緑溢れる中庭に移動するとチコリータは機嫌を少し直したようで、ちまちまと探索し始めた。

「ワカナはその花が好きなのか?」

 花壇を覗き込んでいたチコリータは俺を無視して行ってしまう。地味にへこむぞ、これ。
 そんな俺に苦笑して先生がチコリータに話しかけると、嬉しそうな返答がある。

「ピンク色が好きなのかい?」
「ちこー」

 切ねえー。手持ちに無視されるとか、まして最初のポケモンに無視されるなんて悲しすぎるだろ!

「ぶいー」

 のんきに蝶々を追いかけるイーブイが通り過ぎていく。周りののどかさが、なんだか無性にやるせない。
 思わず苦笑いしていると足元へイーブイがやってきた。得意げに喉を鳴らすその口元に、さっきのモンシロチョウさんが。

「う、わーおばかちゃん! 虫なんかくわえちゃだめだって! ほら、ぺっ! ぺっしなさい! お前虫なんか食べないだろ!?」

 吐き出させるにはどうしたらいいんだ!? 蝶の羽って結構脆いから、無理やり口を開けたらまずいだろ。
 イーブイの口元に手を持って行った状態で固まってると、イーブイは俺の手にモンシロチョウをおいた。これ幸いとばかりに、慌ててモンシロチョウが飛び立ってゆく。
 それを追うでもなくただ俺に向かってにこにこ笑うイーブイは、まったく悪気なくてむしろ得意げだ。

「ぶいー」

 もしやこれは、猫とかがやると言う獲物自慢だったんだろうか?

「捕まえたから見せびらかしにきたのか?」
「ぶい」

 こっくり頷いたイーブイを撫でてやる。悪気ないんじゃ強く出れない。

「そうか、見せてくれてありがとうな。でも虫はとっちゃだめだぞ、結構脆いんだからな」
「ぶいー」

 聞いてるんだか聞いてないんだか、イーブイは撫でられてご満悦の様子。もっとなでれとよじ登ってきたイーブイの口の周りが僅かに白くなっていて、俺は思わずのけぞった。

「こら、やめろっ! お前鱗粉ついてんじゃ、ぎゃー」

 その口を顔に寄せるな、と叫ぶ前にぐりぐり擦り付けられた。

「あーもーお前は、あははは、しょうがないなあ」
「ぶーいー」

 思わず笑いながら、嫌がるイーブイの口を手で拭って自分の頬も拭う。マイペースでおばかちゃんだけど憎めないんだよなあ。

「きゅっ」
「うぇっ!?」

 俺の腕から吹っ飛んだイーブイが、鳴きながら空を舞う。突如として体当たりしてきたチコリータに飛ばされたのだ。俺の上に着地したチコリータは俺を蹴りつけ、地面に転がったイーブイへと飛びかかっていった。

「え、ちょ、ワカナさん? いやいや、ダメだって、喧嘩はだめ!」

 べっちんばっちん! 頭の葉でビンタしまくるチコリータを慌てて抱き上げると、イーブイはびっくりして固まっていた。

「大丈夫か、イーブイ?」
「ちこー!」
「いたっ! 痛い痛い、痛いよワカナ」
「ちこちこちー!」

 暴れまくるチコリータを落とさないよう必死に抱えていると、葉っぱだけでなく頭が顎にごちんとクリティカルヒットした。思わずチコリータを抱えたままうずくまる。
 言葉もなく悶絶する俺をチコリータが無言で振り返った。先生も心配そうな顔でこちらにやってくる。

「大丈夫かい、リョウくん?」
「は、はい」

 とは言ったものの涙目になってる自信があった。顎の下なんてモロ人体の急所に不意打ちで入ったのだ、痛くないわけがない。

「ぶいー?」
「大丈夫大丈夫。イーブイは大丈夫か?」
「ぶい」

 顎をさすりながら問う。にっこり笑ったイーブイは平気そうだ。チコリータも本気じゃなかったんだろう。当のチコリータはそっぽを向いてしまったけど、流石にバツがわるそうだ。

「チコリータも大丈夫か? どこも痛くしてないか?」

 無言の頷きが返る。取りあえず俺を無視するのは止めてくれたらしい。

「みんな怪我なくて良かったな」
「ぶいー」

 一番の被害者だと言うのに、気にする素振りもなくイーブイが笑う。と、チコリータはちらりとそちらを見やった。
 イーブイと向かい合うよう、チコリータを抱え直す。

「ワカナ」

 ぴくっと反応はあったものの顔を上げない。別に頭ごなしに叱ろうってワケじゃないんだけどな……その意志を伝えようと、そっと頭を撫でてみる。

「俺がイーブイばっかり構うのが嫌だったのか?」
「……ちこ」

 小さな声はしょげ返っていた。しょうがない、これは俺が悪かった。

「ごめん。ごめんな、無視したりはしないから。仲直りしてくれるか?」
「ちこ」
「そうか、有り難うな」

 頷いたチコリータをぐしゃりと撫でてから、そっと地面に下ろす。
 仲直りはしたけど、見上げてくる顔に一つだけ言わなきゃいけない。

「俺はいいけど、イーブイには謝るんだぞ。いきなり喧嘩仕掛けたんだから」
「ちこっ!?」

 ええっ!? とびっくりしたチコリータに、だめだ、喧嘩両成敗。と言えば、膨れながらもイーブイに向かって鳴いた。

「ちこち」
「ぶいー」

 イーブイがチコリータに笑いかける。仲直りはできたみたいだ。

「すみません先生、こんなとこで喧嘩はじめちゃって」
「いいよ、青春だねぇ。仲良きことは美しきかな」

 蚊帳の外だった先生は、なんだかにやにやと見守る体勢だった。そのことには気付かない振りをしておいた。だってつついたらやぶ蛇だろ、絶対。

「ねぇ、リョウくん」
「はい?」
「ワカナちゃんとイーブイも仲良くなれたことだし、イーブイを連れて行ってくれないかな」
「え?」

 イーブイを連れて行くって、手持ちにすんの? 俺はいいよ、イーブイ好きだし、気心知れてるから一緒に行けるのは嬉しい。けどさ、問題あるんだよね。

「俺、交換できるポケモン居ませんよ」
「大丈夫、譲るから」
「や、でも、イーブイは先生のポケモンでしょう?」
「今はね。でもポケモンセラピストはポケモンを譲ることもあるんだよ。ね、イーブイ」
「ぶい」

 こっくり頷くイーブイ。ここから出て行ったポケモンを見たことがあるのだろう。

「イーブイは君を気に入ってるし、頼りになるから連れて行ってごらん」
「ええと、じゃあイーブイ、お前は? お前は、俺について来てくれるか? 一緒に行きたい?」
「ぶいー」

 しゃがんで尋ねると、にっこり笑って頷ずいたイーブイが、俺の手に頭をこすりつけた。

「ほんとにいいのか? 先生とお別れしたら、寂しいだろう?」

 よじ登ってきた体を抱き上げる。上機嫌にぺろぺろと顔を舐められる。たぶん、俺を選んでくれた。そう思ったら心がぶわっと暖かくなった。懐いてくれてるのは知ってたし、俺も気軽に接してたけど、まさかついて来てくれるとは思ってなかった。

「君は変なところで遠慮しいというか、考え過ぎな所があるから、その子ののんきさは助けになるはずだよ」

 その言葉で、病院を出てから初対面の人ばかりで、1人になれる時間もあまりなかったから、被った猫を下ろす暇なかった事に、つまるところ気が休まる暇がなかった事に今更気付いた。つうか気付かされた。
 先生とイーブイはお見通しだったんだろうか?

「ワカナ、今夜も3人でご飯になるよ」
「ちー!?」

 俺達のやりとりをただ見つめていたチコリータを抱き寄せる。少し暴れても気にしない。

「有り難う……有り難うございます。イーブイ、しっかりお預かりします」
「うん。ワカナちゃん、悪いけど男2人の面倒を見てやってね。2人ともマイペースなところがあるから」
「ち、ちこっ?」

 もう決定なの? と言う風にチコリータが目を見開いた。

「ワカナは、嫌か?」
「……」
「ぶいー」
「ちーっ!?」
「ぶっ」

 問いには沈黙が返った。しかしにこにこ上機嫌なイーブイは、よろしく、とでも言うようにチコリータの顔を舐めて、驚いたチコリータがぴんと頭の葉を立てて、それが俺の顔にヒットする。

「ちーちこちこちー!」
「ぶいぶーい」
「ちこーっ!」
「痛い痛い痛い、膝の上で暴れないで」

 のんきに笑うイーブイに怒鳴って、チコリータはまたぺしぺしと叩き出した。イーブイが逃げ出し、それをチコリータが追う。喧嘩というよりはじゃれあいに見えた。

「うん、なかなかいいチームなんじゃないかな」
「今のやりとりのどこを見たらその結論が出るんですか」
「君は以外と警戒心が強いし、ワカナちゃんは意地っ張りだから。コミュニケーション不足になりがちだろう?」

 コミュニケーション不足、ねぇ。

「自覚ないって顔だね」
「はあ、警戒心が強い自覚はあるんですが……。コミュニケーション不足ってわけじゃなくて、まだお互い距離を測りかねてるだけだと思うんです」
「そうだねぇ。だから、イーブイがいい緩衝材になってくれるよ」

 チコリータは、まだ俺を見極めているのだと思う。
 俺だって初対面から仲良くってのは、猫を被ってないと難しい。となれば本性を出せるようになるまで、どこかしら他人行儀な関係になってしまう。
 そんな俺でものんきなイーブイにはすぐ打ち解けられた。イーブイはとにかく人懐こくて大らかなのだ。だからチコリータもイーブイにはすぐに打ち解けて、その波及効果で俺達の関係も良くなるんじゃないか、と言うことだろう。

「そうですね」
「そうだよ」

 先生は笑って俺の頭を撫でた。やめて、俺もあんたも成人男性なんだからやめて。撫でられるなら女の子がいいよ! いやむしろ撫でる方がいいな、うん。


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