っていうのは、どんなスポーツをさせたって、大概人並み以上にこなしてみせる。
だからこそ、目立つアイツ。
三橋の家から戻ってきて、
クラスマッチも終盤に近付いて、浜田はスッカリ女子の人気者になっていた。
もともと愛想の良い、お調子者。
すれ違いぎわに投げられる黄色い声にも、ニコニコしながら一つ一つ返事をしている。
「ウザ……」
「え?なに?」
思わずこぼれた呟きさえ、拾われた。
「女って単純だよなぁ…と思って」
「そこが可愛いじゃん」
厭味のつもりで吐いた言葉に、
やけに大人びた返答が返ってきて、
思わず足を止めてしまった。
「泉?」
不思議そうな顔。
「〜〜〜〜っ」
自分のとった行動の意味に気付いて、
カッと頬が赤くなるのを自覚する。
その顔を見られたくないとうつむけば、
それはますます肯定的なものになり。
「ヤキモチ?」
ポンポンと撫でられる頭。
顔を上げれば、少し困ったような、優しい笑顔。
「ちっげーよっ!」
勢い良く頭の上の手を振り払う。
走りだしたい衝動を抑えて、せめて早歩きで歩きだした。
「泉!」
待てよ。と追いかけてくる足音。
コンパスの違いは歴然で、俺の早歩きは浜田の普通。
あっさりと追い付かれて、追い抜かれた。
正面から抱き留められる。
「ばっ…ここ、廊下っ!」
「単純だな、泉も」
「〜〜〜〜ッ!!」
再び上気する頬に優しく唇を落とされて。
「信じらんねぇ……」
「じゃあ、移動しますか」
呆れて額にのばしかけた腕を掴まれる。
「決勝戦はいーのかよ?」
クラスの優勝がかかっている最終試合。
間違いなくヒーローになれる。
「バスケの決勝は明日だし」
引き寄せられる腕。
耳元に顔を寄せられて、
「ヒーローはお姫様のご機嫌をとらないとな」
「〜〜〜〜ばっ…かじゃねぇの!」
本日3回目の赤面をさせられた。