緩やかな曲線を描きながら森の合間に伸びる道は、整備されていて野生のポケモンは出ない。コンクリートの道が珍しいのか、チコリータはしきりに足元を気にしながら歩いていた。ここまで来るまで街中でも土が剥き出しの、自然あふれる場所ばかり通ってきたもんな。
この道はヨシノ総合病院へと、俺が昨日まで入院していた場所へ続いている。
隔離されるような立地なのは精神科の隔離病棟がある故なのかとか、昨日の今日だけどイーブイは元気かなとか、貧乏とはいえ手土産が安いお菓子ってマズったかな、なんて考えてるうちに着いてしまった。
広大な庭を持つ大きな病院は、白くて綺麗で開放感がある。けどその周りは生け垣や高い柵で囲われていて、どこか息苦しい。
ただ建物を見上げてただぽかんと口を開けるチコリータを見るにつけ、たぶん収容されたことがある者だけの感想なんだろうけど。
「ワカナ、ここじゃはぐれたり騒がないように気を付けるんだよ」
「ちこ?」
「ここは病院だから、具合が悪くて入院してる人がいる。そういう人に迷惑をかけちゃだめだ」
すぐ頷いてくれると思ったのに、チコリータはただ俺を見つめるだけだった。
「ワカナ? わからなかったか?」
「ちーちこちこ、ちこー」
うんごめんわかんない。どう説明したもんかと悩んでいると、チコリータは蔓をのばして俺の手を引っ張った。ちびっこいクセになかなか力が強くて、たたらを踏んでしまう。
「とっとっとっ、危ない危ないって、ワカナ!」
「ちーこー」
ぐいぐいと力を込めて引っ張るチコリータの力に逆らいきれない。すげーパワーだな!
「まってまって、転んじゃうよ!」
「ちこっ」
はっとしたチコリータは引っ張るのを止めた。でも蔓は絡んだままだ。
「いきなりどうした? 病院が怖いのか?」
「ちこ」
「怖い人でもいたか?」
「ちこ」
どちらの問いも答えはNOで、弱ってしまった。なんでそんなに嫌がるんだ?
「大丈夫、ここはワカナの嫌がるような事をする場所じゃないよ」
「ちーちこ?」
不安そうに見つめられても困惑が募るだけだ。何がそんなに不安がらせているんだろう?
「嫌ならボールに入ってればいいよ」
「ちこー!」
「うおっ」
ぶんぶんと首を振ったチコリータは、今度はぺたりとくっ付いて来た。なんだよ、可愛いな。
「どうしたんだよ、ワカナ?」
「どうしたんだい?」
突然の第三者の声に思いっきり肩が跳ねた。ポケモンに話しかけてるとこ見られた! はっず!
「いや、ちょっと病院に用事なんですけど」
「ん? 君は昨日出発した子じゃないか?」
「え? あ、昨日の警備員さん!」
振り向いた先で優しげに笑う、年配にさしかかった警備員には見覚えがあった。昨日の朝、門に詰めていて先生たちと一緒に見送ってくれた人だ。
「なにがあったんだい?」
ほっと安心するような暖かい笑みを浮かべる警備員を見上げてチコリータは動きを止めた。今なら簡単にボールに戻せるけど、意思疎通が敵わないままボールに戻すのは良くないだろう。
「先生にお借りしたピジョンを返しにきたんですけど、ワカナがむずがっちゃって」
「そうなのかい。ワカナちゃんは病院は嫌いかい?」
病院好きなやつなんて相当な物好きだけだろー。と内心つっこんだが、チコリータは首を振った。物好きさんだったのか?
「お兄さんはここに用事があるんだって。入るのが嫌ならおじさんと待ってるかい?」
「ちこー」
チコリータは首をふって、俺をつかむ蔓に少し力を入れた。警備員が微笑ましそうに笑う。
「大丈夫だよ、ここはお兄さんに痛いことをするところじゃないからね」
「ちこ?」
「本当だよ。お兄さんは借りたポケモンを返しに来ただけなんだって。痛いところもないよ」
会話が成立した事にあっけに取られていたが、チコリータが不安そうに見上げてきたので慌てて肯定する。
「そう、ピジョンを返しに来ただけだよ。ピジョンはここの先生から借りていたから。怪我とかももちろん無いよ」
「ちっこ」
ほっとした様子でするすると蔓を収納していくのに、思わずおじさんをまじまじと見つめてしまった。
「よくわかりましたね?」
「ははは、トレーナー歴だけならもう30年になるからねえ」
継続は力なりって言うけど、なかなかこんな風にはなれないような気がする。初対面のポケモンの気持ちを察するなんてエスパーみたいだ。
そういやこの世界ってエスパーいるんだっけ。えーとなんだっけ、心読むのって……
「サイコメトリ?」
「ん? ああ、ははは。私は超能力者なんかじゃないよ。さ、ワカナちゃんも納得したみたいだし、中に入りなさい」
「有り難うございます。行こうか、ワカナ」
「ちっこ」
院内の待合室。俺の隣にちょこんと座ったチコリータは、きょろきょろと視線を移していた。受付前の広い待合所は午後の診察ぶんの人で溢れているから、田舎の研究所育ちには珍しい光景として映っているのだろう。
名前を呼ばれたのでチコリータを伴って奥へ進む。
「ワカナ、歩きづらくないか? 抱っこしようか?」
「ちーちこ」
人が多いので抱っこしようとしたら嫌がられた。ちぇっ。
エレベーターや廊下ですれ違う人に、チコリータが忙しなく首を回す。ここの精神科はジョウトで一番大きく、ベッド数もさることながら最新の治療法を求めて通院する人も多い。だから必然的に院内は人で溢れているのだ。
俺たちが通されたのは診察室じゃなく、ポケモンセラピストの先生達の準備室。そこには1人の先生と1匹のイーブイだけが居た。他の先生やポケモンたちは出払っているのだろうか。
「昨日ぶりです、先生、イーブイ」
「ぶいー」
ふかふかの尾をふりふりと振りながら、イーブイが足にすり寄る。しゃがんで撫でると俺の膝に前足を置いてそのまま顔を舐め、相変わらずの人懐っこさで出迎えてくれた。
「いらっしゃい、順調に行ってるみたいだね?」
「はい。ワカナ、この人はこの病院の先生だよ」
セラピストをどう説明したら解ってもらえるのか。それが解らなくていい加減な説明をすると、先生は笑い声をあげた。
「先生だなんて大げさな。僕はここで退屈してる人の話し相手だよ。いらっしゃい、ワカナちゃん。お茶でも飲むかい?」
「ちこりー」
ぴんと葉っぱを立てて挨拶する。お行儀がいいねと笑って、先生はローズヒップのハーブティーを出してくれた。
「ピジョン、有り難うございました」
「どう致しまして。お帰り、ピジョン」
「ぴじょー」
モンスターボールから出たピジョンは一度ばさりと羽を伸ばしてから先生の隣へ寄り添った。先生が労わるように喉をカキカキ掻いてやる。
「どうぞ、これみんなで食べてください」
「おや、有り難う。でも次からはこんな気遣いはいらないよ、もっと気軽に訪ねておいで」
クッキーの詰め合わせをにこにこと受け取ってくれた先生は、早速封を切って、棚から取り出した饅頭や煎餅とともに勧めてくれた。アンバランスだけどせっかく出してくれたものだ。1つくらい手をつけるのが礼儀だろう。
チコリータのために煎餅を砕いてあげてから、自分の分の饅頭を取る。と、イーブイが俺の手にじゃれついてきた。くれとねだっているのだ。
「あげてもいいですか?」
「構わないよ」
一応聞いてみればすぐに肯定が返る。この部屋にあるものは大抵がポケモンも食べられるものだし、俺が持ってきたクッキーも同じだ。
千切った饅頭を手の平に載せて差し出すと、イーブイはさりさりと舐めるように口にした。少し手の平がくすぐったい。その様子を見つめていたチコリータにも千切って差し出す。
「はい、ワカナもどうぞ」
「……ちい」
ふんふんと匂いを嗅いだが、微妙な表情ですぐに首を引っ込めてしまう。
「饅頭は嫌いか?」
「ちこ」
首を振って否定はしたが、口にしようとはしない。すると自分のぶんを食べ終えたイーブイが、膝に乗り上げて俺の手を引いた。食いしん坊だ。
チコリータがいらないなら、とイーブイに差し出す。チコリータはテーブルに飛び移ってお茶を口にした。そっちが良かったのか。
「そんなに順調でもないようだね?」
「え?」
「ワカナちゃん、拗ねてるみたいだよ」
「え、え?」
疑問符を浮かべた俺に先生は苦笑した。
「ワカナちゃんは意地っ張りなんじゃないかな?」
「えーと、そう言うのって見ただけでわかるもんですか?」
警備員といい先生といい、なぜこうも言い当てられるんだ?
「今回はね、わかりやすいから。君がポケモンに慣れてないのはわかるけど、大切にしてあげないと」
大切、かあ。
「無碍にしてるつもりはないんですが……」
「無碍にしないことと大切はイコールじゃないよ。と言っても難しい事じゃない。もっと構ってあげればいいだけだよ。言葉が交わせない分はコミュニケーションでカバーすればいい」
「はい」
構う、構うね。って言っても抱っこや撫で回されるのは好きじゃないみたいだし、構い過ぎて嫌われたら本末転倒だよな。
「ワカナ、クッキー食べる? これは甘さ控えめだから美味しと思うよ」
とりあえず餌付けだ、とクッキーを割って差し出すけど、こちらを見向きもしない。食いしん坊のイーブイがまた袖を引いた。それを見ていた先生は大笑いしだした。
「あっはっは、どうやらワカナちゃんはイーブイに嫉妬してるみたいだね」
嫉妬? と口に出す前にチコリータが先生に飛びかかって行った。ってコラ!
「ちこー!」
どーんと体当たりしたチコリータを先生は軽く受け止める。
「なにやってんだワカナ! イーブイ、ちょっと降りてくれ」
「ぶいー」
「いいんだよ、リョウくん」
「ちーこーっ!」
先生は何でも無いと言う様に笑って受け止めていたけど、ひょいとイーブイをのけて、葉っぱでペチペチ叩き続けるチコリータを持ち上げる。
「だめだろ、先生叩いちゃ」
「ちこーっ!」
「あいたっ」
ぺーんとほっぺを叩かれた。結構痛かったぞ!
「ワカナ、暴れるなって、落ちちゃうって、ああー」
べちっと、落下とも着地ともつかない音を立てて床に降りたチコリータは、距離を取ると俺に向かって威嚇した。
「ワカナ?」
「ちーっ!」
困惑して問いかけたが返答は、ぶんぶかぶんぶか、頭の葉っぱを振り回しながらの威嚇だった。当たったらなかなか痛そうなスピードだ。
「なに怒ってるんだよ?」
「ちーっ!」
「威嚇されてもわかんないよ」
「ちーこちこっ」
ごめん、説明されてもわからなかった。
どうしたもんかと動きあぐねていると、チコリータはぷいっとそっぽを向いてドアに向かってしまった。が、当然開けられないし開かない。
「ちーちこーっ!」
「だーめだって、まだ帰らないよ。それに病院を1人でうろうろしちゃダメだ」
べちっと扉を叩いて催促されたが、まだ開けるわけにはいかない。最初はピジョンを返すことだけが目的だったけど、今は尋ねたい事ができてしまった。
「どれ、じゃあ僕と散歩に行こうか」
席を立ったセラピスト先生が、チコリータに目線を近づけるためにしゃがみ込む。
「日向ぼっこするには遅いけど、ここの中庭は緑が溢れてて綺麗なんだ。君も気に入ると思うよ」
ね、と笑う先生にチコリータは頷いた。優しく頭を撫でた先生が抱っこしようか、と言って抱き上げると大人しく腕に収まる。直前まであんなにイライラしてたのに……これもトレーナー歴の差なんだろうか。
「ぶいー」
「うお、なに登ってるんだよ?」
微妙にへこんでる俺などお構いなしに、イーブイは器用にジーンズを登ってくる。若干爪が刺さって痛いんですけど。
落ちないように抱き上げてやれば、イーブイはもぞもぞと動いて居心地の良い体勢で落ち着いた。
「お前も抱っこして欲しくなっただけかよ」
答えは満足そうに鳴らされる喉でわかる。出会った時からだけど、本当に人懐こい性格だよなぁ。
「しょうがないトレーナーだね、ワカナちゃん」
「あ」
苦笑する先生の腕の中でチコリータが丸まっていた。丸まるなんて覚えないだろー、お前。なんてからかっちゃいけないのはさすがにわかったが、なんつうか後の祭だよな。
デリカシーないんだろうか、俺。
……うん、たぶん無いんだろうな。俺はもちろん、機嫌よく喉を鳴らし続けるイーブイにも。
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