暖かな春の陽射しが降り注ぐ、騎士の棟の一室。
そこで黙々と編み棒を動かす、長い黒髪の少年……ペル。
彼は小さな指で糸を、編み棒を動かして、編み物をしていく。
先日、この国の王女に教えてもらった編み物。
彼女に貰った毛糸と編み棒で、少しずつ何かを編んでいく。
始めたばかりの頃はぎこちなかった手つき。
しかし最近は大分慣れてきたのか、かなり手際が良くなっている。
どんどんと、彼は何かを編み上げていく。
ふぅ、と息を吐き出して時計を見上げる。
そして、いつの間にこんな時間になっちゃったんだろう、と思った。
兄であるクラウスが仕事で不在であるから、退屈でこうして編み物を始めてから既に数時間。
気が付いたらそんなにも時間が経ってしまっていたのだった。
静かな部屋。
黙々と毛糸を編んでいくペル。
彼の周りには、丸い毛糸玉と、彼が編みあげた長い、長い何か……――
それを汚しては大変だから、とペルは編みあげたそれ……マフラーを自分に巻き付ける。
そしてどんどんと、編み物を進めていった。
一つ一つと網目を増やし、どんどんどんどん長くする。
季節外れの、編み物。
これから先、マフラーなんて必要でなくなるのは分かっていたけれど……――
と、その時。
がちゃり、とドアが開く音が聞えた。
ペルは編み物を進める手を一度止めてそちらに視線を向けようとすると同時。
"え?!"と驚いたような声が聞こえた。
それは、この部屋の主……基、ペルの兄であるクラウスだった。
彼は驚いた顔をしてペルを見ている。
それを見てペルは不思議そうに首をかしげた。
「クラウス兄さん……?」
どうしたの?
そう問いかけるペルの声で、クラウスははっとした顔をした。
そしてやや慌てたようにペルに駆け寄る。
「ペル!いったい何時間それをやってたんだ……?!」
驚きの声を上げるクラウス。
彼の瞳には焦りの色さえ点って見える。
そしてクラウスはペルの肩を掴み、訊く。
「ごはんは?飲み物は飲んでるか?!」
そう問いかけるクラウス。
それは、そうだろう。
自分が仕事に出かけてから、何時間も経つのに、弟が部屋を出た時と全く同じ体勢で編み物をしているのだから。
彼はちゃんと飲み物を飲んでいたのだろうか。
食べ物はちゃんと食べていただろうか。
果てしなく心配になるのは、至極もっともなことだ。
ペルはその言葉に黒い瞳を瞬かせる。
そして"あ……"と小さく声を漏らした。
「……おなかすいた」
そういうペル。
クラウスはがくっと肩を落とした。
「やっぱりか……」
そう呟いて、クラウスはペルに巻き付けてある毛糸の作品……基マフラーを外してやろうとする。
もうかなりの長さになっていて、それに包まれたペルはまるでミノムシだ。
「っふ……」
その姿を見たクラウスは笑い声を漏らす。
そんな兄の様子にペルはきょとんとした顔をした。
「?クラウス兄さん、どうした、の?」
不思議そうに問いかけるペル。
クラウスは小さく笑いつつ、首を振った。
「いや、なんでもない……」
まさか、ミノムシのようになっているペルが可愛くて、なんて気恥ずかしくていえない。
……もっとも。
彼のブラコンは大概周囲にはバレバレだから、恥ずかしがるのは今更なのだけれど。
「?そう?」
ペルはクラウスの言葉に首を傾げつつも、自分が首に巻き付けていたマフラーを解く。
それを置かない限り飲み物を飲みに行くことも食べ物を食べることも出来ないのはわかり切っている。
「あれ……?絡まってる……」
ペルはぐちゃぐちゃに絡まってしまっているマフラーを頑張って解く。
それでも編みかけのところは解かないように気をつけながら。
かなりのめりこんでいるらしい。
そう思いながらクラウスは目を細める。
ペルはもともと努力家だし、一度のめりこむと大変な気質であることも知っていた。
けれど、彼がこれほどに何かにのめりこんでいるのを見るのは、久しぶりで。
「この国の文字をちゃんと覚えたくらいだもんな……」
クラウスはふと、そんなことを呟く。
そう。
始まりは、ペルがこの国……イリュジアの文字を覚え始めたことだった。
あの時に自分が一度面倒を見てやったのから、話をするきっかけが出来て。
ペルの本当の名を知って……――
気づけば、こんなにも親しくなっている。
こんなにも、近しい存在になっている。
そう思いながら、クラウスは目を細めた。
「?この国の文字……?」
ペルは不思議そうに首を傾げる。
それから、すぐに思い当たったようで、頷く。
「うん……この国の言葉、喋れる、けど書けなかったか、ら……
だいぶ、上手にかけるようになったよ」
漸くほどけたマフラーを絡まらないように置いて、ペルは机に向かう。
そして一枚のいらない紙とペンを持ってくる。
そのままさらさらとペンを紙に走らせる。
その手つきも、軽い。
初めて書いた頃には、とてもぎこちない手つきだったのに。
そう思いながらクラウスはペルの書く文字を見て、表情をほころばせた。
「出来たよ」
さらり、とペルが書いたのは、自分たち兄弟の名前。
クラウス。
アレクサンダー。
ベルトルト。
そして隅っこに、ペル、と。
「上手だな」
大分字も上手になった。
そうクラウスがほめてやると、ペルは嬉しそうに微笑んだ。
彼の表情。
それも大分豊かになってきたな、ということに改めて気が付く。
いつも一緒に居る。
だからこそ近くて、近すぎて気付けなかったこともあるのか。
そう思いながら、クラウスはふっと息を吐き出した。
「大きく、なったな」
思わず、そんなことを呟いた。
口に出してみてから、何と爺むさいことを言ったものだと思ったけれど……
事実そう思ったのだった。
しかしペルはそれを言葉通りに受け取ったのだろう。
きょとんとしたような表情を浮かべてから、"僕、背は伸びないよ?"といった。
それを聞いてクラウスは苦笑を漏らす。
そういう意味じゃなくて、といいながら彼は言った。
「いろんなことが出来るようになって、どんどん成長しているな、という意味だ。
ペルは頑張り屋だから、何でもすぐに吸収してしまうな」
そうしてどんどん大きくなっていくんだな、と思うと何だかしみじみする。
いつか、彼は自分が世話をしてやらなくてもよくなるのだろうか。
兄さん兄さん、といって縋ってくることもなくなっていくのだろうか。
唐突にそんなことを考えて寂しくなった。
思わず顔を顰めてしまう。
「クラウス兄さん?」
どうしたの?
そう首を傾げるペル。
心配そうな表情の彼。
その姿を見て、クラウスは微笑む。
そして軽く彼の頭を撫でてやった。
「何でもないよ、ペル」
心配してくれてありがとう。
クラウスがそういうと、ペルはほっとしたように頷いた。
そして、小さく首を傾げながら、彼は言う。
「ごはん、食べにいこう?」
クラウス兄さんも一緒に。
そう甘えるように言うペルを見て、クラウスは微笑んだ。
まだ、暫くは……――
そう思いながら。
―― まだ、暫くは… ――
(いつか彼も手がかからない子になるのだろうか。
そう思うと少し寂しい…ような)
(でも彼を見ていると何だか安心する。
もう暫くは、私たちの傍で手のかかる弟でいてほしいな、なんて)