「こんにちは、紫眼の魔女さん?」
黒衣を纏った男が剣先を向けにこやかに笑った。
「誰だ……テメェは?」
夏美を背後に庇い、オレは愛刀にしている形見ともいうべき剣を男へと構えた。
こちらから仕掛けることが出来ないのは、背後に夏美がいるからできないのではなくこの男に一片の隙がないからだ。
穏やかに笑ってはいるが内面と外面がチグハグで不気味。
そうまるで、死神の鎌にかけられているようなそんな気分を味合う。
夏美が満月の夜でないことから、尚更油断が出来ない状況だった。
「最近、ハンター狩りをしている男女がいると小耳に挟みましてねぇ」
「帝国の人間かよ」
ちっと舌打ちして、いざとなったら夏美だけでもこの場から逃がす算段を練る。
ハンターは主に世界を統べる帝国の管轄にある。
人ではあらざる者の排除、または虐殺を掲げていた。
大儀名分があれば、何をやっても許されると思っているから本当に奴等には反吐が出る。
中には、悪さを働き人間に害を及ぼすものもいるだろう。
オレ達にとって生きにくい世の中なのだから、それも仕方がないことなのかもしれない。
人間が差別をしん共存を嫌うからこうなってしまったのだから。
人と違う?
化け物?
だから何だというんだ?
そんなこと知らない。
知る由もない。
どうして、この世に生まれてきたのかなんて。
「蛮、さん…っ」
背中に隠した少女が、身を震るわせながら泣いている。
それを慮ってやることも出来ずに、オレは男と対峙していた。
「おやおや、私はどうやら嫌われてしまったようですね?」
「……何が目的でここにきた」
肩を竦めて笑う男に虫酸が走ったが、今までと違う成り行きにどう動いていいか一瞬戸惑う。
ハンターならば、すぐに命を狙うはずだった。
これまでハンターはそうだった。
だが、この男はただ涼しげに笑っている。
表裏ある笑顔だが。
「始めに言っておきますが、私はハンターではありませんよ?」
あんなものと一緒にされるのは不愉快だと告げる表情は、とても冷たかった。
「なら、何が目的なんだよ」
ハンターでなくても剣を向けてくるなら容赦はしない。
その意思を込めて、男を睨み付けると男は瞳をすがめたようだった。
「実は、噂の紫眼の魔女と対面してみたくなりましてねぇ」
「……その、紫眼の魔女ってのは」
「ああ、貴方のことですよ。帝国側で今ちょっとした噂になっているんです」
帝国の人間はネーミングセンスがないですよねぇ、安直すぎる。
そう言って、男はひとまず剣を引いた。
すると、簡単に周囲の警戒が解かれる。
先程までビリビリと感じていた空気が何処かへと消え去っていた。
「私の名前は赤屍と言います。貴方の名前は?」
「……アンタに、答える義務はないだろ」
「そうですか……では、そちらのお嬢さんは?」
「……夏美」
「夏美さん、ですね?」
一つ頷いて男は勝手に話を進めていく。
「貴方達がこのままハンターを狩り続けるなら、私と手を組んだ方が得策ですよ?」
どうですか?と、下手に協力を求めてくる男には悪いが……どうも言ってることを信じることが出来ない。
得体の知れない雰囲気を醸し出しているのだ、この男は。
「ハンターじゃなかったら……何者なんだよ、テメェは」
言外に、手を組む気なんかないと告げる。
得体の知れない男を懐に入れたくはない。
夏美だけでも手が一杯なのに、余計な物をこれ以上背負い込むつもりはなかった。
「ただの血を好む人間ですよ。貴方の側にいれば退屈しないで済むでしょうからね」
「……血を好む人間?」
後ろの少女を思わず振り返ってしまった。
血の束縛を抱えている少女と、この男は同じだというのか。
語られる言葉に嘘がないのだとしたら、この男も同族だ。
「私は吸血行動を抑えられない人間でしてねぇ……まぁそれを抑える気もないのいいのですが、ただ少しばかり厄介なことになってきたので。そのストッパーになるモノが欲しいと思っていたところだったんです」
「……吸血鬼と呼ばれる闇の住人ってわけか」
「あまりそのような名前で呼ばれるのは好きでないのですがね」
概ね、その通りですよと頷いて見せた男に溜め息をつく。
どっちでもいいだろう、と。
男が言うには、血を吸う行為は苦痛にならないのだという。
人を殺すことも。
だが、一度血を吸うとその間のことは何も記憶してないのだという。
そして、正気をなくし元の自分に戻るまでの間隔が最近は長くなってきているのだとも。
そこで、紫眼の魔女なら強い暗示能力で闇に落ちた正気を引き摺り出せるのではないかと考えたらしい。
「へぇ……違いはあるけど、夏美と大体は一緒ってわけか」
「おや、そちらのお嬢さんも?」
「……満月の夜だけ、自分を抑制出来なくなるんだよ」
アンタとの違いは、満月。
夏美はそれ以外に狂うことはない。
言い換えれば、変に抑圧させてその時に発散させなければ、夏美は本当に壊れてしまう。
月に一回程度のそれで正気を保っていられるのだから、まだ夏美は幸せなのだ。
「手を組んで頂けませんか?」
再度、持ち掛けられた赤屍からの提案に無言で通し、オレは心の底から溜め息をつく。
(邪馬人……アンタならどうする?)
夏美を守るには手があった方がいい。
だが、この男は味方にするにしろ敵にするにしろ、多少厄介な人物のようだった。
(仕方ねぇか、ここで断って情報を帝国に売られでもしたら大変だ)
渋々承諾すると、あろうことか男は唇を重ねてきた。
突然のことに、反応しきれなかった身体は男の腕の中に捕らえられ、口付けを深くする。
「んぅ――っ?!」
「蛮さん……?!」
夏美の悲鳴のような声で硬直が解け、拳を繰り出す。
それは、簡単に避けられてしまったが構わなかった。
(邪馬人にしかされたことがなかったのに!)
上塗りされてしまった記憶に、警戒心が蘇る。
「いくぞ、夏美」
「えっ……でも」
「オレ達はそこにいる男と出会わなかった。いいな?」
「うん……」
困ったように見つめてくる夏美を振り切って、オレはこの場から足早に立ち去る。
後ろから男が声を掛けてきたが、知らない振りをし続けてやった。
「蛮さん、あの人後ろから着いてきてるよ?」
「放っておけ」
「でも、」
チラリと後ろを振り返った夏美は、にこやかな笑みを赤屍から向けられ曖昧に微笑む。
「あの人、悪い人には見えないから」
最初は怖かったけど。
その言葉に、夏美に掛かればどんな人間でも悪くない人間にされてしまいそうでオレは深々と溜め息をついた。
復讐だけに生きたかったのに、また変な奴に目をつけられてしまったもんだと。
END
屍さまは、唇から蛮ちゃんの生気をちょっと拝借したのです。味見って奴ですね。←