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20日 思いがけない再会(中)

 狭い洞窟を飛ぶには、リザードンは小回りが利かない。しかし谷底へ降りるよりはマシだろうと、向こうへ運んでもらうことにした。他に底には訳の分からないものが居るし、レッドは寒さに凍えて身体能力が落ちている。そんな状態で谷を上り下りするのは危険だと判断した。

 運んでくれたリザードンを再びボールに仕舞い、洞穴(どうけつ)から外を見やる。一面の銀色世界に、ぱら、ぱら、と思い出したように雪が舞い落ちている。不思議な光景だった。秋の足音が聞こえてきた頃合いとは言え、昼は未だ暑さに辟易(へきえき)とするのに、ここだけ冬に閉ざされているようだ。自然の生み出す景色は、町々を訪ねるのとはまた違った、不思議な感動を呼び起こした。
 しかし我に帰ってみれば、こんなところにカンジュがいるのが何よりの不思議だと思った。ゴーストタイプのトレーナーである彼が、何を思ってこの凍り着いた山を訪れたのか。マヒルが見せてくれた、得体のしれないポケモンらしき物体と関係があるのだろうか。例えそうだとしても、ここへの立ち入りには条件があるはずで、彼がリーグを勝ち抜いたと言う話も聞いたことがない。
 疑問を解くためにも、レッドは足を踏み出した。

 足跡のない雪原を踏みしめると、思ったより硬かった。雪の降る気温ではあるが、それでも季節には勝てないらしく、積もっているのはパウダースノーとは程遠い。水分を含んでべちゃりとしているそこを、すべらないようにと慎重に歩く。そんなレッドをマヒルがゆっくりと導いた。
 そうやって進んでいる内に、離れた地面から急速にもやが立ち上った。跳ねあがった心拍はすぐに落ち着きを取り戻す。この光景はつい二時間前にも見たし、マヒルも警戒していなかったからだ。
 靄が形作ったのは、大きな顔と手だけの黒いポケモン、ゴーストだった。カンジュの手持ちにゴース系統はマヒルの他にもう一匹いたが、すでにゲンガーへ進化している。知らない間に入った新しい子なのだろうと思う。初対面のゴーストは、ぎょろりとした目にあからさまな警戒を乗せてレッドを見つめている。

 前方に気を取られていると、背後からひゅろろと、ゴーストタイプのポケモンが浮遊する独特の音が聞こえてきた。振り返ればどこに隠れていたのか、笑顔のムウマージがゆっくりと近づいて来ていた。
「……キン?」
 目を細めて笑う、その笑い方に覚えがあった。最後に会った時はまだムウマだった。彼の特徴だった、瞳孔が小さく白目の部分が大きいのは進化しても変わっていない。
「久しぶり、元気だった?」
 昔と変わらずに鳴き声はなく、こくりと頷くだけだ。が、金色の瞳は懐かしそうに、優しげに弧を描いている。釣られて笑ったレッドの肩に、ぽん、と手が置かれた。
「ワー!」
「わー!?」
 びくりと肩を跳ねさせ、ばっと振り向いたレッドの眼前に一つ目のポケモンがドアップで写り、そいつがワーっと声を上げたものだから、レッドも思わず叫び返してしまった。
 きらきらと輝く赤い瞳がにたあっと笑う。悪戯好きのゴーストタイプらしい笑い方をされてしまえば、何も言う気は起きなかった。彼らなりのコミュニケーションを否定する気はない。

「……君も、カン、ジュ、さんの仲間?」
 つい飛び出しかけた呼びなれたあだ名だが、初めて会う子に通じるか疑問だった。途中で無理やり修正して問えば、ヨノワールはこくこくと頷いた。ポケモンたちの明るい様子に、カンジュに変わりはないようだと、安堵が生まれる。流れた月日の長さとマヒルの歯切れの悪い様子、さらに居場所の不可解さに、漠然と感じていた不安が和らぐ。
「僕はレッド。よろしく」
「ヨノー」
 人懐こくも差し出されたヨノワールの手を握り返す。山頂付近の寒さにやられてすっかり冷え切った手には、ゴーストタイプの低い体温さえ暖かく感じられた。

 け、と、掠れるようなマヒルの声に振り向く。やわらかなとげの生えた背中の向こう、ゴーストの隣に青年が立っていた。カンジュの仲間たちが居るのだからここに居るのはカンジュだろう。そう思うのに、記憶の中の元気な少年と表情の抜け落ちた青年が重ならない。
 同じなのは、くるくるとした濃い茶色のくせっ毛だけだと思った。彼はいつだって、満面の笑みを浮かべて名前を呼び、会いたかったと再会を喜んでくれたのに、今は別人のように無表情だ。オレンジや水色など明るい色の服を好んでいたのに、モノクロで身を固めている。冬でも濃い色をしていた肌は、驚くほど白い。なにより、うつろな瞳がおかしかった。昔は、明るいオレンジの瞳をいつだってきらきらと輝かせていたのに。

 本当に彼なのか自信が持てず、彼の名を呼ぶか迷って僅かに開いた口は、声を出すどころか呼吸さえ潜めていた。
 長く感じる、数瞬の後。青年のぼんやりと定まっていなかった視線がレッドへ焦点を結んだ。
(どうしよう)
 声をかけようかとまだ迷うレッドの前で、青年は驚いたように目を見張る。
「……本当に、レッドか?」
「……カンちゃん」
「え、マジか。うっわ、久しぶり〜!」
 破顔した青年が近づいてくる。ゴーストは慌てた様子で、カンジュの影に吸い込まれるように消えた。

 心から嬉しそうな満面の笑みや大股気味の歩き方、表情を浮かべた顔は少年の面影がある。全体的な雰囲気が少年と一致する。瞳も先程まで生気が感じられなかったのが嘘のように生き生きとしている。
 観察している間にカンジュはレッドの目の前までやって来て、レッドの帽子を取り払ってくしゃくしゃに頭を撫で回してきた。
「え、ちょ、あ」
「ははは、相変わらず真っ直ぐな髪してんなー」
「……ぶふ」
 昔と全く変わらない行動に、呆気に取られた。二年もの間、連絡がなかったなど思えない程、普通の態度だ。驚愕はやがて笑いへと転じた。一度吹き出すと笑いが止められない。
「はは、あははははは、カンちゃん、ははは、変わらない」
「そこはますます格好良くなったって言ってほしいな〜。まあレッドの成長ぶりには負けるけど」
 どきりとした。会いたい一心でここまで来てしまったが、レッドがチャンピオンになったことを知ってカンジュはどう思うのだろう、と今更ながら不安が押し寄せてきた。

 学校で顔を知っていただけの級友が急に連絡を取ってきたように、彼も態度を変えるだろうか。以前と同じ仕草の中に、昔とは違う意味が込められてはいないだろうか。
 従兄弟という属柄ではあるが家族同然に接してきた相手を疑うなんて、とも思う。しかし疑心は止められない。心に影が差し、笑みが消える。
「本当に大きくなったな、昔はこーんなちびだったのに」
 こんな、と親指と人差し指で数センチ程を示され、呆気にとられた。
「……あれ、俺滑った?」
「う、うん……」
「やだ、人間なのに絶対零度放っちゃった。恥ずかしい」
 特に恥ずかしいとも思ってなさそうな表情でそんなことを言いながら、ぱっと両手で顔を覆ってみせた。そんなリアクションも束の間、すぐに顔を出したカンジュはレッドの肩のあたりを示しながらカンジュは首を捻った。
「最後に会った時、このくらいだったかな。……ううん? 俺の肩より小さかった、って記憶はあるんだけど、俺も背ぇのびたからなあ」
 よくわからないと悩むカンジュに、レッドはたぶんこのくらいだった、と自分の頬のあたりを示す。二年半程度で三十センチも伸びた記憶はない。
「あれ、そんなもんだっけ? もっと大きくなってるような気が……そうか、顔立ちが大人っぽくなったのか!」

 伸びてきた手がむにりと柔らかく頬を摘み、もう子供の頬じゃないんだなあ、としみじみ呟いた。手袋のない手は冷えきって、同じく冷えているレッドの頬にほんのわずかな温もりも感じさせなかった。悴(かじか)んで動かしにくいだろう指先は、しかし優しく痛みなど感じさせない力加減だ。それが何故だか無性に可笑しくて笑いそうになったが、素直に笑うのはなんとなく恥ずかしく、無理やりしかめっ面を作った。
「……父さんと同じこと言ってる」
「そりゃあ、なあ? 久々に会う家族だもん、おんなじ感想出てくるよ」
 赤ん坊の頃のマシュマロみたいな頬だって知ってるんだから、と何故か嬉しげに笑うカンジュにレッドは不機嫌な表情をしてみせた。昔のことを言われるのは気恥ずかしい。

 不意にぶるりと体が震え、ぶしゅっ、とくしゃみが漏れた。
「寒いのかよ! 上着かしてやるから」
「いい、いらない。カンちゃんのが寒がりじゃん」
「レッドが暑がりだからそう思うだけで俺は普通だよ。くしゃみしてるんだから大人しく受け取れって」
「いいよ、リザードン出すから」
 きょとんとしたカンジュの前でレッドはリザードンを呼び出した。体温の低いゴーストタイプしかいないカンジュから防寒具を奪う訳にはいかないという思いやりからだった。
「レッドの仲間、なんだよな」
「うん……?」
 ニュースを見ていればレッドの手持ちなど知っているはずで、驚くことなどない。知らない風なのがおかしかった。

 そもそもカンジュは、バトルに熱心だった。今の四天王勝ち抜き式のリーグの前身、勝ち残り式トーナメント時代のリーグで何度も入賞していた。仲間に甘いところのある人だったが、育成に力を入れていた。上位に食い込むだろうトレーナーの情報を集めて研究したりもしていた。
(二年前に手紙が来た時は、特に変わりない風だったのに。なにがあったんだろう?)
 思いがけない反応にカンジュを注意深く伺うと、彼の目が焦点を失った。表情もぼんやりとしたものになる。隣りで大人しく佇んでいたマヒルがカンジュの手を握る。

「……カンちゃん?」
「……ああ、そっか。ごめん、レッドも旅に出たんだから、そりゃあ仲間ができるよな。つい昔の感覚でいたから……ここへ一人で来るのに、ポケモンを持たずになんか来れないのにな。子供扱いしてごめん」
 眉尻を下げて苦笑したのもつかの間で、標準より背丈のあるリザードンを見つめ、にかっと歯を見せた。
「大きなリザードンだな〜! 体躯は立派で、顔つきも鋭くって格好いい。尻尾の炎もよく燃え盛って、健康そうだ。頼もしいな〜」
「うん」
 素直な賞賛は悪い気などしない。幼い頃に追いかけていた兄貴分に褒められてにやけそうになる顔を伏せ、リザードンに体を預ける。リザードンはもそもそと身じろぎ、レッドの足に器用に尻尾を巻きつけ、覆いかぶさるように肩へ顎を置く。ぴたりとくっついた場所から人より高い温度が伝わり、じんわりと体温が戻って来る。

(……二年の間になにがあったの、って聞いていいのかな……カンちゃん、話してくれるかな……)
 大人は、レッドに隠し事をする。母親も、カンジュも。偶然カンジュの隠し事を知った時、大人になったら話すつもりだった、と言われたのを覚えている。本当の兄だと思っていたのに、従兄弟だったと偶然知ってしまった時だ。あれから随分年月が経ち、レッドは旅にでて成長したが、自分が大人かと言われると疑問だった。
 それにカンジュのさっきの態度を鑑(かんが)みれば、カンジュが自分をまだ子供として見ているのだと分かる。誤魔化せると思われれば、きっとはぐらかされるだろうと予想が付いた。

(どう聞いたら、知りたいことを知れるんだろう? あ、やば、鼻がむずむずする)
「は、っぶしゅ!」
「ああ、やっぱ寒いよなあ。長袖の上着は?」
 頭を振って持ってないと否定する。と、カンジュは己の首元にきっちり巻きつけていたストールを解いた。広げるとストールは大きく、それをレッドの肩へショールのように被せてきた。リザードンはその動きを察して身を離し、巻かれるのをまってからまた身を寄せた。

「これで少しはマシだろ」
 言いながら自分はショートコートの、ボア付きフードを被る。
「俺のことは気にしなくて大丈夫だからね」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 いくらフードを被っても首元は寒そうだ。が、レッドも寒さには勝てなかった。たった一枚、されど一枚。覆うものが無いのとあるのでは、寒さが違った。
「もう下山した方がいいんじゃないか」
「カンちゃんは?」
「俺は降りれない。修行中だから」
「そうなの?」
「うん。ポケモンだけでなく俺の修行でもあるからさ、下りちゃ駄目なんだよ」
「ふうん……」
 修行と言われて思い出す。昔からカンジュは神社へ修行へ行っていた。だから修行ならこんな山に篭っていても……。
(いや、おかしいよね?)
 なんで山篭り、しかも許可がないと入れない場所で。下で会った警備員は上ったことがあるようだったが、それは所属がリーグだからだ。祠の掃除をしているくらいだし、山を見回りしてるんじゃないかと想像が付く。そもそも、無断侵入を許さないなら見回りは必要なことだ。

「……カンちゃんは、リーグに就職したの?」
「へっ? いや、まさか。なんで?」
「ここへ入るのに許可が必要みたいだったから」
「ああ……俺はオカガミ神社の方だよ」
「オカガミ神社?」
「あれ、知らないんだっけ?」
 聞いた事のない名前に頷くと簡単に教えてくれた。
「オカガミ神社はセキエイ高原にある神社だよ」
「見たこと無い」
「うん、開(ひら)かれてないから。って、わからないか?」
「う、うん」
 開かれてないの意味が分からずきょとんとしたレッドに、カンジュは「限られた人しか入れない神社、ってこと」と補足した。
「そうなんだ」
「うん。で、そこで奉職(ほうしょく)している一人と友達だから立ち入り許可貰ったんだ」
「ホウショク……? 許可……?」
「あー、奉職ってのは、お勤め……神社で働いてるってこと。許可取れたのは、シロガネ山は神社とリーグの共同管理だからだよ」
「リーグだけじゃなく、神社も?」
「そう。ここは昔からご神体として……ええと、神様が宿る場所だって言われて、人々の信仰の対象になってた。だから麓に、神様の体に近いところに神社が建てられてる。でも山は神様の体とされているから、むやみやたらと入っちゃダメってことになってんの。リーグやオカガミ神社の許可無しに入った場合、何が起きても知らないぞーってこと」
「……許可なく入った場合は?」
「さて、その人の運次第だな。なんにも起こらないかもしれない。でもひとたび何か起こった時、許可を取っていれば神社の人が助けるために動いてくれるんだよ」
「神社の人が?」
「うん。オカガミ神社の神職……神主(かんぬし)さんたちはほとんどがポケモントレーナーで、山にも詳しいんだよ。救助もお手の物だし、救助隊を案内することもできる。だからいざって時に頼もしいんだ」
「そうなんだ。今は穴抜けの紐があるから救助してもらうなんて、あんまりなさそうだけど」
「まあなあ、昔よりは減ったみたいだな」
「ふう……っぶしゅ!」
「あああ、もう。ほらほら、早く下山しなさい。だいたい半袖でここまで来るなんて、無茶だって。ハナコ母さんが知ったら心配するぞ?」
「ううう……」
 カンジュ経由でレッドの無茶が母親にバレたことはそれなりにある。今回は理由が理由なだけに母親も強くは言わないだろうが、お小言の一つは覚悟しなければいけないだろう。旅の間は、告げ口をする人なんて居なかったので、すっかり失念していた。

20日 思いがけない再会(上)

 シロガネ山は万年雪(まんねんゆき)に包まれており、山頂付近は常に雪雲を纏(まと)っている。冬は麓まで雪で閉ざされるのだが、夏は流石(さすが)に山頂付近に雪を残す程度だ。しかしその夏は短く、九月も後半に入った現在、麓に居るだけでも既(すで)に半袖から出た腕が肌寒さを感じていた。足元のピカチュウは大丈夫だろうかと見やれば、寒さに震えるでもなくじいっと山を見上げていた。
 マサラタウンまで長袖を取りに帰ろうか、山を登っている内にきっと温まるだろう。と歩き出した。穴抜けの紐があるので任意のタイミングで下山できる、と言う油断も、杜撰(ずさん)な登山計画の後押しになっていた。

 山裾の十分に開けている緩やかな山道を上がってゆく。吹き降ろす天然のクーラーが涼しすぎて鳥肌が立ったが、ランニングシューズを使わずに早足で歩けば、そのうち体が温まり始めた。
 あちこちに茂る草むらにはギャロップやドードリオにリングマなど、進化後のポケモンが散見された。今までとは違った種類が高いレベルで分布していることに興奮して一戦を交えた後、はたと気づいた。チャンピオンロードを下(くだ)ったせいで自陣の仲間たちはやや疲労の状態。これから探しもののために山中をうろつくのに今から消耗していてはいけない。

 この辺りのポケモンの強さを把握するために必要最低限のバトルをこなしつつ、散策の気軽さで進む。
 勘を頼りに、やがて洞窟の入口に辿り着いた。出入り口に建てられた古びた木の看板には、この先シロガネ山、と掠れた漢字で書かれているのが見えた。お月見山や岩山トンネルと同じくシロガネ山も洞窟を通り抜けてゆくものなのだと納得して、はたと振り向く。ピカチュウの足音が止まったからだ。
「ピカチュウ?」
 ピカチュウは洞窟の入口の横、繁る木々へ目を凝らしていた。どこか警戒した風な様子に、レッドも視線を木々へやったまま後退る。足を止めて警戒するほどの何かが居る。野生のポケモンにしては、ピカチュウの反応が気にかかった。

 ぱり、とピカチュウは愛らしい真っ赤な頬から僅かに放電させながら、レッドの前に飛び出した。一本の木の、地面に落ちた影が濃くなる。そこからけぶるような暗闇が這い出た。形のない、紫がかった黒い煙だ。それに二つの真っ赤な色を認めて、レッドは正体を悟った。影に潜むこともできるという、ゲンガーが現れたのだ。
「ケーッケケケケケケケ!!」
 煙が固まって確かな形を得てゆく。にんまりと大きな口を笑みに釣り上げ、ににやにや笑いのゲンガーが現れた。

 ゲンガーは種族の特徴として、素早い上に特殊攻撃が強力だ。周辺のポケモンのレベルから言って、40前後あるだろう。ゴーストタイプは厄介な補助系の技を取得する傾向にあるので、もたもたしていると被害が大きくなりそうだ。
 そうあたりを付け、準備万端な相棒に指示を出す。
「十万ボルト」
「ピカァッ」
 低い四つん這いの戦闘態勢に入った小さな体から、バリバリと音をたてて電流が迸る。それを見て慌てたゲンガーがひらりと背を向けた。勿論、逃がすつもりはない。悪戯好きのゴーストタイプを逃がすと、時に厄介なことになる。会敵したならば実力を思い知らさねばならない。
「やれ」
「ピーッカ!」
「ゲッ!?」
 青白い電気がピカチュウの体全体を覆い、電流は数本の束となり、確固たる指向を持ってゲンガーへ向かった。ゲンガーがいくら素早くとも、駆け抜ける電撃には叶わない。鍛え抜かれたピカチュウの強力な攻撃を、逃げ出そうとして背中にくらい、ざざーっと盛大な音をたてて転び滑った。自分でも驚いたのか、短く太い尻尾がぴーんと立って、まるっとした尻が丸見えになっている。

 顔面から突っ込んでスライディングしたように見えたゲンガーは、のろのろと尻尾を下ろし、痛みを堪えるようにゆっくりもそもそと起き上った。そして、
「ケ、ケン……」
 としょげかえった頼りない声を出した。攻撃されたと言うのに反撃せず、怒りもしない。そんなゲンガーの様子を、一人と一匹が警戒しつつも見守る。が、声どころが全身がしょんぼりしているように見受けられて、レッドはすでに戦意を萎(しぼ)ませていた。

 のそりと振り返ったゲンガーは、短い足とぽこりと出た腹、手のひらを泥で汚していた。よく見れば顔にも跳ねた泥が着いている。大きな瞳は潤み、体はぷるぷると震えていた。電撃だけでなくスライディングしたのも痛かったようだ。
 ピカチュウの姿勢や放電の具合から、彼が未だ警戒しつつ、けれど警戒の度合いが低いのを読み取り、レッドはゲンガーに話しかける。
「……大丈夫?」
「け……ゲン」
 こく、と頷いたゲンガーは、視線をレッドからピカチュウに移すと何やら話しかけ始めた。二匹の間で少々の会話が為(な)された後、ピカチュウは最低限の警戒と威嚇として頬からぱりぱりと小さく放電させながら長い耳をぴくんとレッドの方へ向け、「ちゅ〜」と愛らしい声で鳴いた。彼は判断に困っている時、警戒は解かないままでこうしてレッドに水を向ける。

 とはいえピカチュウが何の判断に困っているのか、いくらポケモン大好き相棒大好きなレッドでもわからない。そこまで以心伝心ではないのだ。
 取り敢えず、ゲンガーが何か自分たちに伝えたいことがるのだろうか、と観察の視線を向けてみる。ゲンガーは首にかけていた、草臥(くたび)れた茶色のベルトを一生懸命に手繰(たぐ)っていた。
(あれ、は、持ち物袋……?)
 よくよく見れば、ゲンガーは首に焦げ茶色の持ち物袋を付けていた。一口に袋とはいっても形状は様々で、ゲンガーのそれはベルトに小さなポーチが付いたものだった。だいぶ草臥れてはいるが、遠目でもしっかりした作りであるのが分かる。

「げ、げんっ……げ〜ん、げんっ」
 人間ならば、んしょ、んしょ、といった風情の掛け声をかけながらポーチ部分を前に持ってきたゲンガーは、こんどはファスナーを開けようとした。が、どうにも手先が不器用らしく、難しい表情でまたもや悪戦苦闘している。
(手伝ってあげたいけど……)
 敵意は無さそうなので手伝ってやりたいが、一応警戒を続けてくれているピカチュウの手前、安易に近付くのは戸惑われた。万が一、なにかあった時に仲間へ迷惑をかけるのは本意でない。

「げんっ! げん、げーん?」
 暫くたって、漸くファスナーを開けられたゲンガーがぱあっと顔を輝かせる。しかしその嬉しそうな顔も一瞬で、中身を取り出せずにまたもやもたもたし始めた。
(あれ……こんな光景、どこかで……)
 ぶきっちょさんでおっとりとした雰囲気、加えて警戒心を全くこちらへ向けておらず、登場の仕方以外にはゴーストタイプらしさが無い。そんなゲンガーの姿がレッドに既視感を覚えさせた。
(いつか、どこかで、同じ印象を持った、気が……あれ、もしかして、“彼女”は……)

「……! げん!」
 悪戦苦闘の末に漸く中身を取り出せたゲンガーは、ぱあーっと輝かんばかりの笑みを浮かべ、手の中身をレッドたちの方へ向けてきた。差し出された手の平にちょこんと空色の勾玉が乗っている。レッドはそれに見覚えがあった。カンジュが己の手持ちに持たせていた勾玉だ。
「それ、やっぱり。君は、マヒル? カンちゃんの」
「ゲンっ」
 マヒルと呼ばれたゲンガーはにこおっと、心から嬉しそうに溢れんばかりの笑顔を見せた。ゲンガーらしくない朗らかな笑みに、彼女がマヒルなのだと確信は深まる。
「ピカチュウ、警戒しなくていいよ」
「ぴ」
 ピカチュウは既に最低値まで下げていた警戒を解き、ゲンガーに近寄ってふんふんと匂いを嗅ぐ。獣の形をしているピカチュウは匂いや音に敏感で、知らないものは取り敢えず匂いを嗅ぐのが常だった。ゲンガーは嫌がるでもなく、されるがままに匂いを嗅がれている。
「僕を覚えてる?」
「ゲン!」
 こくこくと頷いたゲンガーに懐かしさがこみ上げた。

 マヒルは、昔レッドの家に居た従兄弟の仲間だ。従兄弟のカンジュはレッドが生まれた時から入園するまで一緒に住んでいて、レッドの入園を見届けるとポケモントレーナーとして旅に出た。
 幼かったレッドはポケモントレーナーとして旅立つカンジュが羨ましくて連れてってくれと泣いて強請(ねだ)った。いつも遊んでくれる兄のような、友達のような彼が旅立つのが寂しく、子供なりに真剣に強請ったが、結局は見送るしかなかった。
 それからは会う機会はめっきり少なくなったが、夏休みなどに一緒に旅行へ行ったので、彼も彼の仲間もよく覚えている。そんな彼が一度目の旅から戻った際に、マヒルとは出会った。おっとりしていて人懐こく気の優しい彼女は、嫌がるそぶりもなく子供だったレッドの相手を良く勤めてくれた。

 そこまで思い出した所で、はっと現実に戻って顔を曇らせた。
「ごめん、怪我させた」
「けーけけけけっ」
 ゲンガー特有の笑い声はどこまでも明るく、釣り気味の瞳も優しげに笑う。気にしないで、とでも言うように、ふよんと地面から浮き上がったマヒルがレッドの頭を撫でた。幼い頃によくされた仕草に、懐かしさと気恥ずかしさが混じって複雑だった。

「治してあげる」
 リュックの中から取り出した良い傷薬で手早く治療し、使い込んで少し薄くなったタオルで泥を拭う。そのあいだにも、愛想が良く懐こい彼女はあっという間にピカチュウとも仲良くなり、会話を交わしていた。
「よし」
「ぴー」
 彼女の身繕いが終わるなりピカチュウにこっちこっちと袖を引っ張られたレッドは「なに?」と問いかけながら、またもやはっとした。

「マヒル、なんで一人でいるの?」
 彼女は何も答えず、ただ困ったような表情を見せた。
「ピカチュウ、もしかしてカンちゃん……カンジュ、さん、が近くに居るの」
「ぴ?」
「マヒルのトレーナー、どこにいるの?」
 きょとんとしていたピカチュウに聞きなおすと小首を傾げられた。
「マヒル、カンちゃんはどこ?」
 困った顔で、マヒルがレッドの手を軽く握って引いた。
「そっちにいるの?」
 迷うような間の後、控えめに頷く。
(なんでこんなに歯切れが悪いんだろう?)

 困惑と不安が湧き上がる。マヒルの以前と変わらない様子からして、カンジュに何かあったようには思えない。が、二年半もの間、彼とは会っていない。最後に手紙が届いたのも、もう二年前だ。忙しいが元気にしている、まだ帰れないがまた手紙を出す、とあったのに。心配でカンジュはどうしたのかと母親に尋ねても、旅が忙しいのよ、などと曖昧な答えしか得られず、憂いは払拭されないまま、レッドの胸の片隅にずっとあった。
(その内帰ってくるわよ、って母さんは言ってたし僕も待とうとは思ってたけど、会えるなら会いたい。……昔は、年に一回は顔を見せてくれた。手紙も電話もくれてた。忙しくて帰って来れなくても、手紙や葉書くらいくれるはずだ……母さんは便りがないのは元気な証拠だって言ってたけど、やっぱり心配だよ。せめて、無事を確かめたい)
「案内、してくれる?」
 今度は迷いなく頷いたマヒルの先導で、レッドは山肌へと踏み入ることとなった。

 虫除けスプレーを使用して少し上ったところで、ピカチュウに身振りで示されるままリザードンを出した。ピカチュウがマヒルと意思疎通できるおかげで、目的地がもっとずっと上の方であり、山肌を登っていかなければいけないと判明したからだ。
 暖かなリザードンの背にマヒルと共に跨ったレッドは、休憩をはさみつつも徒歩では考えられない速度で登った。やがて山頂が近づくと雪がちらつきだし、レッドはリザードンから降りた。
 ポケモンの技"空を飛ぶ"は、本来ならば掛かる負荷を搭乗者に一切感じさせない。上空の寒さはもちろん、雪山の寒さも感じさせない。けれどそれは搭乗者に限ったことで、使用者であるポケモンはしっかり肉体に負荷を受ける。
 それを知っているが故にレッドは、リザードンをボールへ戻した。いくら寒さに強い炎タイプとは言え雪のちらつきだした場所を飛行させるのは忍びなかったからだ。

 ぱらぱらと舞っている小さな雪にぶるりと震える。リュックを探って替えの上着を重ね着してみたが、半袖しか持ってなかったので意味がない。
 容赦なく熱を奪い、しんと染み込んでくる寒さに顔をしかめる。カンジュの無事を確認するまでは、と根性だけで先を急いだ。
 ボール嫌いであまり入りたがらないピカチュウは、途中でマヒルに言われてボールに入った。険しい道をマヒルの手を借りて登り、林を抜ける。マヒル一体ではレッドに手を貸すので精一杯だったので、ピカチュウにボールに戻るよう言ったのだと理解した。

 もうすぐ山頂というところで、今度は洞窟へ入った。そこは内部が鋭い谷のようになっているのに、橋は掛けられていない。崖のような向こうに光の差し込む洞穴(どうけつ)がある。雪原が覗くそこを、マヒルは指差した。
(やっぱりあっちに渡るのか)
 谷は暗く、特に底は目を凝らしてもよく見えない。降りるのは危険だ。

 ふと、その谷底で何か動いた気がして、無駄と知りつつも目を凝らした。ポケモンが潜んでいるとしたら、なおさら降りるわけには行かないし、何が居るのか知っておきたい。
 まだ少ししか休ませてやれていないが、リザードンを出した。尻尾の先の炎があたりを照らしたがフラッシュ程の効果はなく、谷が思ったより深いのを思い知らされた。谷の底にはまだ暗がりが蟠(わだかま)っている。
 見つめる先で、スス、と黒いものが動いた。緊張で強ばったレッドの横顔を見て、マヒルが谷底へ降りていく。
「マヒル」
「ケン! ゲンゲーン」

 あっという間に谷底へ降りたマヒルは、躊躇(ちゅうちょ)なく暗がりに手を伸ばし、ぐいっと何かを引っ張り上げた。勢いよく引っ張り上げられたそれは、ぽーんと高く空中に放り出され、リザードンの炎で正体を見せた。黒い、靄(もや)の塊、としか言い様のないものだった。ゴースに似た靄だが、ゴースのように球体の体もなければ、顔もない。
 それは放り投げられて慌てたように空中で身じろいだが、浮遊することもなく、そのまま落下していった。浮上してきたマヒルが慌ててキャッチして、抱えたままレッドの近くへやってくる。

「それ、なに?」
「ガァ?」
 さあ、なんだろう。とでも言うように首を傾げるマヒル。レッドを可愛がってくれていた彼女が持ってくるのだから危険はないのだろうと思いつつも、得体の知れないことに変わりはない。
「ポケモンなの?」
「げん!」
 元気よく頷いたマヒルに「そんなの見たことないな」と、レッドは図鑑を取り出した。周囲のポケモンを自動で判別してくれるはずの図鑑は、ゲンガーしか表示しない。

「……図鑑には載ってないみたい。新種なのかな。だとしたら……見かけはゴースに似てる、気がする」
 鞄をあさり、シルフスコープでそれを覗き込む。マヒルの腕の中で時折もぞりと蠢(うごめ)くそれは、シルフスコープで覗くと、白っぽいようなクリーム色のような靄に見えた。
「……ね、マヒル、本当にそれ、ポケモン?」
「げん!」
「これ、幽霊の正体を判別出来る道具なんだけど、これを通すと白っぽい靄に見えるよ?」
「……」

 無言になったマヒルは、自分の腕の中の靄を暫し見つめ、顔を上げるとレッドに向かって首を傾げた。
「けーっけっけっけ?」
「なんで笑ったの、しかも疑問形で」
「けけけ」
 えへーっ。そんな雰囲気で困ったように笑ってから、マヒルは靄を抱えたまま谷底へ向かった。

 マヒルの降下先には、いつの間にそこに現れたのか、大きな靄が二つほど蟠っていて、帰ってきた小さな靄を覗き込んだ。不定形のそれらの感情など推測もできないが、なんとなく仲が良さそうな気はする。
 谷底をもそもそと移動し始めた三匹(?)の靄を眺めながら、レッドは戻ってきたマヒルに話しかけた。
「あれがなんなのか、僕にはわかんないけど、危険なものじゃないんだね」
「げん!」 
 にっこりと笑って、マヒルは力強く頷いた。





* * * * *



 今回は更新お知らせ記事を書く予定がないので、ここで。ブログやハーメンルンへのコメント、有り難うございました! いつもいつも、やる気を頂いております(だからと言って加速はできないウスノロです)。私はかーなーり! 感謝してる!
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