1965年、インディアナ州東ニューヨークから通報が入る。駆けつけた警察官に少女が言った。「保護して。全部話すから」。
実際の事件を裁判記録を元に再現したノンフィクションドラマ。


『隣の家の少女』の元となった事件の映像化作品と聞いて鑑賞。
これが実際にあったことなのだと思うと、安っぽい涙を流すことも失礼に思い、ただ黙って鑑賞していました。鑑賞後事件の詳細について調べると、映画がかなり抑えた表現と製作者の公平に物事を見ようとする努力によって作られていたことがわかる。この事件を怒りを抑えて語るのは、なかなかできない。

作中ガートルード(キャサリン・キーナー)は自分の娘を「私に似ている」と言い、それを笑い物にしたシルヴィア(エレン・ペイジ)は見過ごせないと言います。
ガートルード自身もあの生活では、周囲に(口に出さなくても)淫売と蔑まれていただろうし、それを考えると、自分の娘を守ることは彼女自身を守ることだったんだろうね。

子供たちの行為について賛否両論あると思うけど、生き物への虐待は成長過程で必要なこと、と説く研究者もいる。彼らの行動は、「これをやったらどうなるか」、「あれをやったらどうなるか」の、好奇心の結果だったのかも。
大人なら結果は予測がつくし、予測がつくからやらない。でも良く教育されない子供にとっては、あれは確かに遊びで、おそらく学びなんだろう。

私はずっと性善説を信じてきた。でも最近は、社会に適切に関わっていれば人は自ずと善になる、と考えを改めた。それはまぁ、つまり“性善説”なんだろうけど。
良く教育されない子供はけだものと同じ。そう感じる。であれば、彼らを善人と同じように尊重するべきなのか?考えてしまうよね。
人は誰でもいい環境に恵まれるとは限らないし、彼らにいい環境を与えなかったのは私たちでもあるわけだから、その責任を果たそうと思うなら、彼らのことも尊重するべきなんだけど、寛容であろうとすることが彼らを図に乗らせるなら、いっそ切り捨ててもいいのかもしれない。






話題:実話を元にした映画。