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冬は死んだ。わたしを残して







いつもこの季節はなにかがこぼれ落ちて壊れてしまったような気がする。
蒼と灰の入り混じる空が、柔らかい水色に変わり、辺りに生暖かい空気が流れ始めるといつも泣きたくてたまらない気持ちになる。
また生き残ってしまった罪悪感と、まだ生きていたいのかと自分への嘲りでこころがいっぱいになってしまうのだ。




今でもまだ、早く死んでしまえと思う。
いつまでもいつまでも、生き汚いわたしを誰が愛してくれるだろう。
愛情乞食になってまで、自分を認めてほしいのかと自嘲し、まだそんなふうにしか思えないのかと自己嫌悪する。




ずっと同じことの堂々巡りだ。



いつだか、誰かがわたしに生きろと言った。
どんなに汚くてもいい、疲れたなら休めばいい、だから生きろと。
あの言葉は今もなお、わたしを生かして温めてくれている。
だからまだ生きていけるのかもしれない。




冬はまた死んでしまった。わたしを残して、春を連れてきてしまった。
だからまたわたしは、生きる為の糧を稼ぎ、少しずつ歩く。
いつか冬がわたしを共に連れていくまで。
わたしを温め、生かす言葉を忘れてしまうまで。



少しずつ、少しずつ、先の見えない道を進んでいく。





余生を生きる





あの日、わたしはなにを手に入れたのだろうか。




冷たい北風が首筋をさらう。よりにもよってこんな風の強い日にマフラーを忘れるだなんてついていなかった。
すれ違う人の視線が首筋に刺さる。肩につくほどの長さの髪が煽られる度に喉仏へ彫った椿がちらついているからだろう。
8年前の夏、わたしが手に入れた椿は散ることなくわたしの肌に美しく咲いたままだ。




勢いのままに彫った刺青を隠すために年中首の詰まった服しか着ないのだが、今日は特別だった。
ずっと会えなかったあのひとに会う。
側を離れて十年近く経つ。なのにまだ、彼にわたしは愛しているのか、憎んでいるのか、よく解らない感情を向けたままだ。
会わない間も、忘れたことはなかった。
鏡に映る首筋の椿を見る度、彼の後ろ姿が浮かんだ。
あなたのせいだと責めてやりたかった。
だから、今日は彼が綺麗だと褒めた首筋を見せる服を選んだ。
あてつけのような行為だった。




「…久しぶり」




バスを乗り継ぎ、街の中心部から少し離れた場所にある集合墓地。
山の中のポッカリと空いた平地にある為、白っぽい灰色の墓石は落ち葉に埋もれていた。
持ってきたゴミ袋に腐った花や落ち葉をかき集めて墓石の周りを清めていく。
墓石に水をかけ、丁寧に磨いていると背後へふと人の気配がして振り返った。




「よお、キヨ」



「…久しぶり、ナツメ」




そこには喪服姿の旧友が彼の好きだった白い百合を抱えて、いつもの気安い笑顔で立っていた。
ナツメは何も言わずに花束を水を変えたばかりの瓶に供え、持ってきたらしいたわしを手に墓石を磨き始めた。
冷たい清水が掌に染みる。赤くなった指先で風に煽られる髪を撫でつけると、わたしは横に立つナツメを見上げた。




「今日、仕事は?」




「溜まりまくった有休、めいっぱい取ってやったわ」




「そう、あたしも3日休み取った」





あたしの返答にナツメがくつくつと低く喉を震わせて笑う。
昔からよく笑う男だった。
今ここで、白い骨になって眠る彼と一緒にいつもくだらないことで笑っていた。
その頃は、わたしもそばにいて一緒に。




「…お前、笑わなくなったな」




不意にナツメが困ったような顔で小さく呟いた。
わたしはその言葉に何をいえばいいかわからず、曖昧に唇を緩めて笑った振りをする。
すると尚更、ナツメは困った顔になって、冷たく濡れた手でわたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。




「……正臣のことはもう忘れろ」



「無理だよ」




登坂 正臣はわたし達の目の前で彼岸の住人になった。
事故だった。10年前の今日、自転車で坂を降りきった先の交差点でトラックに撥ねられて即死だった。
ずっと正臣が好きだった。告白する為に一緒に海へ行く途中の出来事だった。
遠い昔の、終わってしまった過去。
それ以来、わたし達はずっと余生を生きている。




答えをもらえない相手を待ち続け、もう10年も生き延びてしまったのだ。
ナツメも、わたしも。




正臣から、1度だけキスをされたことがあった。
暑い夏で、隣に並んで海を見ていた時だった。
ふと正臣の方を見ると、やけに優しくわたしを見ていて、驚いた瞬間、掠めるように奪われた。
ごめん、と低く謝ったきり、彼はいつもの優しい正臣になった。
わたしもそんな正臣を見て、何も聞けずに月日は流れ、あの日を迎えた。
その答えも、あの日一緒に聞くはずだったのに。




「あの日の答えはもう聞けないんだよ、キヨ」



「解ってる…!」




解かりきった事実をナツメが囁くように言う。それに半ば怒鳴るように答えると、無理やり振り返らせられた。
手に握っていたたわしが落ちる。冷たい掌がわたしの首筋をなぞった。



「こんなもん彫って操立てたって正臣は戻らない。
お前も幸せになれない。解ってるんだろう、キヨ。
俺がどんな気持ちでお前を見てきたか」




知っていた。でも、知らないふりをしてきた。
こんな日にそんなこと聞きたくなかった。
顔を上げて、ナツメを見上げる。ナツメはひどく怖い顔をしていた。




「キヨ。俺はお前が、」



「やめて!」



震える声で叫んだ。けれどナツメはやめてくれなかった。




「キヨ。お前がずっと好きだったよ」




森の中にナツメの低く、静かな声が確かに落ちた。
同時にわたしの心臓が大きな音を立てて、ひび割れたような気がした。
声にならない声が唇から掠れた音となって零れ落ちる。
大きく見開いたわたしの双眸にナツメの泣きそうな笑顔が映りこんだ。




「……もう進もう。正臣が好きでもいい。俺と生きてくれ」




縋るようにわたしを抱きしめて、ナツメはいった。
ナツメまでわたしを置いていくのか、と心の片隅で誰かが囁く。
訳もなく涙が溢れ、わたしは子供のように泣きじゃくった。




****



キヨはまるで子供に戻ったかのように大声をあげて泣き続けた。
言葉を交わすことも出来ず、ただ時折、まさおみ、とか、どうして、だとか文章にならない囁きを嗚咽混じりに零していた。




正臣は間違いなくキヨが好きだった。
何故なら、本人に問いただしたからだ。あの事故の日の前日、正臣と二人きりで釣りに行った。
ナツメは正臣が好きで、嫌いだった。
何でも器用にこなし、ナツメがやっとの思いで成し遂げた事を何食わぬ顔で綺麗にやってしまう。
勉強でも、部活でも、何でもそうだった。キヨのことも。




キヨが正臣を好きなのは一目瞭然だった。
その色素の薄い双眸は、いつだって正臣しか映っていなかった。
その頃からキヨが好きだったナツメはあの日、正臣を問いただした。
キヨが好きか、とただひとこと。




正臣は一瞬、珍しく戸惑った表情を浮かべた。
それから照れたように眉を下げ、けれども最後は困った顔になった。




「でも、ナツメもすきだろ?」




だから言わない。俺は2人が好きだから。




そう言って微笑んだ正臣はいつもと変わらぬ、穏やかさだった。




もういいだろ、正臣。
心の中で低く呟く。もういいだろ。




10年も待った。キヨが立ち直り、他の誰かを好きになるのを。
もはや誰でもよかった。キヨが生きる気になってくれれば。
しかしキヨは高校を卒業した途端、姿を消した。
あらゆる手を尽くして見つけた時には、キヨは鎖骨と首の境に椿を彫り、遺品整理の職をしていた。
その時、姿を消してから2年の月日が過ぎていたが、明らかに痩せて骸骨のようになっていた。




椿の意味は聞かずとも解った。首が落ちるように散る花。
死を待つように、首へ彫ったキヨは生きる気などひとつもなかったのだ。




もういいだろ、もう忘れてもいいだろ。
俺は覚えているから、正臣。お前の気持ちも、真実もすべて抱えて生きていくから。




キヨを生かしてくれよ、正臣。




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