彼は朗らかに笑っていた。
 血まみれで、自分の脳髄と肉片にまみれたまま。
 ただ、しあわせな顔で。



「簡単だよ、ワンツースリーで飛べばいいんだから」



 屋上の落下防止フェンスに凭れて、彼はそう言って笑った。
 わたしはそんな彼を斜目に眺めながら、遥か下方を覗く。
 地上では部活に勤しんでいる生徒の姿があり、笑い声や掛け声が響いている。
 わたしのような死にたがりやとは似ても似つかないほど、生き生きと輝いていた。



「わかってるよ、」


「わかってない、」



 まるで言葉遊びみたいに、即座に切り返された。
 笑みを含んだ声音でどことなく、呆れているようにも聞こえる。
 わたしはそんな彼を見つめて、なんだか泣きそうな気持ちになった。



「ツバキは殺すより殺される側だね」



 彼はにこにこ笑いながら、わたしの髪を撫でる。
 触れてくる指の心地よさにわたしは目を細めた。



「どうして?」


「俺がそう願っているから」



 彼は笑う。そして、わたしを優しく抱き締める。
 わたしは彼のぬくもりを肌で感じて、ふと自分の今までを想った。
 気づけばわたしはいつも、居場所を探していたように思う。
 誰かにすがりたくて、ぬくもりを分けてもらいたくて、躍起になって傷ついたりもした。



 けれど、それを何度も繰り返して気づくのだ。
 結局、誰の隣にいてもふとした瞬間に、孤独になる自分に。



 わたしはきっと、孤独でなければ生きてはいけないのだと。



「キキョウ」



 キキョウも、もしかしたら、ずっと、そうだったのかもしれない。



「キキョウ、生きるってなに?」


「ツバキは知っているよ」



 キキョウは嬉しそうに笑った。
 なんだかいつもより、穏やかに見えた。


「ツバキ。俺、いくよ」



 何処へ? とは聞かなかった。
 聞かなくとも、意味は解っていた。
 キキョウはフェンスを登り始める。
 カシャカシャとリズミカルな金属音が鼓膜を優しくくすぐった。



「キキョウ、」



 彼がフェンスを乗り越え、向こう側の僅かなコンクリートに降り立った時、わたしは彼の名を囁いた。
 彼は振り向いて、いままで見たなかでいちばん素敵に笑ってみせた。



「もう一度、名前を呼んで」



 そう言ってわたしは、彼に近づいた。
 彼は頷いて、わたしに向かって両手を広げる。



「ツバキ。きみが好きだった」


「ええ、わたしも」



 そっか、とキキョウは言った。
 フェンスの隙間から手を伸ばして、キキョウの手を握る。
 さよならの握手? きっと、わたしたちにさよならなんて言葉はない。



「またね。ツバキ」



 キキョウは笑った。
 ――――そして、わたしの目の前で空に落ちた。
 フェンスを乗り越え、わたしもツバキと同じ場所へ立つ。
 地上を覗けば、甲高い悲鳴や騒がしい声が聞こえる。
 まだ間に合うだろうか。ワンツースリーでキキョウに。



 キキョウは目的を達成した。
 キキョウが出来たなら、わたしにだってきっと、きっと、出来る。
 わたしは、空を仰ぎ、そして、



「またね」