ふらふらと、歩いていく。
何処か賑やかな街並み。
それを通りぬけていく隻眼の少年……シュタウフェンベルク。
彼の足取りは覚束なく、辛そうだ。
しかしそんな彼に気を留めるものはいない。
皆各々に、楽しそうに歩いていくばかりだ。
それも仕方ないな、とシュタウフェンベルクは思っていた。
何せ……自分は、穢れている。
そんな自分を気遣ってくれる人間などいないだろうと。
そんな彼の足が向かうのは、いつも自分を気遣ってくれる養護教諭のいる学校。
いつもはそれなりに近く感じる学校なのに、今日は酷く遠く感じた。
まだ、彼は保健室にいてくれるだろう。
いつも、彼はそうしてくれるから。
シュタウフェンベルクが来るのを待って、慰めてから家まで送ってくれるのである。
……もっとも。
それは酷く申し訳ないと思っているのだけれど……
そうしてたどりついた保健室。
案の定、暗くなり始めた校舎の中で、保健室だけは明かりが点っていた。
がらり、とドアが開く。
それに驚いたように彼は顔を上げた。
「シュタウフェンベルク、今日は随分と遅かったのですね……」
ほっとした表情のカルセ。
彼は穏やかに微笑んで、シュタウフェンベルクを中にいれた。
「すみません……そのまま、帰ろうとも思ったんですが……」
シュタウフェンベルクはそう呟いてから俯く。
その拳は小さく震えていた。
カルセはそんな彼を見て眉を下げる。
それからふっと息を吐き出して、そっと彼の頭を撫でた。
「大丈夫ですよ。私は、貴方のサポートをするために居るんですから」
こんな時に教師を頼れないなんて……とカルセは呟く。
何処か意味深なその発言にシュタウフェンベルクは顔を上げたが、カルセは微笑んで首を振った。
そしてそっとシュタウフェンベルクの背を押して、いう。
「早くシャワーを浴びてきてしまいなさい?
気持ち悪いでしょう、そのままでは」
「……っ、はい」
シュタウフェンベルクは彼の言葉に頷くと、シャワールームに向かう。
カルセはそんな彼の背を見送りながらふっと息を吐き出した。
「……よかった」
心底、ほっとしていた。
今日はいつもより彼が来るのが遅かった。
だから、心配していたのだ。
自分に関する噂。
それを彼が耳にしたらおそらく……否、間違いなくショックを受けるだろう。
もしそうしたら彼が頼らなくなる恐れが高い。
そう思って……今日彼が来なかったのはその所為ではないかと思ったのである。
とりあえずその心配はなさそうだ。
そう思いながら、カルセは小さく息を吐き出す。
そんな彼の表情は、何処か疲れたようなものだった。
恋人であるムッソリーニもそういっていたから、おそらく間違いないだろう。
平気なフリをしていたし、学校では平然と振る舞っていたが、疲れているのは事実。
流石に教師たちも子供ではないから嫌がらせはそうしてこなかったけれど……
視線が冷たいわ、協力を求めることが出来ないわで、過ごしにくい。
精神的に疲労するのは、致し方ないことだった。
「さて……紅茶でも淹れておきましょうか」
カルセはそう呟くと、コンロに向かう。
そしてシュタウフェンベルクのために紅茶を淹れる準備を始めたのだった。
***
そんな日が続いた、ある日の事。
シュタウフェンベルクはいつも通りに学校に来ていた。
相変わらずフロムの暴虐は続いている。
シュタウフェンベルクに対する要求も、かなり過酷なものとなっていた。
先日のようにホテル街に向かわされることもあれば、目の前での自慰を強いられることもあった。
シュタウフェンベルクはそんな自分に辟易しているのである。
とはいえ、昼間はそれなりに平和だ。
以前からの騒ぎ、噂もまだ残ってはいたが……
それでも、目に見えた嫌がらせは大分減ってきていた。
そんな、時。
化学授業の時の事だった。
珍しく、外部の教師……メイアンが授業をしに来ていた。
そんな彼を見て、シュタウフェンベルクはふと、あることに気が付いた。
教卓に立つ金髪の彼。
彼が何だか、疲れているように見えたのだ。
疲れているというか、憔悴しているというか……
ほかの生徒たちはさして気づかない様子ではあるけれど、良く気が付くシュタウフェンベルクにはそう見えた。
「メイアン先生」
シュタウフェンベルクは授業後に、教室を出ていくメイアンに声をかけた。
ふり向いた彼はにこりと微笑んで、"どうしたの?質問かしら?"と問いかける。
そんな彼を見て、シュタウフェンベルクは少し迷う顔をしてから、いった。
「あの……だいじょうぶ、ですか?」
「え?」
不思議そうに目を丸くするメイアン。
シュタウフェンベルクはそんな彼に、"体調が悪そうに見えたから……"と小さく呟くように言う。
それを聞いて、メイアンは瞳を揺らした。
それから、ふぅと息を吐き出す。
「……んん、誤魔化せるかなぁと思ってたんだけど」
私はウソをつくのはあまり得意な方じゃないのよね、という。
そして彼は苦笑まじりに、呟くように言った。
「カルセほど器用じゃないのね、きっと」
そういう彼の顔色はやはりよくない。
シュタウフェンベルクと話しながら壁に寄りかかって、彼はいった。
「彼の方が、よほど辛そうなのに……」
「え……」
そんな彼の呟きに、シュタウフェンベルクは少し眉を下げる。
いつも自分が世話になっている人間の話だ。
気になっても仕方ないだろう。
「ちょっと困ったことになってるのよね、彼」
メイアンはまるで独り言のように、語る。
授業開始の時間は過ぎていた。
周囲に生徒も教師も見えず、メイアンの独り言を聞くものもいなかった。
彼は、語る。
カルセに起きたことを。
先日の写真の件。
教師の中で孤立している彼の姿。
それでも変わらずにふるまっていること……
……メイアンは、知らない。
カルセの鞄に入っていた写真が、"彼"のそれであることを。
「あ……生徒にこんな話、駄目ね私」
ごめんなさい。
メイアンはそういって苦笑する。
しかしその言葉をシュタウフェンベルクは聞いていないようだった。
「?どうしたの?」
そう問いかける、メイアン。
シュタウフェンベルクはゆっくりと首を振って、"すみませんでした、立ち入ったことを聞いて"という。
そして、いつも通りな表情を浮かべながら、いう。
「ありがとうございました、お体大事にしてください」
そうとだけ、掠れた声で言ってシュタウフェンベルクはメイアンから離れていく。
そんな彼の足取りは、重たいものだった。
「私の、所為……で?」
そう呟く。
まだ仮定でしかなかったけれど……ほぼ確実に、自分の所為だと、理解してしまって。
授業は始まっているのにふらふらと教室を抜け出して、人通りの少ない階段に座り込む。
そして彼は小さく呻く。
「ごめんなさい……」
掠れた、小さな声。
シュタウフェンベルクの頬には涙が伝い落ちていく。
「でも、どうして……?」
そう呟く、シュタウフェンベルク。
フロムと、約束したのに。
自分が言うことを聞けば他者には何もしないと。
シュタウフェンベルクはそう思いながらただただ、涙をこぼす。
そんな彼を慰める人間の姿はなくて……――
―― 露わになる真実 ――
(わかりきっていたことだったのに。
自分が頼り過ぎればきっと、周囲に迷惑をかけてしまうと…)
(唯一の居場所だったから、唯一の慰めだったから。
知らず知らずのうちに頼り切ってしまったのだろう…)