レッドが穴ぬけの紐を使うのに便乗させてもらって、繋がりの洞窟の近くにあるポケモンセンターへ駆け込んだ。まずびしょ濡れの俺たちにジョーイは驚いたが、モンスターボールを差し出してタマゴに罅が、チコリータの蔓が千切れて、と言えば、すぐさま治療に移ってくれた。他のモンスターボールはラッキーが預かって回復マシンに入れてくれた。
床に水溜まりを作ってしまった俺たちは、居合わせたトレーナーたちにシャワー室へ追いやられた。けどとても悠長に浴びてる気分じゃなくて、体を拭っただけですぐにカウンターへと戻った。
「ジョーイさん? ワカナとタマゴは……」
既にカウンターの定位置へ戻っていたジョーイ。こんな短時間では治療したとは思えず、手遅れだったのかと苦い気分で尋ねると、ジョーイは慌てて首を振って否定した。
「違うの、タマゴは生きてるわ。チコリータも問題ありません。あなたたちに話す事があって待っていたの。奥へ来てくれるかしら」
「はい」
お墨付きを貰って俺もレッドも一安心だ。
ボールから飛び出してきたチコリータとイーブイを抱える。レッドの肩にはピカチュウが駆け上がった。抱えたチコリータの蔓は千切られたままで、再生なんかはしていない。
「ジョーイさん、ワカナの蔓は大丈夫なんですか」
「ええ、大丈夫よ。すぐに完治とは行かないけれど、徐々に元通りになるわ。痛覚もあまりない箇所だから、そんな痛そうな顔をしないで、逆に心配させちゃうわ」
一応念の為にと痛み止めを貰ってから、案内されるまま一昨日も入ったスタッフルームらしき場所へ向かった。このポケモンセンターでは奥に縁があるなあ、なんて考えながら勧められたソファに座ると、イーブイとチコリータが両側からぴったりくっついて来た。洞窟での事で不安にさせてしまったらしい。
自ら出てこなかったメリープを出すと、くるりと丸まって可哀想なくらいぷるぷると震えていた。相当怖かったんだろう、当たり前だ。股に尾を挟んで縮こまっている毛玉を抱え上げて、もう大丈夫だと撫でてやる。チコリータとイーブイも慰めるように寄り添った。
ジョーイは暖かい紅茶を用意してくれていたが、俺は断った。今の状態のメリープから手を放してはいけない気がしたからだ。
レッドは受け取ったものの口を付けず、代わりに膝へ座ったピカチュウが舐めるように口にした。それには全くお構いなく、レッドが端的に切り出した。
「タマゴは」
「幸い中身が流れ出る程じゃなかったので、治療用の石膏で罅を塞ぎました。中のポケモンに問題があるかは生まれるまでわかりませんが、時折動いていますから、死んではいません」
「問題って、障害が残ったりしてしまうんですか?」
「その可能性は0じゃないわ」
うーん、あのタマゴは十中八九、繋がりの洞窟のラプラスの子供だろう。親元に返してやりたいが、障害を抱えた状態で野生の世界を生き抜けるんだろうか。ってまだ障害を抱えるとは決まってないけどさ。
「それでね、あなたたちにお願いがあるの」
「はい? なんでしょうか」
「あのタマゴを孵してあげて欲しいの」
「返すって、洞窟に?」
「そっちのかえすじゃないわ。孵化してあげて欲しいの」
孵化……障害抱えて生まれるかも知れない子を孵化……責任重大過ぎだろ。めっちゃ回避したい。
「えーと、それはやっぱり拾って来た俺たちが責任持って面倒見ろと言う、そう言うお話でしょうか?」
「え? やだ、責任問題を押し付けるわけじゃないのよ。ただ、ポケモンのタマゴは元気なポケモンの近くでしか孵らないから、ここで安静にしているよりトレーナーに任せた方が、無事に生まれてくるの」
ゲームじゃタマゴは歩数に応じて孵る。そう言うシステムだから。だけど、元気なポケモンの近くに居るのが条件なら、この世界なら一歩も動かなくてもよさそうなもんだけどな。
「ポケセンで元気なポケモンの近くで安静にしてた方がいいんじゃないんですか?」
「うーん、どこから説明したらいいかしら……親元を離れたタマゴは、いくら元気なポケモンが居ても、安置されたままじゃ、孵化までにとても時間がかかるの。知らないかしら」
「初めて知りました」
レッドも隣で頷いてる。たぶん一般的な知識じゃないんだろう。レッドを一般枠に入れていいのかわからんが。
「普通のタマゴならそれでも無事に生まれて来るんだけど、罅の入ったタマゴは、孵化までの長い時間に耐えきれず亡くなってしまう事もあるの。ボールに入れてトレーナーの近くで元気なポケモンと過ごす方がずっと早く孵るから、無事に生まれる確率は上がるわ」
へー、不思議だなぁ。ああでも胎教ってのがあるくらいだし、タマゴも元気に生まれてねって大事にされた方が、生まれてやるぜ! って気合いが入るのかな。わからんけども。
「あ、治療が終わってるならタマゴを親元に返してあげるってのは?」
「ボールの中なら絶対に安全だから生まれて来れるだろうけど、自然に帰したら多分孵化できないわ。今度こそ本当に割れてしまう可能性が高いと思う」
「そうですか……」
「……リョウ、孵してあげて」
「うーん、レッドさんじゃ駄目ですか?」
「手持ちがいっぱい」
そういや6匹フルだっけ、この人。例え無事に健康体のラプラス孵してもボックスに預けっぱなしになりそうだな。……あれ、そういやエーフィ連れてたけど、金銀で入ってたエーフィはHGSSで解雇されて、代わりにラプラス入ってるんじゃなかったっけ。
もしやここでラプラス入手すんのレッドなのか!?
「レッドさん、ラプラス持ってないんですか?」
「? ボックスにいる」
あ、既に入手済みでしたか。だよねー、確かシルフで外を見せてあげて、みたいな事言われて託されるんだっけか。
いかん、思考が逸れた。
「ジョーイさん、俺は孵化するまでって言う条件付きなら預かりますけど」
「そうよね……」
俺の事情を知るジョーイは困った顔で口を閉ざした。
自分の言い草がとても無責任なのはわかる。だって孵すだけ孵して後はジョーイに丸投げなんて、生まれた犬猫を無理やり誰かに押し付けるようなもんだ。
でもそれが俺のぎりぎりの譲歩だ。同情して連れて行く事は簡単だけど、俺は最後まで面倒を見てやれない。それが健康体でも障害を抱えていてもだ。
それにメリープの事だってまだ片付いてないのに、これ以上抱えて込んでも責任とれないぜ。
「私は、リョウくんに連れて行って欲しかったのだけれど……」
「え、なんで?」
驚きのあまり敬語を忘れてしまった。しかしメリープといいタマゴといい、なぜ俺に頼もうとすんの、この人。
「あなたはポケモンが生き物だと良く知ってるわ。生きて、感情があって、どうしようもない別れがあるって」
つまりなんだ、俺ならもしタマゴが死んでも納得できるだろうと、そう言いたいのか?
嫌な気分になって黙り込むと、ジョーイは不思議そうに首を傾げた。それが全く邪気のない様子だったから、穿って考えすぎただけかもしれない。
「だから、あなたなら本当にタマゴを大事にしてくれると思ったの。不思議なものでね、タマゴは大切にされればされるほど、きちんと生まれてくるのよ」
ジョーイは無事に生まれてくる可能性を上げたいだけだったらしい。そーだよな、医療従事者なんだから助けようとするのが当たり前か。
穿ちすぎてすみません。
「……うーん、でも俺、障害抱えたポケモンの面倒なんて見れませんよ。無事に生まれても、まだメリープの金も工面できてませんから連れていけません」
「障害を抱えていた場合は、ポケモン協会で引き取る事もできるわ」
え、何それ。確かポケモン協会ってリーグやトレーナー管理してる組織だったよな。
「どういう事ですか?」
「ラプラスが乱獲されて数が減ったのは知ってるわね? 繁殖活動の一環で、野生で生き抜けそうにない個体は保護の対象なの」
へー、保護。そんなのがあるのかぁ、なるほど。
「健康体で生まれた場合も保護して貰えますか?」
「それは無理ね。あくまでも、自力で生きられない個体の保護が目的だから」
「そうですか……じゃあ、無事に生まれたら、洞窟に返す事になりますね」
「そうね、あなたたちが連れていく気がないなら。今回は事情が事情だから特例になるだろうし、逃がした後を心配しなくても大丈夫よ」
それなら安心だな。だけど、うーん……どうしよう。ここまで聞いても俺は決断できない。
孵すだけなんてやっぱり無責任だと思う。ラプラスが珍しいなら、欲しがってるトレーナーに事情話して託した方がいいと思う。……てか、思い出したんだけどあのタマゴの親って、怪しい男どもに一度捕まったはずだ。人間不信になって、住処も変えてるかも。
「ジョーイさん、あのタマゴとその親、変な男たちに一度捕獲されたんです」
「え?」
「ちょっとまともには思えないトレーナーの集団だったんで、レッドさんが勝負して結局逃がして貰う事になったんですが」
嘘は言ってない。色々端折ってオブラートに包んではいるけど、事実しか言ってない。物は言い様って範囲だ。
「ラプラスたち、もしかしたら人間不信になってるかもしれません。そんなラプラスが、人間に孵化されたラプラスを受け入れられるんでしょうか」
「それは……わからないわ。でもラプラスは穏やかで賢いから、助けてくれたあなたたちに孵化された子なら、もしかするかもしれないわ」
つーことは何か、タマゴの事を思うならどうあがいても俺かレッドが孵化するしかないのか!
「リョウ」
「なんですか?」
「なにを、迷ってるの」
何を、かあ……うーん、納得してもらうためには、事情やら俺の考えやらを掻い摘んで話すしかないかなあ。
「健康体で生まれて、親元に返してやれなかったら、たぶんラプラスは孵化してくれた親代わりのトレーナーの元を離れがたく思うと思うんです」
「そうね、タマゴから孵ったポケモンは、野生のを捕獲したよりずっと人間を慕うわ」
あー、そうなんだ。野良を拾うより子供の頃から育てた方が懐くのは、動物もポケモンも一緒なんだな。
「だから、俺は連れて行けません。俺は身よりがないので、俺が死んだりしたら、ポケモンは野生に返されます。その時、ラプラスは行き場を失う。一緒に居たトレーナーとも仲間とも離される。辛い別れが必ず来るのに連れて行くなんて、俺にはできません」
「ポケモン保険」
驚いた。レッドは浮世離れした雰囲気を持ってるから、ポケモン保険を知っていたとは思わなかった。
「あれ高いじゃないですか。メリープの分も確保できてないのに、ラプラスを連れてくのは無責任ってもんでしょう」
「問題は、それだけ?」
「え?」
「お金があれば、連れてく?」
えーっと、まあ、そうだなあ。お金があればラプラスを連れて行きたかった。戦力的にも、波乗り的にも、手持ちに居てくれたら嬉しいポケモンだ。
と思ったけれど。
膝に視線を落とせば、未だに震えるメリープと気遣わし気に寄り添う2匹の姿が目に入る。連れてくってこういう事なんだよな。
「……やっぱり、連れてはいけません。軽い気持ちで引き受けて、恐い思いをさせるのは、良くないでしょう」
戦力になる、そんな気持ちでメリープを手持ちに加えた結果がコレだ。今までチコリータとイーブイは瀕死になるのも構わず飛び出して行ったもんだから深く考えて無かったけど、戦闘を厭う質の子も居るだろう。俺はチャンピオンを目指すつもりだ、バトルは避けて通れない。勝つため、チームを生かすために犠牲を要求する時は必ず来る。けれど、それでポケモンに二度と消えない様な傷を負わせるのも嫌だ。
そして、俺は戦力外のポケモンに金をかけられる程の裕福さもない。
「……バトル、恐怖はつきもの。野生でも、トレーナー、の、下でも。……トレーナーの、ポケモン、は、人が、生き残る、のを、優先させる。……人は、ポケモンより、ずっと脆い。ポケモンは、強い」
レッドの片言を必死に、俺なりに解読する。
野生でもトレーナーの手持でも諍いは避けて通れない。ポケモン大好きクラブの人間だって戦わせるのだから、バトルは絶対に避けられない。そしてバトルに恐怖は付き物だ。
ラプラスに限って言えば、貴重種として犯罪者に狙われるかもしれない野生で居るより、俺の元に居る方が生存率は上がるだろう。何かあればポケモンセンターに担ぎ込んで貰えるし、元気の欠片や傷薬なんて回復アイテムも使って貰える。
そして、人の元に居るならば、ポケモンより遥かに弱い人間を守るのが、ラプラスの、いや、トレーナーの手持ポケモン全ての成すべき事になる。生存率を上げる代償は、人に力を貸す事。人を守る事。
思えば俺の手持は、メリープを除けば貴重種ばかりだ。こいつらは人から離れては無事に生きていけないのかもしれない。
「……人とポケモンが共存する道を否定する気はありません。でも、そこにラプラスの意志は? 孵化するにしても、やはり里親を探すべきではないんでしょうか」
人災で親と離れなきゃいけなかったラプラス。歩むべき道を生まれる前から決めてしまうのは、どうなんだろう。……少なくとも、俺はそれに負い目を感じてしまうし、親の様に無償の愛情を注いでやる事はできない。
隣へ向き直ると、静かな黒い瞳が俺を見据えていた。何を考えてるのかわからない、感情の凪いだような目。
「……意志は、後、から、着いてくる。君だって、そう」
「俺?」
「……ラプラスを助ける、のに、躊躇した?」
いや、まあ、それは躊躇しなかったけど。あの時はあれこれ考える余裕がなかったから、目の前の事に全力だっただけだ。
「それとこれとは話が別でしょう」
「……ポケモンも忘れない」
「え?」
意味が分からずに聞き返したのに、レッドは手元で大人しく座っていたピカチュウに視線を落として、赤い頬をむにむにと撫でた。気持ちよさそうにピカチュウが手へ顔をこすりつける。
「……優しく、して、貰った事、辛かった事、忘れない。……自分で、生き方、選び取る。……ラプラスに、その機会を、あげて……君は、強制しないトレーナー、だと思う」
顔を上げて再び真っ直ぐ俺を見たレッドは、途切れ途切れの言葉の頼りなさとは裏腹に、揺るぎない静かな声で続けた。
「……君の元でなら、自分で……ラプラス自身で、生き方を決められる、と思う。」
ふとレッドが移した視線の先は、未だ丸まっているメリープと寄り添う2匹。
懸命に話しているのだろうけど、片言の域を出ない言葉は意志疎通するのに不十分だ。とりあえずラプラスの未来を思いやる言葉なのはわかったが、同時にそれは俺には負担にしかならない。俺は、慈善事業でトレーナーをしてる訳じゃない。
俺に何を期待してると言うのだろう。やはり連れてくのは無理だと断ろうとした時、レッドが先に口を開いた。
「……怯えた事、叱らなかった。無理を、させなかった……助けたい、と、ポケモン自身が動く。……そんなトレーナーに会えるのは、幸せ……幸せの、一つ。……ラプラスも、きっと、君の力になる」
メリープが怯えている事を頭ごなしに叱ったりしなかった。戦闘を強制しなかった。
俺を助けるためにチコリータとイーブイは自らボールから飛び出した。
だから、俺の元なら、ラプラスは俺たちと共に居る事を、強制されるのでなく、トレーナーのポケモンである事を自ら選ぶだろう、と、そう言いたいのだろう。
奇麗事だ、理想論だと切り捨てるには、レッドの瞳は真っ直ぐで揺らぎがなさ過ぎた。たぶん経験から物を言ってるのだろうし、少なからず俺自身、似た考えを持っている部分もあった。……レッドが言うような、慕われるトレーナーになれたらいいと思う。でも、俺は、最後には置いてくのに。
言葉を失う俺の耳にジッパーの音が届いた。自分でも気付かない内に俯いていた顔を上げると、レッドがリュックを漁っているところだった。
意図を計りかねて様子を伺っていると、レッドは薄汚れた黄色い財布をだした。厚みがちょっと尋常じゃなくて、ピカチュウの刺繍もぱんぱんになってる。
「あの、レッドさん、もしや」
俺の要領を得ない問いには答えず、男が持つには可愛すぎる財布から4枚の萬札を抜いて差し出して来た。
「使って」
「いや、いやいやいや、そんなの受け取れません!」
「使って」
「だめです!」
「いいから」
「レッドさんが良くても、俺はだめです。ってああ、貸して貰えるって事でしょうか?」
「いや、あげる」
「そんな大金貰えるかっ!!」
俺はすごくまともな事を言ったのに、レッドは不満そうに少し眉根を寄せて、お札をずいっと差し出してくる。
「あほかっ! いいか、貸して貰うならまだしも施してもらったらなあ、俺は結局ラプラスについて責任を持ってないって事になるんだよっ! だいたいまだ連れてくなんて言ってないし! つうかそもそも軽々しく大金を渡そうとすんな! 不用心だ!」
「なんで」
「なんでもへったくれもないわ。俺は受け取りませんよ」
「……君は……」
「はい?」
お金と財布を握ったまま、レッドは何か考えるようにしばらく視線をさまよわせた。
「君のできる事、して。……ラプラスを、大切に、して。……お金出すは、僕が、出す。……それが、君、と、僕に、できる事」
「…………えーっと、つまり、お互い出来る限りの事をしてラプラス助けてやろう、って言いたいのでしょうか?」
こくっと、無表情にレッドは頷いて金を差し出して来た。
「いや、でも」
「受け取ってあげたらいいと思うわ。タマゴはあなたたち2人が拾ってきたのだもの、協力すると思えばいいのよ。もしあなたが逃がしたいと思ったなら、そうすればいいわ。その時は、私も力になる。個人的にだけど」
個人的に、って、もしかしてラプラスを引き取る事もやぶさかじゃない、って事だろうか。なら安心だな。
いやしかし金もらうってどうよ。この金はレッドの心尽くしなんだろうけど……。
真っ直ぐで期待を込められたレッドの瞳から逃げるようにジョーイを見ると、こちらも期待するような顔をしていた。
あああ、なんで、俺、真面目でも優しい人間でもねーってのに!
「……うう、わかりました。ラプラスとお金、お預かりします」
いつか返そう。そう考えながら金を受け取ると、レッドは嬉しそうに微笑んで、ピカチュウも嬉しそうに鳴いた。