暫く、ザイス=インクヴァルトはリトに抱かれたままでいた。
涙が止まるまで、彼は何も言わず彼をぎゅうと抱き締めていて。
リトの方が小さいから、抱き締めると言うよりは抱きつく、といった方が正しい形かもしれない。
しかし気持ち的には確かに彼に抱き締められていた。
優しく、頼もしい腕。
すぐ近くに感じる彼の存在。
背中から伝わってくる温もり。
それに、彼も少しずつ落ち着いてきた。
彼が泣き止んだのを感じると、リトは彼から離れた。
そして、彼の金の瞳を覗き込みながらいった。
「やっぱり……体調不良では、なかったんだ」
リトはそういいながら、眉を下げる。
ザイス=インクヴァルトは目を伏せた。
そして、弱く掠れた声で言う。
するとリトは眉を寄せて、溜め息を吐き出したかと思うと……ぴん、とザイス=インクヴァルトの額をはたいた。
おどろいてまばたきをする彼をまっすぐに見つめながら、リトはいった。
「謝ってほしいんじゃないよ。……気づけてよかった」
声が変だと思ったんだ、とリトは言う。
体調不良で休みたい、という人間の声ではなかったと。
何か、苦しそうな声だったと。
直感じみたものだったのかもしれないが、そうして自分の変化に気づいてくれたことが嬉しくて、ザイス=インクヴァルトは目を伏せる。
リトはそんな彼を暫し見つめてから……そっと、彼の首に手を伸ばした。
「……痕ついてる」
ぽつり、と呟く声は辛そうだった。
まるで自分が傷つけられたかのように。
リトはそのまま、優しくザイス=インクヴァルトの首筋を撫でる。
絞めるためでない手が首に触れるのは、稀で。
優しいリトの手が、いたわるように首を撫でていく。
「……アルトゥール先生」
リトは小さな声で彼の名を呼んだ。
その声に、ザイス=インクヴァルトは顔をあげる。
刹那。
彼は、ぐいっと唇を押し付けてきた。
あまりに唐突な行動に、ザイス=インクヴァルトは大きく目を見開く。
まだ残っていた涙が、伝い落ちていく。
「ん……っ、ふ……んぅ」
長い、長い、深い、深いキス。
逃げようとしてもリトに頭を押さえられていて、逃げられない。
普段の彼のそれとは少し違う、乱暴なキスだった。
けれど、恐怖は感じなかった。
彼が空いている方の手で優しく自分を撫でているのを感じていたから……――
「っ、……ん、んん……」
息継ぎをする暇もないほど続けられるキスに、脳まで酸素が回らなくなる。
苦しい。
ふわ、と意識が揺れる。
それと同時に、キスを止められた。
「っは、ぁ……はぁ、は……っ」
けほけほと軽く、咳き込む。
一気に体のなかに酸素が満ちて噎せる現象は、いつも自分が首を絞めているときと同じだった。
しかしその時の虚無感は、一切ない。
頭が、ぼうっとする。
呼吸を整えようとしていれば、もう一度、彼が顔を近づけてきた。
驚いて目を見開けば耳元に唇を寄せられる。
そして彼は低い声で、囁くようにいった。
「どうせ、息できないならキスでできない方が良いだろ」
彼らしくもない低い声。
それに驚いている間に、もう一度口付けられた。
甘いキスに、脳が痺れる。
ザイス=インクヴァルトはそれに応えながら、彼の背に腕を回した。
すると強い力で抱き締められる。
折れるのではないかと思うほどの強さが、心地よかった。
「っは、ぁ……」
「先生……俺、原因とか、全然わかんないけどさ」
何度目のキスかわからないキスの後、彼は口を開いた。
そして、真剣な表情でザイス=インクヴァルトを見つめて、言う。
「自分を、傷つけないでよ……俺を頼って?」
頼りないかもしれないけどさ。
俺じゃ、理解できないこともあるかもしれないけれど。
それでも、俺は先生の……ううん、アルトゥールの力になりたい。
リトはそういった。
「リトさん……」
ザイス=インクヴァルトはリトの名前を呼ぶ。
それを聞いてリトは微笑み、"何だ、アルトゥール"という。
今は、先生と生徒とじゃない。
そういいたげに。
ザイス=インクヴァルトは少し躊躇いながら、彼の体に縋る。
そのまま腕に力を込めれば、リトがぽんぽんと背を叩いてくれた。
「大丈夫だよ、俺が傍にいるから」
アルトゥールを守るよ。
一人にしないよ。
俺が、したくないから。
我儘を言うようにリトはそういって、笑っていた。
***
どれくらい、時間が経った頃だろう。
ふ、と目が開いた。
ゆっくりと瞬きをして、ザイス=インクヴァルトは気づく。
あぁ、眠ってしまっていたのか。
泣き疲れて眠ってしまうなんてまるで子供みたいだ、と思いながらザイス=インクヴァルトは苦笑する。
そして、体を起こしかけて……気づく。
自分の隣で眠っている、小さな少年の姿に。
彼が、ベッドまで運んでくれたのだろうか。
そして、そのまま一緒に眠ってしまったのだろう。
彼らしいな、と思う。
そしてザイス=インクヴァルトはそっとリトの頭を撫でた。
さらさらとした赤色の髪。
瞼が閉じられていて見えない瞳は、自分と同じ金色だ。
そんな些細な共通点が幸福でさえあった。
彼と一緒にいられることが。
彼と一緒に過ごせることが。
彼が傍で笑ってくれることが。
「……リトさん」
まだ、声が掠れている。
それは、泣きながら彼とキスをしていたからだろうか。
そう思いながら、ザイス=インクヴァルトはそっと自分の首に触れる。
まだ微かに残る痛み。
しかしそれは確かに薄れていて。
「ん……アルトゥール……?」
聞こえた寝ぼけ声にザイス=インクヴァルトは視線を落とす。
すると目を覚ましたらしいリトが目を擦っていた。
起きたのか、と呟く声に彼は頷いて見せる。
「えぇ……色々と、お世話をかけました」
すみません、と詫びると同時に、ぐいっと腕を引っ張られた。
バランスを崩して、彼はリトの上に倒れ込む。
「っす、みません……」
「謝らなくていいってば。……先生、悪いと思うなら、さ?」
―― 俺と、デートしてくれない?
そんな問いかけに、ザイス=インクヴァルトは目を見開いた。
覚えている。
まだ自分が彼を拒絶していた頃にしたやり取り。
彼の部屋で居眠りをしてしまったことを詫びたとき、彼は今と同じことをいった。
あの時は、断った。
生徒と家庭教師である自分たちが一緒に出掛けることなど出来ない、と。
しかし、今は違う。
あのときと、明確に違うもの。
それは……
「……何処が、いいですか」
自分の、返答で。
リトはそれを聞いて嬉しそうに笑う。
そしてもう一度、甘く優しいキスを彼にしたのだった。
―― Until… ――
(窒息するまでキスをして。
愛しい貴方に呼吸を奪われるなら、それでいいかもしれない)
(自分を傷つけるような真似をするなら、俺がお前を傷つけてやる。
出来る事なら、幸福であってほしい…)