ある、穏やかな春の日の午後……――
「ふぅ……」
長い紅色の髪を編んだ少年は大きな城の前にたっていた。
大きいといっても、子の国が小国であるために、そこまで大きくもないのだけれど。
彼……ダリューゲは小さく息を吐き出して、その城の敷地に足を踏み入れた。
すれ違う騎士たちは皆白い制服を身に付けている。
同じように白の制服を身に付けた騎士たちのことを彼は知っているが、
それとはまた違う……何処か貴族風の制服だ。
「イリュジア以外の国でこういう仕事をしたのは久しぶり、かなぁ……」
ダリューゲは小さく呟く。
そう、この場所はダリューゲや彼の仲間が訪問することが多い隣国、
イリュジアではなく、その更に向こう側……ミラジェリオ王国と言う国だ。
今日から仕事でこの国の国王を護衛することになっているのである。
そんなに頻繁に外に出掛けることがない人間らしいが、
戦闘が全く出来ないらしく、そんな彼が出掛ける時に護衛を務めて欲しいとのこと。
入り口の前で身分を告げれば、この国の騎士とおぼしき少年に案内されて、
今回の依頼者……ミラジェリオ国王であるアズル・フィオーレの部屋に通された。
なかにはいったダリューゲの前に立っていたのは紫髪に緑の瞳の青年。
二十歳過ぎだと聞いていたが、そうは見えない……幼い風に見える。
ダリューゲはその青年の傍まで歩いていくと、その足元に膝をついて、頭を垂れた。
「初めまして。オルポの仕事で参りました。
護衛を務めさせていただきます、クルト・ダリューゲと申します」
よろしくお願い致します、と彼が挨拶をすると青年は穏やかに微笑んだ。
「僕はアズル・フィオーレ。よろしくね、ダリューゲ」
何やらのんびりとした声色だ。
表情といい雰囲気といい、戦闘が出来ないと言うことに頷ける人だな、と思いつつ、
ダリューゲは彼の方を一度向いてから頭を下げた。
「はい、よろしくお願い致します、アズル様」
「様付けはいいよ」
ヒラヒラと手を振りながら、アズルがいった。
ダリューゲはきょとんとして顔をあげる。
様付けは良い?
「え、でも……」
そんなことを言われても……
幾ら自国の国王ではないといったって、騎士である以上身分が上である人間に対し、
ましてや一国の国王ともあろう相手に無礼を働く訳にはいかない。
少し困惑した表情のダリューゲの顔を覗き込みつつ、アズルは微笑んで、いった。
「あんまり好きじゃないんだ、様付けで呼ばれるの。呼び捨てにしてほしいな」
「んー……わかりまし……」
わかりました、とダリューゲが言おうとした時、
「あ、それもなし」とアズルがいった。
ダリューゲはぱちぱちとまばたきをした。
アズルはそんな彼を見て、言う。
「敬語もなしでいいよ。嫌だというなら……
依頼者命令、ってことにしておこうかな」
にこり、とアズルは笑う。
嫌な感じの笑みではなくて、子供のように無邪気な笑みだ。
ダリューゲはそれを見て幾度かまばたきをすると、ふっと笑って、頷いた。
「……わかった、よろしくねアズル」
「ふふ、よろしく」
アズルはダリューゲの手を握って、嬉しそうな表情を浮かべたのだった。
***
そうして顔合わせも済んだ二人は、
ダリューゲに辺りを案内することも含め、一緒に外に出掛けた。
街の中はとても賑やかで、イリュジアと少し雰囲気が似ている。
帰り道にそんな話をすれば、アズルは小さく笑って、ダリューゲにいった。
「イリュジアは僕の親戚の国だからね」
「あ、……そう、だっけ。あの国の王女様の親戚って聞いてた」
そうだった、とダリューゲは思い出す。
この国に来る前、ミラジェリオ王国とその国王について幾らか話は聞いていた。
その時に、今から護衛をしにいくアズルと言う青年がイリュジア王国の王女、
ディナの遠縁の親戚に当たる、ということも知ったのだった。
通りで、自由な雰囲気が似ているわけである。
「まぁ、僕はディナほど上手に国を治められてないから、
あの国よりは少し治安も悪いかもしれないんだけどね」
そういって、アズルは苦笑を浮かべる。
あまり戦闘も得意でないと言うアズルは、
"僕じゃ対抗も何も出来ないからなぁ"と呟くように言う。
それを聞くと、ダリューゲは周囲を見渡して、小さく息を吐き出した。
「この程度だったら全然問題ないと思うけどな。
普通に平和そうだし、物々しい雰囲気もないしね……
確かにちょっと貴族が威張ってる感じはあるけど」
そんなダリューゲの口ぶりに、アズルは少し驚いた顔をして彼の方を見る。
自分よりずっと年下に見える少年。
しかし彼の横顔は、まるで何かを悟りきっているかの表情だ。
子供らしからぬ、雰囲気……
それをまじまじと見つめていたアズルの方を、ダリューゲは振り向いた。
そしてにっこりと笑って、言った。
「まぁ、何かあった時のための護衛が僕だからね」
その表情は、少し緩んで見える。
アズルはそれを見て幾度か緑の瞳を瞬かせると、
ふわりと笑って、"そうだね"と返した。
と、その時。
すっとダリューゲが真剣な表情をした。
「ん……止まって」
「え?」
そのままアズルが足を踏み出そうとした時、道を数人の男が塞いだ。
体格の良い男たちだ。
皆一様に武器を携えている。
アズルは驚きとも僅かな怯えともとれる表情を浮かべて足を止めた。
「へへっ、一国の国王ともあろうお方が丸腰で子供(ガキ)のお守りかい?」
「丸腰……あ」
アズルは腰の辺りに手を当てた。
いつもはそこにつけている護身用の短剣さえ持っていない。
元々持っていたところで上手く戦える訳ではないのだが……
それでもあるとないとでは大違いだ。
「こっちにしちゃ好都合さ!ちと来てもらおうか」
そういいつつ一人の男が足を踏み出した時、
ダリューゲがアズルの前に立ちふさがった。
それを見て、男は怪訝そうな顔をする。
「あ?何だこのガキは……」
「ガキじゃないよ、アズルの護衛」
きっぱりと、この状況に一切動じた様子なく、ダリューゲはいった。
その言葉に、男たちはきょとんとする。
「は?護衛?」
確かに、ちらと見た感じでは護衛と言う荷は少々頼りなく見えるダリューゲ。
一瞬ぽかんとしていた男たちだったが、すぐに笑って、いった。
「こんなガキが護衛か!
構わねぇ、ハッタリだ。こいつも丸腰……」
そう、一人がいった時。
大きな爆発音が聞こえた。
「うわ!?」
それに驚いて、全員が動きを止める。
その音をたてたのは、他でもない……ダリューゲで。
「ごめんねー、丸腰じゃないんだよねー」
そういって、彼は笑った。
勝ち気、むしろ……好戦的な表情。
丸腰ではない、といった彼の腕の先にあるのは、キャノン砲。
それは、彼が持っているのではなく、"彼の腕自身が"武器と化しているのだった。
「ダリューゲ、君……」
「僕の戦闘スタイル、教えてなかったね。
こうやって、自分の体を武器にするんだよ……文字通りに、ね」
そういったダリューゲは、再び少しだけ物憂げな顔をした。
しかしアズルが再び口を開くより先、
ダリューゲは連続で腕の先から炎の魔術を放った。
男たちはそれに怯んで、二人から離れる。
「僕や僕の依頼者に喧嘩売ったってことはある程度覚悟は出来てるよねぇ?」
に、と笑う彼の表情に、二人に攻撃を仕掛けてきた男たちは完全狼狽えた様子だった。
そして、連続で炎を放つダリューゲの攻撃を躱しつつ、一人が叫んだ。
「ば、化け物だ……」
「こんな魔術、見たことねぇぞ!」
逃げろ!と叫んだ男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
ダリューゲも暫し追撃するように魔術を使っていたが……
男らの姿が見えなくなると、攻撃をやめた。
そして、自分の腕の先……
武器と化していた箇所をもとの形に戻して、撫でる。
「……化け物、か」
ぽつり、と呟いた声。
アズルはそれを聞くとはっとして、彼に声をかけた。
「ありがとう、ダリューゲ、助かっ……」
助かったよ、そう言おうとしていた。
しかしそれより先にぐらり、とダリューゲの体が傾ぐ。
アズルは驚いて目を見開いて、慌てたようにその体を抱き止めた。
「っ!?ダリューゲ、大丈夫……!?」
そうして声をかけたが……
ダリューゲの口から洩れているのは、静かな寝息。
アズルはそれを聞いて瞬くと、ふっと笑って、いった。
「魔力の使いすぎ、かな」
今の彼の戦いかたには、アズルも驚いた。
あれだけの魔術だ、疲れないはずがない。
それも、アズルを護衛すると言う初めての任務で多少でも緊張もあっただろうし……
魔力を使いきることもありうるだろう。
アズルは抱き止めた彼の顔を覗き込んで、小さく息を吐き出した。
「……こうして寝てると、普通の男の子に見えるんだけどな」
眠っているダリューゲの表情。
かなり無防備な表情で眠っている。
疲れている様子ではあるが、子供らしい表情だ。
先刻までちらちらと見せていた子供らしからぬ表情とは、違う。
此方の方が似合いの表情だな、と思って微笑むと、アズルはふっと息を吐き出した。
「えっとぉ……どうしようかな」
これから、とアズルは呟いた。
これから二人で帰るところだったのだから何ら問題はないのだが……
眠ってしまったダリューゲを歩かせる訳にはいかない。
叩き起こすのも忍びないし、ここで休むのは少し怖い。
少し考えた末に、アズルは寝入った彼の体を抱き上げた。
「よいしょ、っと。
帰りには何も出てこない、ことを願って帰るしかないな」
僕は一切戦えないし、と呟いてアズルは苦笑する。
そして、優しくダリューゲの頭を撫でると、呟くようにいった。
「ありがとうね、ダリューゲ……これからも、よろしくね」
―― King and knight ――
(僕の護衛を務めてくれるのは、幼く見えるけれど勇ましい騎士。
君が時おり見せた表情の意味はいったい何だったのだろう?)
(ふわふわとした表情の国王様。
頼りないけれど優しい雰囲気の彼を守るのが僕の任務。
微睡んだ意識のなか、優しく頭を撫でてくれたのは貴方の手だった?)