広い広い、青空。
そこに夏らしい入道雲がどんと陣取っている。
それを見上げながら、黒髪の少年……ノアールは目を細めた。
「暑い……」
そう呟きながら、ノアールは息を吐き出す。
色の白い彼の額にはじっとりと汗が滲んでいた。
静かな、屋上。
その日陰に座りながら、彼は暇を潰していた。
現在、授業中。
ノアールはそれを抜け出して、此処にいるのである。
元々お世辞にも真面目な生徒とは言えない彼。
こうして頻繁に授業を抜け出して適当な場所でサボるし、学校自体を休むこともある。
夏になると一層だった。
特に体育はもとから受ける気等なくてしばしば逃げ出してきていた。
体操着を着ると言うことは腕や足を曝すということ。
それがノアールには耐えられないことなのだった。
幼い頃、両親から虐待を受けていたノアール。
彼の体にはまだその頃の傷跡がたくさん残っている。
それゆえに、どれだけ暑くても絶対に半袖だけは着なかった。
しかし、彼は暑いのが苦手だ。
屋外で遊ぶことなど皆無だったし、すぐに肌が焼けて火傷したようになる。
何より体質的に暑さに弱いのであった。
本当は、保健室かどこか、涼しいところでサボりたかった。
しかしこの前保健室でサボっていたら授業担当の教師に見つかって、連れ出された。
一応養護教諭は体調が悪いようだからとやんわり引き留めようとしてくれたが、そんなはずはないからといって引きずられていった形である。
この学校の教師の一部は変わり者だと思っていた。
生徒がサボるのを許す養護教諭、説教が説教になっていない生徒指導教師……
まぁ、その他もろもろだ。
とはいえ、毎度あのやり取りをするのでは決まりが悪い。
それ故に、ノアールは今日屋上に逃げてきたのである。
しかし、失敗だったな、と思った。
今日は連日の雨も上がり、かなり気温が上がっている。
変な意地を張らずに保健室に行けば良かったとそう思う。
しかし、今更だ。
そう思いながらノアールはポケットから煙草の箱を取り出した。
まだ高校生の彼。
しかし大人びた風貌と彼が住む地域の特色ゆえ、こういったものも簡単に手に入ってしまう。
……大問題だけれど。
お気に入りのオイルライター。
それで煙草の先に火をつける。
ふぅ、と息を吐き出せば紫煙が立ち上った。
慣れた匂いが鼻を抜ける。
メンソールの煙草を吸うようになったのは最近なのだが、大分慣れてきたな、と思った。
体に悪いことはよく知っている。
しかし、やめるつもりはなかった。
自分が早死にしようと、気にする者はいない。
だから別に気にしない。
そう思いながら、ノアールは煙草を咥えていた。
と、その時。
「やっぱり此処におったかぁ」
後ろで聞こえたその声にノアールは驚いた。
煙草を口から離しつつ振り向いてみれば、そこには長い赤髪の少年が立っている。
やや呆れた顔をした彼はノアールが手にしている煙草を指先で摘まみとって、息を吐き出した。
「駄目っていうたやん……煙草は体に悪いんやで?」
そういいながらフランコは唇を尖らせる。
ノアールは彼の言葉にきまり悪そうな顔をする。
別にいいだろう、とは言えないのが、困った所だ。
この少年……フランコは、ノアールのことをとても気にかけている。
ノアールが煙草を吸うのも咎めていた。
それは、法律に違反するからとか学校ですったら駄目だとかではなくて、"お前の体に悪いから"と彼はいう。
そんな風に自分を心配してくれる人間が今まであまりいなかったから、ノアールも彼のことを気にしているのだった。
「体に悪いのは知っているといっただろう……」
やれやれ、というように溜息を吐き出すノアール。
それを見てフランコは唇を尖らせた。
「わかっとるいうんならやめぇや……
この前みたいに飴くわえさせたろか」
に、と笑う小柄な少年。
ノアールはそれを見て溜息を吐き出す。
"それは勘弁だな"といいながら、ふと思い出したように、フランコに問うた。
「でも何でお前は此処に……?
まだ授業中だろう」
ノアールの問いかけに、フランコは苦笑を漏らした。
「ノアールに言われるんも何かおかしい気はするけど……まぁええわ。
ちぃと怪我したんや」
体育の授業でなー、と言いながらフランコはひらりと手を振る。
その手には大きなガーゼが貼り付けられている。
制服のズボンを履いているからわからないけれど、膝も擦りむいたのかもしれない。
ノアールは冷静にそう思った。
「何したんだ、一体……」
ノアールは彼に問いかける。
フランコはそれにへらりと笑って答えた。
「走ってた時に転んだ」
「阿呆か」
馬鹿、と声を上げるノアール。
フランコはそれを聞いて唇を尖らせる。
「心配してくれてもえぇやん、冷たいなぁ……」
むぅ、とむくれた顔をしている彼。
ノアールはそれを聞いて小さく息を吐き出すと、そっとフランコの手を掴んだ。
「……手当てはしてもらったんだろう。
それなら、良い」
もし手当てしていないようなら保健室に引きずっていく所だった。
そっけなく、ノアールはそういう。
それを聞いてフランコは幾度か瞬きをした後、小さく笑った。
「何やぁ、心配してくれたん?
なら、そのままで来れば良かったなぁ」
そしたら心配してくれるノアールが見られたんかぁ、と声を上げるフランコ。
ノアールはそれを見て少し眉を寄せた。
「馬鹿なことを言うな」
ふん、と鼻を鳴らす彼を見て、フランコは楽しそうに笑っていた。
それから、"あ、忘れとった"と何か思い出したように声を上げる。
そして……
ぴとりとノアールの額に触れた。
「な……」
思わぬ彼の行動にノアールは驚いて固まる。
フランコは"あ、ほんまに熱い"と小さく呟いた。
「何を、いきなり……」
そう声を上げるノアール。
フランコはそんな彼の頬にぺたぺたと触れながら、いった。
「アンタの学校の保健室の先生にいわれたんや、ノアールは多分屋上にいるっていうから……」
「?それで、此処に来たのか?」
今一つ状況が呑み込めない。
何故それで彼が此処に来るのか、と。
「俺が聞いたんやで、ノアールきとらんか、って。
アンタのクラスと合同で授業やったんに、おらんかったから」
折角会えると思ったのに居ないから凹んだわぁ、と彼はいう。
それを聞いて、ノアールは目を細める。
自分に会いたいなどといってくれる人間は今までおらず。
それ故に戸惑いはするが……それは何処かくすぐったく、嬉しいように感じた。
「そう、か……」
「んで、先生に聞いたら屋上に居るはず、って……
で、ノアールは暑さに弱いはずだから、へばってるようなら保健室来るように伝えとけっていわれたで?」
暑さに弱いんやな、とフランコはノアールに言う。
心配そうな表情と、声色。
それがくすぐったくて、ノアールは彼から視線を外した。
「別に……弱いってことは、ない」
呟くようにそういうが、正直だいぶ辛い。
涼しい室内に入りたい、というのが本音だ。
それを表に出すのは、ノアールには出来なかったけれど。
フランコはそんな彼をじぃ、と見つめる。
それから、ぎゅっと彼の手を掴んだ。
「え?」
「部屋ん中はいろ?
先生が来たらえぇっていってたんやし、行けばえぇやん」
どうせ休むなら涼しいとこにしようやぁ、といってフランコは笑う。
……多分、ノアールの体調不良に気が付いて、ということではないだろう。
しかし、ノアールの感情を汲んでいるかのように動く。
―― まったく。
打算的でない分、たちが悪い。
そう思いながらノアールは目を細める。
「お前まで暑い中に付き合わせるわけにはいかないしな……」
ノアールは建前のようにそういう。
フランコは幾度か瞬きをしてから、笑みを浮かべていった。
「俺は別に暑いの平気やで?」
「……そうだろうな、まぁいい」
彼が何処の国の人間か思い出した。
そう思いつつノアールは小さく息を吐く。
そしてフランコの腕をつかみながら、保健室に向かって歩き出したのだった。
―― 気にかけて、かけられて ――
(気にかかる、存在。
だって、自分を気にかけてくれるから、" "してくれるかなと思うかな、と思うから…)
(気にかかる、存在。
だって何か気になるんや、傍にいてやりたいって思うんや)