鮮やかな青空が広がる、世界。
白く、清く、美しい、天使たちの住む世界……
そこに生まれ落ちたのは、一人の男の子。
天使の血を引く、亜麻色の髪にサファイアの瞳をもつ、綺麗な子供。
彼が"特殊"な存在であることがわかるのは、まだまだ先のことだった。
***
Part 1
「まぁ、上手ね、フォル!」
感嘆の声をあげる、母親。
その声に、亜麻色の髪の少年……フォルははにかんだような笑みを浮かべた。
彼の手元には、綺麗に透き通った氷の欠片。
それは、彼が魔力で作り出したものだった。
「フォルは魔力の純度が高いな」
近くで剣を磨いていた父親も視線を彼の方へ向け、そういう。
そんな両親の称賛に、フォルは嬉しそうにいった。
「そう?嬉しいな、そういってもらえて」
そういってフォルは無邪気に笑う。
そんな彼の小さな体を抱き上げて、母親……天使の女性であるサフィニアは微笑んだ。
「流石は私たちの子ね。きっとこの子は素晴らしい天使になるわ、アイル」
そう、夫であるアイルという男性にサフィニアはいう。
それを聞いて、アイルも小さく頷いた。
「天使族としての魔力も、強いんだろう?」
この前聞いた、と彼はいう。
フォルはその言葉に頷いて、いった。
「得意だよ。もう、どんな魔術でも扱えるんだ」
簡単にできるよ、といって笑う彼はどこまでも無邪気で可愛らしく、サフィニアはそんな彼を慈しむように目をほそめ、いった。
「そうなの、フォルは凄いわね」
そういって、彼女はフォルを床に下ろした。
するとフォルは両親に笑顔を向け、首をかしげる。
「図書室にいってきてもいい?」
本を読みたいんだ、と彼はいう。
フォルはこの年齢の子供にしては珍しく、外で遊ぶことよりも本を読むことが好きだった。
それも、絵本ではなく、魔術の使い方等がかかれた、専門書を。
変わった子だと、よく言われていた。
しかしそれをフォルが気にしたようすはなかったし、両親もさして気にしてはいなかった。
悪い兆候ではない。
この年齢からしっかりと魔術の勉強をすることで優秀な天使になれると喜んでさえいた。
だから、家の地下にある図書室への出入りも、自由に許していたのである。
「いいわよ、夕飯には戻ってきなさいね?」
「わかったよ、母さん」
素直な返事を返すと、フォルは地下室に向かう。
そしてぱたん、とドアを閉めると息を吐き出した。
掌に乗せた、氷の欠片。
それを粉々に砕く。
ガラスのように鋭いそれで手が切れて、真っ赤な血が一滴、滴り落ちた。
「……下らない」
そう呟くフォルの瞳に、光はない。
先程までの、聞き分けのよい少年の姿は、そこにはなかった。
冷たいサファイアの瞳。
血の滴る掌を舐める様は年齢不相応な、不気味な美しささえ湛えていて。
「……嫌になるよな、天使の勉強なんてさ」
親の声も目も届かないこの場所で、彼は呟く。
そして笑みを浮かべると、図書室の棚にある一冊の本に手を伸ばした。
そこにかかれているもの……
それは、悪魔の魔術の使い方だった。
天使として生まれたフォルが有するのは、天使の魔力。
それと正反対の性質を持つのが悪魔の魔力だ。
強い強い、闇の力。
生物の悲しみ、苦しみ、寂しさ、或いは死を糧に強くなる魔力……
それに、フォルは魅入られていた。
生まれつきに、彼の気質は天使らしくなかった。
幼い頃はそれが"おかしい"と認識できず、ともに天使の魔力の勉強をする友人から浮くことも多かった。
しかし今は違う。
そつなく天使としての振る舞いをしながらも、彼は悪魔としての勉強もしていた。
天使としての生き方に、嫌気がさしていた。
人を幸福にし、守る魔力を覚えることも、秩序を守り、戦うことも。
フォルが生来望んだのは、破壊、悲嘆、苦痛……そんなものだ。
秩序などどうでもよかったし、人が生きようが死のうが、どうでもよかった。
しかし、周囲はそれをおかしいという。
下手をすれば異端だと言われ、殺されるかもしれない。
それだけは、フォルだってごめん被りたかった。
しかし、書物で知るうち、だんだんと惹かれていった。
悪魔としての生き方。
強さを、快楽を、愉悦のみを求め、生き、戦い、時に殺す……
そんな存在に。
悪魔は天使になれないが、天使は悪魔になれる。
それを知ったのは、この図書室でのことだった。
悪魔になれば、自分は望む生き方ができる?
フォルはそう思い、ずっとこの場所で、悪魔の魔力の勉強をしていた。
表向きではいい子を演じながら、裏では悪魔の魔力を学ぶ。
そして、いつか、いつか……本物の悪魔の力を手に入れよう。
大人に……天使に縛られることのない、自由な生き方をしよう。
フォルはそう思いながら、口元に笑みを浮かべていたのだった。
***
それから、数年。
フォルには、妹が生まれていた。
フォルと同じ、そしてサフィニアやアイルと同じ、亜麻色の髪にサファイアの瞳を持った、美しい少女……
フィアと名付けられた少女はフォルにとって、待ち遠しい存在であった。
というのも……
フォルは、長年悪魔の魔術の勉強をするなかで、知った。
天使から悪魔になった……"堕ちた天使"が力をつける方法。
それは、"敵である"天使の魔力を喰らうことだった。
相手の天使は、強ければ強い方が良い。
相手の魔力を奪い、吸い尽くして、それこそ相手も堕ちるほどになれば、"堕天使"は力を持つ。
そう、書物には記されていた。
だからフォルは、母に訊ねた。
生まれた少女は、妹は、力を持つようになるだろうか、と。
それを聞いて彼女は答えた。
きっと、強い力を持った美しい天使に育つだろうと。
それが、フォルには待ち遠しかった。
いつか、遠いいつか……自分の糧となる妹。
その健やかな成長を、願っていた。
しかし、ひとつ問題があった。
それは、天使としての風習だ。
天使族は天界で何か起こった時に備えて、第二子以降の子供は人間界に下ろす。
天使を育てることができると判断した家の前に、子供をおいていくのだ。
そうされてしまうとフィアの成長を見ることができない。
それはフォルにとっては少々不服ではあったが……
昔から決まっていることだから、どうすることも出来なかった。
フィアの誕生から少しして、彼女を地上に下ろす日が来た。
サフィニアとアイルが目をつけたのは、ルピリアというのどかな農村にある、一軒の家だった。
「この家?」
「あぁ、色々な家を見ていたが……
此処の家ならば、きっとこの子を大切に育ててくれるだろう」
サフィニアの問いかけにアイルはそう答える。
そうなのね、と呟くサフィニアはやはり少し寂しそうで。
それは、当然だろう。
血の繋がった可愛い娘を、心ならずも捨てることになるのだ。
しかし、アイルはそんな妻の肩を叩いた。
そしてしっかりしろというように、いう。
「これが"習わし"だ。仕方のないことだろう」
アイルがそういうと、サフィニアは幾度かまばたきをした後、小さく頷いた。
そしてふわりと微笑み、いう。
「えぇ、そうよね……私たちにはフォルがいるものね」
そういいながら、サフィニアはフォルの肩をそっと叩く。
フォルはそんな母親を見上げて、にこりと微笑んだ。
サフィニアは息子の笑顔に励まされたように微笑むと、娘に最後の接吻をする。
「元気でね、フィア」
そういって、彼女は小さな籠にフィアを入れ、民家の前にそっとおいた。
彼女の名前を知らせるペンダントをつけさせて。
「そろそろ行こう。じき、夜が明ける」
アイルはしらみ始めた空を見て、そういう。
夫の言葉にうなずいて、サフィニアはフォルにいった。
「そうね……さ、フォルも妹にお別れをなさい」
「うん」
フォルは素直に頷いて、妹に顔を近づける。
そしてにこりと微笑み、いった。
―― またね、フィア。
またね。
また、いつかね。
そういって、フォルは妹から離れた。
いつか会う。
その事を確信しているような言葉の意味に、父と母は気がつかなかった。
フォルは楽しそうに笑う、笑う……――
―― Fallen…〜生まれ持った気質〜 ――
(僕は天使として生まれた。
けれど、僕は天使としての気質を持ち合わせてはいなかった)
(下らない。平和ボケした天界も天使としての生きざまも。
だから僕は望むんだ、"堕ちた"先の自由な世界を…)