今回は地震や津波に関する描写があります。


* * * * *






 無線から漏れ聞こえる声はさして大きくないが、静かな洞窟では良く響いた。やりとりを聞いているとレッドだけ連れてくって事で話がまとまった。

「聞こえていたよね?」
「はい」
「じゃあ行こうか。現場はもう一つ下の階だから、僕について来て」

 お兄さんは鞄からゴムボートを出し、メノクラゲがそれに触手を伸ばした。メノクラゲにボートを引いて湖を渡るのか。
などと感心してる場合じゃない。

「すみません、待ってください。レッドさん」
「?」
「悪いんですが一度上に戻って、湖の向こうに戻して欲しいんです。俺、波乗り使えないんで……ヒワダに向かって、応援呼んできますね」
 レッドはかっくんと頷いて、カメックスも階段へと道を譲ってくれた。

「と言うわけで、ごめんなさい、お兄さん。一度上に戻ります」
「ああ、わかったよ。気を付けて」
「ありがとうございます。行こう、ワカナ」
「ちこっ」

 軽く頭を下げて階段に向かう。先頭からワカナ、俺、ピカチュウを肩に乗せたレッド、カメックスの順番だ。

「あ、待って君たち! 落とし物だ」

 少し登ったところでお兄さんが声をかけてきた。しかし振り向いても細い階段はカメックスの体で塞がれているばかり。こんな狭いところでカメックスは方向転換できるかな。あ、ボールに戻せばいいのか。
 すぐに思い付いて口を開こうとした俺の腕をレッドが強く引く。腕に指が食い込んで痛いとか同性と顔近付ける趣味ねーよとか、文句を言う前にレッドは低く耳打ちしてきた。

「壁に寄って」
「は?」
「ワカナも」

 わけがわからないまま、強制的にぐいぐいと壁に押し付けられてしまった。よくわからないが何か不穏な空気は感じる。なんとなく不安で足元を見やれば、ワカナも疑問でいっぱいと言う顔で、それでも素直に壁に身を寄せる所だった。

「君たち?」
「カメックス、戻れ」

 不信そうなお兄さんに、レッドはカメックスを戻す事で応えた。瞬間、水の奔流が目の前を通過し、続いてぱりりと電気が弾けるような音がした。

「ピッカァ」

 愛らしい声に被るようなタイミングで、ドオン! と、心臓が竦むような轟音が近くに落ちた。咄嗟に閉じた瞼越しにも目が眩むような光。

「行け」

 お兄さんのメノクラゲに攻撃されて、レッドとピカチュウが反撃した。そう理解した時はすでにレッドは振り返ってボールを放り投げていて、地下1階の足場にカメックスが現れる。その体の影にピカチュウが駆け込むと、ピカチュウを狙ったらしい触手はカメックスに叩きつけられ、そのまま胴体に絡みついた。
 たぶん巻きつく攻撃だろう。それに微塵も動じた様子なく、カメックスは前傾姿勢をとった。

「う、わああああ」

 お兄さんの引きつった声と慌てた足音を、カメックスの肩の大砲から吐き出され始めた激流のドドド、と言う低い音が打ち消してしまう。そしてバン! と激しく衝突する音をたてて、お兄さんとメノクラゲをぶっ飛ばしてしまう。メノクラゲは巻き付いていたのに、それを水圧で負かして無理やりに引き剥がして、そのまま吹っ飛ばしたみたいだった。
 ばしゃんと湖面に落ちる音が2つ響いて、それでカメックスの噴射も止まった。

「って、いや、レッドさん! 人間まで攻撃しちゃいかんでしょ!?」
「やり返しただけ」
「あ、そっか、正当防衛か」

 階段を塞いでたカメックスをしまった瞬間、トレーナーにダイレクトアタックしてきたお兄さんの攻撃が発端だもんな。ってそれでも過剰防衛じゃないか? そもそもなんで攻撃されたんだ。なんかしたか、俺たち。それともお兄さん悪い人だったのか?

「レッドさん、あのお兄さんは……」
「死んでない」
「あ、はい」

 それは、ねえ。当たり前っつうか。殺してたらまずいだろ。っていやいやそうじゃなくて。
 何から言うべきか、と言うかまず事態に頭がついて行けずに口ごもっていると、レッドに手首を掴まれて階段を降りてしまった。

「ちょ、ちょちょちょ、レッドさん? どこへ?」
「下、あいつの仲間がいる。急ぐから、ここで待て」

 待てって俺は犬じゃないぞ! ってどうでもいいんだ、そんな突っ込みは。
 レッドは1人でお兄さんの仲間を倒しに行くつもりなんだろう。って、まてまて。

「待って下さい、まだ悪いやつらか確定してないのに倒すのはどうかと」
「確かめてくる」

 あ、そうですよね。いきなり問答無用で倒したりしないですよね。

「わかりました、待ってます」

 頷いたレッドはボールホルダーに手を伸ばして、一つのモンスターボールを手渡して来た。

「……フシギバナ」
「え?」
「頼む」

 モンスターボールに向かっての言葉は、フシギバナに俺たちを頼んだらしかった。俺たち、涙がちょちょぎれるほど役立たずだ。
 すでにピカチュウを載せて水面で待機していたカメックスにレッドが乗ろうとした所で、ピカチュウが耳をピクリと揺らした。

「ぴかっ」
「来る?」
「ぴ」
「上へ」
「はい。気を付けて下さい」
「ちこちー」

 ホルダーにフシギバナのボールを付けてから、俺とチコリータは階段を上がり始めた。待てって言われたり上に行けって言われたり慌ただしいけど、先輩トレーナーの言うことには素直に従って置きますよっと。
 地下1階は何があってもレッドが丸く収めるだろ。

「逃げろ!」

 すでに終わったような気でいた所へ飛んで来た鋭い声に、俺とチコリータはつい振り向いてしまった。もう上に上がるだけだからと気を抜いていた俺たちは、レッドの切羽詰まった声音の意味を、緊急の警報である事を理解できなかった。
 ずん、と、低い地響きに俺とチコリータは固まる。地震だと思った時には既に遅く、下から突き上げるような揺れに立っていることが出来ない。

「っ、ワカナ!」

 目を見張ったまま固まっているチコリータを抱き寄せ、覆い被さる。ボールに戻せばいいんだと思ったが、激しい揺れの中でボールを取り落とすかもしれないと思いとどまった。

「ち、こっ」
「大丈夫だから、動くな!」

 腹の下で身じろいだチコリータを抱き締める。どどど、と低い地響きが聞こえる。落石あったら死ぬな。そんな思考がよぎったがどうしようもない。もし落石があっても、せめてチコリータを守れるように……あ、やべ、イーブイとメリープとフシギバナ、背中側のホルダーじゃん!
 慌ててホルダーに手を伸ばしたが、焦ってうまく外せない。そうこうしている内に地震は収まり始めた。
 いつの間にか詰めていた息を吐き出し、起き上がろうとした時。またどどどと低い地響きがして、俺は再びチコリータを抱きしめてうずくまった。

「リョウ、逃げろ!」
「ちこちっ」
「ワカナ、うごく……」

 どぱん! と大量の水が激突するような音と振動。地震大国で育った人間ならみな知っている、地震の後は津波、という知識がぱっと浮かんだ。2度目の警告と地響きは、地震じゃなくて津波だったらしい。
 慌ててチコリータを抱き上げて走り出そうとした俺の足を、階段を逆流してきた大量の水が掬う。

「うわあっ!?」
「ちこぉっ!!」

 水位は腰より少し上ぐらいだった。けれど勢いよく背後から押され、体制を崩して水中に潜ってしまった。そのままチコリータを逃がす間もなすすべもなく、重力に従って地下1階の湖に戻る水に浚われてゆく。
 口に入り込んだ水を追い出そうとして、反射的に息を吐いてしまった。口を閉じてももう遅く、息が苦しい。激しい流れに目を開けている事さえできない。どうしたら助かるかもわからない。焦りと不安の中で、チコリータを離さないようにきつく抱き締めた。
 地底湖の底へと引きずり込まれてゆく俺の全身に衝撃が走った。肺に残っていた空気がすべて逃げてしまう。壁にぶち当たったのかと思ったが、目を開けると視界は白い壁で埋め尽くされていた。
 太く大きな何かに胴体を抱えられる感触に続いて、ぐんと体が引っ張られる。そして混乱の内にざん! と勢いよく湖面に押し上げられる。

「ひゅっ、げほっ、ごほっ、ひゅう、ひゅう……」
「ごぽんっ、げぇっ、ひゅっ、げほっ、げっほ、はっ、はっ、はっ」

 急に入ってきた大量の酸素にむせりながら腕の中のチコリータを見やると、いくらか水を飲んでしまったらしく、勢いよく吐き出すところだった。助けになるかわからないが、背中を叩いてやる。咳き込みながらもちゃんと息をしているチコリータを抱える手は、細かく震えていた。
 ドオンと、心臓に来る轟音と光に振り返れば、水面を猛スピードで泳ぐカメックスの上にレッドとピカチュウ、それからエーフィがいた。見てる間にもカメックスは攻撃を上手く避け、ピカチュウとエーフィが、洞窟探検装備の男たちに応戦している。
 それはバトルとは言い難い光景だった。男たちもレッドも、ポケモンの放つ技に人を巻き込む事を戸惑っていない様子だ。その戦場とも言える激しい戦闘から、俺たちを守るようにリザードンが中空でホバリングしている。
 俺たちは完全に足手まといだった。

「はあ、は……ワカナ、逃げるぞ」
「はあ、はあ、ちこ、ち……」

 蔓を首に絡めてきたチコリータをしっかり抱き直してから、俺たちを水面に押し上げてくれたポケモンを見上げる。3mはあるかと言う巨体のカビゴンはぷかりと水面に上半身を出し、片腕で軽々と俺たちを抱えて覗き込んでいた。

「お前は、レッドさんの?」

 こくりと頷いて、空いた片手で自分の背中を指差す。どうやら背中に乗れと言いたいらしい。しかしどうやって移動したらいいのか。肩口によじ登るにしてもどこ掴んだらいいんだ?
 チコリータを片手に恐る恐る肩口を掴んでみると、戸惑いを感じたらしい。カビゴンがそっと俺たちを湖面につけた。たぶん一度潜って背中に押し上げるつもりなんだろう。

「ちこっ!?」
「大丈夫、沈まないようにするから、掴まってて」
「ちこち、ちこぉ」
「深呼吸。すってー」
「ちこ……すー」
「はい、とめて。目も瞑って」

 ぶるぶる震えながらも聞き分けてくれたチコリータを片腕に水面で立ち泳ぎをする。カビゴンは予想通り、一度水中に潜ってから俺たちを上手に背中へ乗せた。

「もういいよ、ワカナ」
「ぷはっ、ちい」
「あ、そうだ、ボールに戻ってて」
「ちこっ」

 背中に乗る前にボールに戻せば良かったと、今更気付いた。非常事態で思考能力低下してるなあ。
 そんな事を考えながら、力強く頷いたチコリータをボールに戻す。ついでにちゃんとボールが4つあるか確認しとく。よかった、なくしてない。

「ごんごー?」
「え? ごめん、よくわかんないや」
「ごーん」
「わっ、とぉ」

 1階へ続く階段のある岸を目指してカビゴンは泳ぎだした。突然の事にバランスを崩して遠慮なくカビゴンの柔らかい背中を掴んでしまったが、文句はないようなのでそのまま掴まっておく事にした。
 カメックスより揺れるが、予想外に泳ぎが上手い。そういやカビゴンって波乗り覚えるんだよな、こいつも覚えてたりするんだろうか。
 どうでもいい事を考えて背後の轟音から気をそらす。それでもびりびりと振動が響いてきて生きた心地がしない。なんつうか、近くで落雷が頻発しているような、そんな感じで反射的に身が竦んでしまう。

 あっと言う間に着いた岸へ降りると、カビゴンはレッドの方へ向かって泳ぎだした。意外にも素早くて、脳裏に動けるデブと言う言葉が浮かんだ。どうやら俺の調子も戻り始めたらしい。
 まだ手足が細かく震えてるけど体は普通に動く。濡れた足場を転ばないよう慎重に、なるべく急いで、今度こそ俺は階段を上がりはじめ、そしてまた足を止めた。
 誰かが降りてこようとしていたからだ。


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