草むらの朝露を弾きながら、尻尾をふりふりイーブイが進んで行く。好奇心のままにあっちへこっちへ。目を輝かせてきょろきょろと落ち着き無い様子は、病院では見られなかった姿だ。

「あんま遠く行くなよー。野生のポケモン出るからなー」

 きゅー、と甲高い鳴き声は気もそぞろな様子で、走り出しては急に足を止め、また走りだす。おかげで俺はいつ見失うかはらはらしっぱなしだ。それでも止めないのは病院の窮屈さが頭を過ぎるからなんだけど。
 ま、これから外の世界で生きて行くんだ。多少は冒険して痛い目みて、自分で学習するしかないからな。本当に危ない時はボールに戻せばいいわけだし。

「きゅっ!?」
「なんだ!?」

 つい心配し過ぎてしまう自分を諫めていたところに、イーブイの悲鳴が届く。飛び上がった、という表現がぴったりな勢いで後ろ足立ちになったイーブイに駆け寄る。逆毛を立てるイーブイのすぐ傍に、横倒しになったトランセルがいた。イーブイはこれを踏んづけて驚いたらしい。
 トランセルは目を閉じて微動だにしない。ただの屍のようだ。いやポケモンは瀕死になろうとも死には……ってそれはバトルオンリーの話だよ。寿命とか病気とかで、ってのは当然あるわけで。
 小学生の頃、学校の裏庭にあった雑木林に埋めてやった金魚が頭をよぎった。もしもの場合は埋めてやった方がいいのか?

 ……トランセルって、確か硬くなるしかしないよな……。
 攻撃されないだろうとは思っても引け腰になるのは止められない。子供の頃はカマキリだろうとオニヤンマだろうとセミだろうと躊躇なく捕まえられたけど、田舎を離れて大人になるうちに接し方を忘れて怯えが先立つようになっていた。カミキリムシに指の皮切られたのが決定打になったと思う。なによりトランセルでけぇし。
 でも確認しないとな。よし。
 そーっと指先を近づける。

「……動かねえ」

 つんとつついても反応はない。マジで死んでたりしないだろーな……?

「ノックしてもしもーし、トランセルさーん? うーん。なあ、これ生きてると思う?」

 つんつんしながら聞く俺に、イーブイは首を傾げた。お前にもわかんないかぁ。

「取り敢えず、端っこに避けてやるか」
「ぶいー」

 生死はわからないが、ここは草むらのど真ん中。いつまた誰かが踏んづけるとも知れない場所だ。
 このあたりのポケモンのレベルは低くて、駆け出しトレーナーの狩り場だと言うから、物慣れないトレーナーが走り回って事故ったらスプラッタになるかも知れない。トランセルの中身は非常に柔いらしいしな。っていうか、もしやこれは狩られた後なのかね?
 そんな事を考えながら運ぶ途中、いきなりトランセルが動いた。

「うおあっ!?」
「きゅっ」

 思わず落としてしまったが、身をよじって器用に距離を稼いでいく。硬直から立ち直った俺たちの視界からトランセルが外れるより、俺たちが歩いて去る方が早いような速度だけど。
 えっちらおっちら、なんてかけ声が聞こえそうな必死さだが、返ってそれが滑稽……いや、微笑ましいとしておこう。どちらにせよ、トランセルに失礼な表現かもしれないが。
 しゃがみ込んでしばらく見守った後、俺はトランセルに声をかけた。

「強く生きろよー」
「ぶいー」

 イーブイものんきそうな声をかけた。肝心のトランセルが聞いているかはわからないが、無事ならいいや。

「行こうか」
「ぶい」

 立ち上がって進むべき方向へ向き直った俺は、短パン小僧と虫取り少年がばっと視線を逸らしたのを見た。
 ……おおう。
 近付いて見れば肩がぶるぶる震えている。短パン小僧の足下からコラッタが、2人をきょとんと見上げていた。

「見てた?」
「う」

 野生のポケモンに話しかけるという、独り言じみた行動を。
 言外にそう問いかければ、ぐぅと喉の奧で呻いた短パン小僧が我慢しきれずにぶはっと吹き出した。すると釣られたらしい虫取り少年も吹き出した。俺は恥ずかしいのを笑ってごまかす。
 イーブイとコラッタが揃って不思議そうに首を傾げた。





「お前も珍しいの連れてるなあ」

 しばらくして笑いが収まった短パン小僧は、イーブイを見て言った。

「お前もって?」
「昨日はヒノアラシ、一昨日はワニノコを連れた奴と対戦したんだよ」

 昨日ヒビキと対戦したってことは、一昨日はバトルなんて寄り道はしないで真っ直ぐポケモン爺さんとこ行ったんだな。偉いね、良い子だ。……ん? ここってまだキキョウシティとポケモン爺さん家への分岐点じゃないよな。トレーナーが待ち構えてるのはキキョウシティへ向かう道の方で、このあたりはお役立ち情報をくれる短パン小僧だか虫取り少年が1人いるだけだったような……。
 2人の後ろにボングリの木を庭に生やした民家が見えているから、場所に間違いはないと思う。でもまあ、ゲームみたいにいつも同じ場所に同じ人がいるとは限らないか。生きてるんだから動くのは当たり前だよな。
 自問自答して納得すると、今度はライバルに脱力を覚えた。なんつうか、ずいぶん堂々とした逃走だ。痕跡残しまくりじゃん。こんな調子じゃ俺が口を噤んだところで、シナリオクリア前にお縄なんじゃねぇの?

「うん、お前なら勝てそうだな。勝負だ!」

 少し口を噤んで俺を眺めていた短パン小僧の上から目線と、舐めてるとしか思えない言葉に面食らう。油断は命取りだと思うんだけどね。

「いいけど……ワニノコとヒノアラシには負けたんだ?」
「ポッポとコラッタにもだよな」

 30番道路で負け続けでコラッタ連れ、という情報から一つの名前が浮かんだ。
 お前ゴロウか。コラッタ自慢がうざいけど、再戦するとマックスアップくれるんだよなあ。たった一個じゃあんま有り難みないと思ってたけど、現実なら美味しいよな。なんたって一個9800円のアイテムプラス賞金、しめて1万オーバーをぽんとくれるわけだ。気前いーい!

「うっせ! 鍛えたんだよ! いけっ、コラッタ!」
「らった!」

 虫取り少年の茶々を掻き消す勢いでゴロウがびしっと指を指し、コラッタも応える。熱いなぁ。

「モチヅキ、行ってみるか?」
「ぶいー」

 とことことイーブイが前に進み出たので、ポケギアをいじってバトルの画面に切り替えた。コラッタとイーブイの簡易なデータが表示される。これ、どういう風にバトル相手を認識してるのかね。

「気ぃ抜けるなぁ、キビキビしろよ」

 と言われても、負ける気しないから緊張感に欠けるんだよな。あ。

「なぁ」
「なんだよ?」
「どのタイミングで始めたらいいんだ?」
「はぁ?」

 少し離れて観戦の体勢に入っていた虫取り少年が、にやにやと口の端を歪めた。俺、まじめに聞いたんですけど。

「タイミングって……そんなの適当だよ、てきとう!」
「それがわかんないんだよ。合図とかしないの?」

 ゴロウが変なものを見たという顔をして、視界の端では虫取り少年が歯を見せて笑ってる。そんなにおかしい事言ったか?

「お前、ヘンなヤツだな」

 それは承知の上です。でも初心者が格好付けてもしょうがないだろ。若葉マークな今の内に、なるべく疑問は解消しておきたいんだよね。

「路上のバトル初めてなんだよ」
「まじで!」

 おいおい、あからさまにカモネギ来たーって顔すんじゃねーよ。そんな油断しぃだから3連敗しちまうんだよ。

「君おもしろいねー。僕が合図だしてあげるよ。それでいいだろ?」
「俺はいつでも構わないぜ!」
「らーった!」

 ゴロウの勢いに乗るように、コラッタが雄叫びっぽいものをあげた。ただの秘伝要員だと思ってたけど、こうして見ると可愛いな、コラッタ。

「君は?」
「いつでもいいよ」

 笑顔で言えば、ほんと気ぃ抜けるなーとゴロウがぼやいた。余裕があると言って欲しいね。

「じゃあ行くよー。試合開始!」
「電光石火だ!」
「あくび!」

 風を切ってコラッタが飛び出す。ラッタ系と言えば電光石火と必殺前歯と怒りの前歯だよな。レベル6って、どんな技覚えてたっけ?
 大あくびをしたイーブイの口から出た、ほわほわとした白い煙りを突っ切るようにコラッタが襲いかかる。ばしんといい音を立てて、右斜めから素早いタックルが入った。レベル10のイーブイは十分な余裕を残して持ちこたえる。もう2発は余裕だな。……急所こなくて良かった!
 一方コラッタと言えば、欠伸が当たったってのにちっともよろついた感じはない。命中100パーセントだから当たってるはずだけど。

「モチヅキ、交代だ」
「あっ! 控えいんのかよ! ずっけー!」

 ずっけーですと? モンスターボールにだってバトル画面出るんだから、控えの有無くらい確認しとけよ。

「待ったナシだかんな。頼む、ワカナ!」
「ちっこりー!」

 今朝ぶりに外へ出たチコリータはやる気十分、たしん! と足を踏みしめる。

「くっそー、もう一度電光石火だ!」
「耐えてくれよっ!」

 交代したターンは、こちらは何も出来ない。コラッタの一方的な攻撃でチコリータのHPが半分近く削られた。それで勢いづいたらしいゴロウが勇ましく次の指示を出す。

「電光石火! ん? コラッタ?」
「悪いね。ワカナ、葉っぱカッターだ」

 先制攻撃を指示したのに動かないコラッタにゴロウが様子を伺う。交代で1ターン消費した間にコラッタはうとうとし始めていた。欠伸は技を出してから1ターン経過すると、そのターンの終わりに必ず眠らせる技だからな。
 しかし眠り状態って言っても、完全に寝るワケじゃないらしい。ま、どっちにせよ行動不能に変わりはなさそうだ。
 ぺたんと座り込んだコラッタに葉っぱカッターが命中する。ポケギアに表示された相手のHPバーは3分の1を切ってレッドゾーンで止まった。同じレベルだってのに思ったより削れたなあ。葉っぱカッターの急所補正きたか?

「しっかりしろコラッタ!起きてくれ!」

 起きるなよー。昔とは違って、眠り状態が1ターンで解けてしまうご時世だ。祈らずにはいられない。電光石火怖いよ、タイプ一致先制技怖いよ。

「もう一度、葉っぱカッターだ!」
「ちぃっこー!」

 ぶん、と頭の葉が振り回されて、その軌跡を追うようにふわりと半透明の幻の葉が浮かぶ。そうして現れた葉は次々とコラッタに命中した。見事HPを削りきったところで、船を漕いでいたコラッタはパタンと仰向けに倒れる。よっしゃ!

「ああっ! コラッター!」
「ナイスワカナ! 偉いぞっ!」
「ちっこ!」
「いたいいたい、首がいたいですワカナさん」

 思わず抱き上げてぎゅうと抱きしめたら、蔓で顔を押しやられた。そんな嫌がらなくてもいいじゃないか……。


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