小さく咳をする、隻眼の少年。
彼……シュタウフェンベルクは苦しそうに顔を歪めた。
それから、ふぅと息を吐き出す。
額に自分で触れて、もう一度溜息。
自身の手で触れるだけでわかるほど熱い額。
喉が痛くて、呼吸が辛い。
どうやら、風邪を引いたらしい。
そう思いながらシュタウフェンベルクは息を吐き出した。
いつもならば、副官であるヘフテンが面倒を見てくれる。
しかし、今日はそれが不可能だった。
それは……
「ヘフテンは……実家に、帰ってしまっているし」
シュタウフェンベルクはそう呟く。
溜息を吐き出すと同時、喉が痛んで彼は軽く咳き込んだ。
何だか体が怠くて、動けない。
医者のところに行こうとも思たのだが……その気力さえわかない。
「う……」
小さく呻く。
それと同時……不意にドアをノックする音が響いた。
シュタウフェンベルクは驚いたが……
返事をする気力も湧かない。
どうしたものかと思った、その時。
ガチャリ、とドアが開いた。
こうして勝手に部屋に入ってくる人間はそんなにいない。
ヘフテンか、兄たち、クヴィルンハイムくらいだと思うのだが……
そう思いながら視線だけをドアの方へ向ける。
「!お前、は……」
そこにいたのは青い髪に鳶色の瞳の少年。
見たことがある少年だった。
……もっとも、それは"本当の姿"ではないのだけれど……
「フォル……」
「今の姿してる時は"ラフ"だよ、シュタウフェンベルク先輩?」
そういって人懐っこく笑う青髪の少年……ラフ、基堕天使フォル。
彼は変身術を解いて、シュタウフェンベルクに歩み寄った。
そして小さく首を傾げて、いう。
「体調悪いみたいだね」
「元気そうに見えるか」
気怠そうに答えるシュタウフェンベルク。
相手がフォルだとわかって、一層疲れが増した気がする。
追い出したいところだが、追い出すだけの気力もない。
小さく咳き込む彼。
フォルはそんな彼の額に触れた。
「熱高いね。お医者様に診せた?」
「いや……」
動けないんだ、と呟くように言う彼。
それを見てフォルはふっと息を吐き出した。
「しょうがないなぁ」
そう呟いた彼は再び魔術で姿を変える。
青髪に変わった彼を見てシュタウフェンベルクは驚いたような、怪訝そうな顔をした。
「どうする、つもりだ……?」
「お医者様呼んできてあげる。
今日は、金髪の副官君もいないみたいだし……
この前の、お礼」
そう言いながら、フォルは軽くウィンクをする。
"この前"の、意味。
それは、先日フォルが風邪をひいて倒れていた時のことを言っているのだろう。
"お礼"という言い方に一瞬身構えた彼を見て、フォルは笑いながら言った。
「あはは、そんな身構えないでよ。
純粋に、看病してあげようと思ってるだけだからさ」
そういいながらフォルはひらりと手を振って外に出ていった。
シュタウフェンベルクはやや不安げに彼の背を見送る。
一応、彼の言葉に嘘は感じなかったけれど……本当だろうか?
しかし、追いかける気力もなければ、体が辛いのは事実。
シュタウフェンベルクはおとなしくそこで眠っていたのだった……――
***
それから少しして、医療部隊長であるジェイドが部屋に来た。
傍でひょいと顔を出す青髪の少年。
どうやら、本当に彼が呼びに行ってくれたらしい。
「随分熱が高いですね……
他に辛いところはありませんか?」
心配そうに問いかけるジェイド。
シュタウフェンベルクは喉が痛いのと身体が怠い、と症状を告げる。
ジェイドは暫し彼を診察したのち、風邪だろうといって薬を置いていった。
「食事は、取れそうなら軽くとってから薬をお飲みなさい。
水分はちゃんと取るように。
あまりに辛かったら呼んでくれればいいですからね」
「大丈夫ですよジェイド様、僕が様子見てますから」
そういって、ラフがにっこりと笑う。
ジェイドはそんな彼を見て微笑んだ。
「貴方は、ノトの……今日はヘフテンもいないようですし、お願いしますね」
そういうと、ジェイドは部屋を出ていく。
それを見送って鍵を閉めてから、フォルは魔術を解いた。
「ふぅ……あの恰好してると魔力消費してしょうがないんだよね……
ともあれ、これでとりあえず一安心かな、大佐殿?」
そういって微笑むフォル。
シュタウフェンベルクは"そうだな"と小さく頷いた。
一応、薬はもらった。
それをおとなしく飲めば良いとは思う。
今はそれだけの気力さえ、湧かないけれど。
そんな彼の様子を見て、フォルは少し心配そうに眉を下げた。
そして、いったんバスルームに消える。
一体何をしに行ったんだろう、と思っている間に、彼は戻ってきた。
「冷やした方が楽でしょ?」
そう訊ねるフォル。
彼は濡らしたタオルをシュタウフェンベルクの額に置いた。
ひやりとした感覚に彼は目を閉じて、小さく呻く。
「う……ぅ」
「うーん、弱ってる君はなんていうか……一層色っぽいよね」
そんなことを口走る堕天使。
シュタウフェンベルクが体を強張らせて身構えれば、フォルは楽しそうに笑って、言った。
「大丈夫だよ、お礼って言ってるんだから流石に襲ったりしないよ」
安心して、といってフォルは笑う。
シュタウフェンベルクは顔を顰めつつ、小さく呟いた。
「今一つ安心できないんだが……」
「失礼しちゃうなぁ」
頬を膨らませるフォル。
シュタウフェンベルクは"日頃の態度を知っている以上仕方ないだろう"といってから、息を吐き出す。
疲れた様子の彼。
フォルはそんな彼に近づくと、そっとその頬に触れた。
氷属性魔術使いのフォル。
彼の手はひんやりしていて気持ちが良い。
しかし、シュタウフェンベルクには少し心配要素があった。
だから、自分に触れるフォルの手をしっかり握って押し返す。
少し驚いた顔をするフォルを見つめて、シュタウフェンベルクは言った。
「今日は、魔力の調整が上手く出来ないから……少し、離れていろ」
それは、堕天使を気遣う発言だった。
フォルにとってシュタウフェンベルクの破魔の魔力は危険な魔力だ。
今は、発熱の所為で満足に魔力の調整が出来ない。
だから、離れていた方が良いだろうとシュタウフェンベルクはいう。
しかしフォルは小さく笑った。
そして、シュタウフェンベルクにいう。
「僕を見くびらないでほしいなぁ……
弱ってる君の魔力ごときでやられるほど僕はヤワじゃないよ?
大丈夫大丈夫」
そういいながらフォルはそっとシュタウフェンベルクの頬を撫でてやる。
その手の冷たさにシュタウフェンベルクは小さく息を吐き出した。
「まあ、とりあえず……
ゆっくり休んだら?後で食べ物は何か、貰ってくるし……
薬は、一回飲んでおきなよ、さっきのお医者様の言い方だとご飯食べずに飲んでも問題なさそうだし……」
「あぁ、そうする……」
頷くシュタウフェンベルク。
フォルはそんな彼の背に手を添えて起こしてやりながら、言った。
「普通に飲める?」
「……どういう意味だ」
シュタウフェンベルクはフォルから薬とグラスを受け取ると、薬を飲みほした。
医療部隊の薬だからとんでもなく苦い。
しかし幼いころからよく薬を飲んでいる彼。
そんなに、苦にはならない。
そんな彼を見ながらフォルは小さく笑う。
そして悪戯っぽく笑いながら、言った。
「そのまま飲めたんだ。
口移しの方が良いかと思ったのに」
その言葉にシュタウフェンベルクは眉をしかめる。
それから溜息を吐き出して、言った。
「お前は好きな相手以外とはキスしないんだろう?」
あっさりした口調でそういうシュタウフェンベルク。
それを聞いてフォルは苦笑を漏らした。
「もう少し動揺してよねぇ」
からかいがいがないなぁ、と呟くフォル。
やれやれ、と肩を竦めると、フォルは彼の身体をベッドに寝かせた。
「ほら、後はゆっくり休みなよ?
僕が傍についていてあげるからさ」
そういってフォルはそっとシュタウフェンベルクの頭を撫でる。
彼はふっと息を吐き出して、目を閉じる。
静かな寝息を立てる彼を見つめてフォルも楽しそうに微笑んだのだった。
―― I take care of… ――
(この前の、お礼だよ。
可愛い大佐殿を傍で見ることも出来るしね…?)
(相手は警戒すべき堕天使なのに…
それでも傍にいて看病してくれることにほっとして…)