今回は少々暴力的な表現があります。
* * * * *
人がすれ違うのがやっとの狭い階段をゆったりとした足取りで降りてくる金髪の男。その表情を見て俺は迷わず踵を返した。とても味方には見えなかったから。
男は人を小馬鹿にした笑みをへらへらと浮かべ、瞳だけはぎらつかせていた。その攻撃的な笑みは、他者を踏みにじろうと言う雰囲気が出ている。
外れてたら後で謝ろう。
「あれぇ? 逃げちゃうの?」
人の神経を逆なでする気満々な粘っこい声をかけられて、俺はなるべく階段から距離を取りながら鞄を手放し、身軽になった。また水中に入る事になった時、少しでも泳ぎやすいようにだ。
ここに降りて来られるって事は、相手は波乗りを使える。フィールドで波乗りを使うにはジムバッジが4つ必要なはずだ。どう考えても俺の手持ちじゃ適わない。フシギバナなら大丈夫かもしれないけど、俺が指示できるもんでもないし、決して広くない足場でトレーナーにダイレクトアタックを躊躇わない攻撃されたら、たぶん俺死ぬ。
「レッドさん!」
「カビゴン」
轟音が収まりつつある戦場へ向かい声を張り上げれば、レッドはすぐに救援を出してくれた。ほんっと足手まといですみません。と心の中で手を合わせながら、再び冷たい地底湖へ飛び込む。少しでも男から距離を稼ぐためだ。
容赦なく体温を奪う湖、そしてレッドたちの戦闘の余波である波とまとわり付く服が泳ぎを阻害する。
「リョウ! 波乗り! エーフィ!」
焦ったようなレッドの声に、心の中で俺は波乗り出来ませんと突っ込む。腹に衝撃が来た。胴を引っ張られて水面に、つうか空中に掴み上げられてしまった。
遠目にカメックスの腹の下の水面が不自然に盛り上がってるのが見えた。どうやらカメックスに波乗りの指示を出し、俺を助けようとした、のか? 波乗りされたら俺も食らうと思うんだけど。
怖い考えから思考を逸らすように、腹に巻きつく触手の元を辿る。正体は水中で無数の触手を揺らめかせるドククラゲだ。たぶん男の手持ちだろう。
「はいはい全員停止してぇ〜。じゃないとまとめて潰しちゃうからね〜。部下だって容赦しないよん?」
間延びした口調で、しかし男の声は良く通った。まず向こう岸にいた洞窟探検装備のやつらが動きを止めて、一泊置いてレッドも停止する。不自然に盛り上がっていた水面が元通りになって、攻撃は中止された。
すみませんレッドさん、どう考えても俺が人質になってるからですよね。本当、もう、ごめんなさい。焼き入れられても文句言えないっス。
どうすれば抜け出せるだろう。空回りし続ける思考を持て余しながら階段を見ると、さっきの男がボスゴドラを連れて現れた。もしや地震起こしたのこいつだったりする?
「隊長!」
「あーあ、もう。なんでこんなトコで道草くってんのよ、お前らさぁ」
「すみません。ですが、これは不可抗力で」
「あ、いい事思い付いた! お前らもレッド少年もまとめて破壊光線で葬っちゃおうゼ!」
部下だと言う探検装備の男の言い訳なんてなかったように、金髪の男は手を叩いて妙案だとでも言うように笑っていた。その笑顔はさっきと打って変わって毒気0。思わず心の中でお前はワタルか! と突っ込んでしまう。
「なんてネ。嘘だよぉ? だーからさぁ、そんなに睨んじゃヤダよぉ、レッド少年」
「………………」
「オレはそこの探検隊連中を回収しに来ただーけ。ネ、ドククラゲ」
「はぐっ……」
「ちこぉっ」
同意を求められたドククラゲは、それが合図だったのか触手に力を入れた。締め付けられて強制的に空気を吐き出させられ、我慢する間もなく苦鳴を漏らしてしまった。それを聞きつけたチコリータがモンスターボールから飛び出し、ドククラゲにくってかかる。俺を締め付けるたった一本の触手を引き剥がそうと蔓を絡め、逆にドククラゲに掴まれた。ぐんと引っ張られて、チコリータの蔓がぶちっと嫌な音をたてて千切れた。
「わ、かなっ」
「ぎゃっ」
苦しい息の下で掠れた声も伸ばした手も、なんの役にもたたない。チコリータは岩壁に叩きつけられ、悲鳴一つ残して動かなくなった。
「わか、なっ」
「離せ」
「いいよぉ、でも交換条件ね。ドククラゲ」
レッドが取り引きに応じる姿勢を見せると、男はつまらなさそうに頷いた。名を呼ばれたドククラゲが力を緩める。
「はい、もう苦しくないでしょ?」
「……はい」
「じゃー今度はそっちの番だね。レッド少年、ポケモンしまってー? あ、一匹は残していいよん。護身用、ネ」
レッドは対岸に上がり、エーフィを残して後はボールに戻した。
「素直だねぇ、つーまんないの。ドククラゲ」
つまらなさそうに呟く男の近くへ下ろされる。チコリータを戻すのを止めもせず、金髪は俺を見下ろして笑った。
「ねぇ、チコリータが心配?」
「……」
「アハッ、オレとはお喋りしたくないのカナー? ま、いいや。――お前たちもポケモンしまって、こっちに来い」
男たちはそれぞれメノクラゲだけを出し、それから小さなゴムボートも取り出して乗り込んだ。メノクラゲたちは皆瀕死なのか、ふらふらと緩慢な動きでボードを引く。
「とっろ! あいつらトロすぎデショ。あーあ、暇だにゃー」
男が、まるで友達にするように馴れ馴れしく背後から手を伸ばして肩に触れようとした。ボールの開く音がした。見えなくてもイーブイが飛び出して男にくってかかったのがわかった。こっ、とん、と靴の音が身軽に遠のく。
振り向こうとした俺の視界に、振り抜かれるボスゴドラの太い腕が見えた。
「がっ」
「モチヅキ!?」
「そーんな心配しなくても〜。ちょっと仲良くするだーけ、だよ。ネ」
壁に叩きつけられてぐったりしたイーブイの元へ反射的に駆け寄ろうとしたが、金髪が俺の首に片手を回して遮った。危険な相手に急所を掴まれて、それ以上は動けない。イーブイをボールに戻してやりたいけど、なにされるか怖くて動けない。
「うーん、こうも簡単に人の命を握れちゃうと……気持ちいーい!」
ふふふ、と悦に入ったような声音で男が笑う。
「ねぇ、君もそう思うデショ? 他人の命を自分の手のひらで転がせるのってさぁ、気分爽快だよネ!」
「………………」
「なんだよぉ、だんまりしちゃって、つまんないのー。怒らないから正直に言ってみ? 弄ぶの楽しいよネ!」
機嫌を損ねたら何かされそうだ……なんと答えたらいいのやら。同意、してもなあ、心にもない事言ったら、それはそれで機嫌損ねそうな気がする。
「……人の趣味に口を出すなんて、無粋な真似はしない事にしているんです」
「エエー? そんな風に逃げちゃうのズルいでしょ。本当に怒らないからさぁ、さあ正直にドーゾ!」
「……じゃあ。悪趣味だと思います」
「あはは、キミ馬鹿だね」
これって正直者は馬鹿を見るって状態?
焦った俺を、男は馬鹿に仕切った声で嘲笑った。
「キミは、自分が良ければ他者を踏みにじってもなんとも思わない人間だ」
イーブイのために動けなかった俺を詰ろうとしているのだろう。湧き上がる罪悪感のままここで動くのは簡単だけど、挑発に乗っても誰も助からない。
「お兄さんは嫌世家?」
「キミはオレと同じ匂いがするのに奇麗事で煙に巻こうとするから、気に入らなくってネ。気分悪いなあ。キミのせいで濡れちゃったし、早くお風呂入りたーい」
不意に解放されて、また何かされない内にとイーブイを戻す。チコリータとイーブイのボールを見れば、瀕死になっていた。死んではいなくて、少しだけほっとした。
ようやくこちらへ着いた男たちが、袋を手に順にボートを降り、メノクラゲとボートをしまう。それを眺めながら、金髪の男は気のない素振りで言った。
「首尾はぁ?」
「上場です」
「タマゴもありましたよ」
「マジで? 見して〜」
首尾は上場でタマゴもあった、って事は、こいつら、わざと地震で崩落起こして、封鎖してる間にポケモン捕まえたのか!
ああ、そういや怪獣マニアが言ってたじゃん。今日はラプラスの声が聞こえないって。たぶんこいつらがラプラスを捕まえたんだろう。こんなやり口、まともなトレーナーの行動じゃない。
怒りで腹の中が熱くなった。こいつらにラプラスを、つうかポケモンを渡したくない。なにか俺にできる事はないか? フシギバナは残っているけど、人のポケモンは言うことを聞かせられないし、出す前に取り押さえられるのが関の山だろう。
まんじりとしながら眺める前で、金髪の男にクリーム色と青の、30cmくらいのタマゴが渡される。ゲームのグラフィックとは違うけど、あれがポケモンのタマゴなんだろう。
「んー、カタカタ動いてる。もうすぐ生まれるのカナ?」
「おそらくは」
「やっぱそーだよネ。つーか、青っ。青って食欲減退色なんだよネー」
「は? はぁ、そうですね」
「1回ポケモンのタマゴ食べてみたいけど、コレはまずそう……あ、今割ったらもうポケモンのカタチになってんのかなあ。えーい」
衝動だった。タマゴを振り上げた金髪を阻止しようと、タマゴを奪おうと手を伸ばした。ボスゴドラが金髪を守るように動き、部下の男が俺をねじ伏せ、そして金髪の男の喉には蔓が巻き付いていた。チコリータじゃない。太い蔓を伸ばしたのは、数人の男を下敷きにしながら現れたフシギバナだった。
「あーあ、やってくれたね、レッド少年。エーフィにテレパシーで指示ださせたのかぁ」
「……リョウとラプラスを離せ」
「オレの命と交換かな?」
「………………」
「隊長っ!」
きり、と、蔓がこすれる微かな音がした。
取り押さえられたままじゃレッドの顔は見えなかったけど、レッドもフシギバナも本気らしい事と、なぜこのタイミングでフシギバナが出たのか、わかった気がした。金髪を人質に取るだけでなく部下も数人巻き込んだこの状態なら、相手方も無理はできないだろう。
……レッドはこういう状態になると、予想していたんだろうか。
「けほっ……しょーがない、今回は引いてやるよ。まずはそれを解放してやって」
「はい」
蔓が緩むと咳払い一つ、面白そうに笑いながら金髪は指示した。俺が無事に立ち上がると、フシギバナが足蹴にしていた男の1人を解放する。
「ラプラスもだ」
「はい」
しぶしぶと男たちがラプラスを逃がす。
ボールから青い光につつまれて現れたラプラス達は傷だらけで、弱々しく鳴いて湖に帰ってゆく。タマゴといい複数のラプラスといい、細かいゲームとの違いがある。
一番違うのは、こいつらみたいな犯罪者がいる事だけど。
「さて、タマゴはキミに預けるよ」
金髪がドーゾとタマゴを差し出して、俺が手を伸ばす前にタマゴを手放した。
「っ!」
受け止めようとして前のめりに手を伸ばすが、落下するそれに届かず、ごっ、と音をたてて、タマゴに罅が入ってしまう。
「ごっめーん、手が濡れてたからすべっちゃったぁ」
「リョウ、ボールに!」
タマゴを拾い上げて岸に捨て置いた鞄へ駆け寄る俺を、金髪は止めずにケラケラと笑った。
「ごめんねぇ、間に合うといいね? さって、オレらは一足お先に。フーディン」
いつの間にフーディンは現れたのか。ふぃん、と、独特な音がして、洞窟は一気に静かになった。