鳥が囀ずる声が聞こえる。
しゃっと響いた音はカーテンを引かれた音だろうか。
顔に当たる眩しい朝日を感じつつ、黒髪の少年……メンゲレは薄く目を開けた。
彼の深緑の瞳に映ったのは長い金髪の少女、
メンゲレの"娘"である、ソルティの笑顔だった。
「ん……」
「おはよ、父上様!」
明るい声。
それを聞けば、メンゲレの意識もはっきりした。
自分を覗き込んでいる娘の笑顔をみて大きく目を見開くと、ばっと体を起こす。
「!ソルティ?」
「僕もいますよ、お父様」
くすり、と笑う声が横からもうひとつ。
メンゲレがそちらに視線を向けてみれば、
ソルティによく似た、金髪碧眼の少年がたっていた。
メンゲレはそれをみて幾度もまばたきをする。
「アントレも……どうしたのですか、こんなに朝早くから……」
「早く、ってほど早くでもないですよ?」
きょとん、としたようにアントレが首をかしげる。
そんな彼の言葉に驚いたように、メンゲレは部屋の中の時計に目をやった。
「え……あ!」
メンゲレは驚きの声をあげる。
いつも起きる時間より、遅い。
いつもなら朝食を終わらせて、草鹿の会議室で今日の任務内容の確認をしている時間だ。
寝坊した?
その状況に気がつくとメンゲレは慌ててベッドから降りた。
こんなこと今までなかったのに、と焦りつつ支度を始める父をみて、
アントレとソルティは顔を見合わせた。
そして、小さく笑うとソルティがメンゲレに言う。
「父上様、あたしたち、ジェイド様からの伝言伝えに来たんだよ!」
「ジェイドさん、からの?」
急いでネクタイを整えていたメンゲレは驚いた顔をしつつソルティの方を見る。
ソルティがうんうんと頷く隣でアントレが補足を入れた。
「目が覚めたら自分の部屋に来てくれ、と。
ジェイドさんは少し、他の騎士に指示を出してくるから、
部屋を空けているかもしれない、とのことでしたが」
「あ、ありがとうございます……!
急いで準備していきますから、とジェイドさんに伝えておいてくれますか?!」
メンゲレは装飾品を身に付けつつ、子供たちにそう頼む。
もう遅刻は確定なのだが、せめてなるべく急いでいくということを伝えておいてほしい、と。
その言葉を聞いてアントレとソルティは元気よく頷いた。
「はぁい!」
「じゃあ僕たち先にいってますね!」
そういって部屋を駆け出していく子供たちの小さな背中を見送ると、
メンゲレは急いで自分の身支度を進めていったのだった。
***
どうにか身支度が整うと、メンゲレは急いでジェイドの部屋に向かう。
いつもおとなしいメンゲレが白衣を翻らせ走る姿は物珍しく、
すでに仕事に入っていた草鹿の騎士たちは驚いた表情を浮かべていた。
そんな様子を気に止めた様子もなく、
メンゲレは通い慣れた自分の上官の部屋のドアを開ける。
慌てたあまり、ノックするのさえ忘れていた。
「ジェイドさん、すみません遅くなって……!」
そう声をかけつつメンゲレはドアを開けたのだが……
部屋の様子がいつもと少し違っていた。
研究資料が作業用の机に乗っているのはいつも通りなのだが、
休憩用のテーブルの上に何やら食べ物……朝食、が並べられていた。
香ばしいトーストの香り。
紅茶の香り……
いつもと違うその部屋の様子にメンゲレは少し面食らった表情を浮かべる。
「……あれ?」
メンゲレがそう声を漏らすと同時、キッチンの方からひょいと緑髪の男性……
基、この部屋の主であるジェイドが顔を出した。
そしてメンゲレと目が合うと、にっこりと笑って言う。
「おはようございます、メンゲレ」
「父上様、やっときたー」
「え。え?」
メンゲレはこれがいったいどういう状況なのか飲み込めず、
ジェイドとアントレソルティの姿を交互に見ている。
ジェイドはくすくすと笑いつつ、メンゲレにいった。
「少しだけ手伝っていただけますか、メンゲレ。
アントレもソルティもお腹すいたみたいですからね」
「え、ジェイドさん、これは……?」
漸く、訊ねることが出来た。
これは、どういう状況か、と。
メンゲレの質問に、ジェイドは翡翠の瞳を細める。
そして傍に来た彼の頬をそっと撫でつつ、いった。
「ふふ……ささやかな、誕生日祝いですよ」
「誕生日、祝い?」
ぱちぱち、とメンゲレはまばたきをした。
ジェイドはこくりと頷くと、そっとメンゲレの額にキスを落とした。
「えぇ。お誕生日、おめでとうメンゲレ」
「おめでとうございます」
「おめでとう、父上様!」
アントレとソルティもメンゲレに抱きつきつつ、そういった。
双子の笑顔。
ジェイドの笑顔。
それを見た後、メンゲレはジェイドの部屋におかれていたカレンダーを見た。
今日の日付……そこには、印がつけられていて。
「……あ、そう、でしたね」
メンゲレは気の抜けたような声でそう呟いた。
今日は、自分の誕生日だったか、と。
そんな彼をみて、ジェイドは小さく笑った。
「おやおや、忘れていましたか」
「忘れていた、というよりは……寝坊したことで少し焦ってしまって」
メンゲレはそういって苦笑を漏らす。
昨日の夜にそういえば明日は誕生日だったな、とうっすら思ってはいたのだけれど、
今朝の寝坊ですべてのことが頭から飛んでいた。
今言われて漸く思い出した、というのが正解だ。
ジェイドはそんなメンゲレの言葉にくすくすと笑って、いった。
「ふふ、ごめんなさい。それも、僕が仕向けたことですよ」
「え?」
メンゲレはジェイドの言葉にぱちぱちっと瞬きをする。
ジェイドは自分達の隣にいる幼い少年少女をみて微笑むと、
メンゲレに"種明かし"をした。
「アントレとソルティにちょっとした催眠魔術を教えましてね。
貴方がほんの少し寝坊してくれるように、魔術をかけてくれと」
ね、いってメンゲレの子供たちであるソルティとアントレを見る。
ソルティは誇らしげに、アントレは少しすまなそうにメンゲレを見つめ返した。
暫しそんな子供たちを見つめていたメンゲレはジェイドの方へ視線を戻す。
「そ、それで僕……」
「そうですよ。
だから、怒ってなどいませんし、今日貴方に仕事を課すつもりもありません」
ジェイドはさらりとそう答えた。
メンゲレは彼の言葉にほっとしたように息を吐き出す。
そしてふわりと笑うと、いった。
「そうだった、のですか……よかった。
僕、遅刻してしまったら迷惑をかけてしまうな、と」
それだけが心配で、と苦笑気味にいったメンゲレにジェイドは"大丈夫ですよ"と笑う。
そしてメンゲレの黒い髪を撫で付けて、いった。
「僕も、今日は仕事をお休みさせていただけるように皆に頼んできたんです。
大切な貴方の誕生日、ですからね」
そういうと、ジェイドは部屋の中のテーブルに視線を向けた。
机の上に並ぶ朝食。
自分が用意したのだ、とジェイドは言う。
「プレゼントはまたあとで、と考えていたので……
余興に、"家族らしく"一日過ごせたらいいんじゃないかな、と」
「家族らしく、ですか」
メンゲレは深緑の瞳を見開いて、ジェイドの方を見る。
ジェイドはにっこりと笑って、こくこく頷く。
そしてアントレとソルティとも目配せをして、いった。
「こうしてメンゲレが移籍してきて、そしてアントレとソルティが来て……
ゆっくり過ごす、ということはあまり多くなかったでしょう?」
「そう、ですね」
確かに、とメンゲレは思う。
メンゲレは途中でジェイドが統率するこの部隊に移籍した人間。
その子供であるアントレとソルティもつい最近になって此方へ来るようになった。
医療部隊の騎士としての仕事は多く、ハード。
ゆっくり出来るオフの日は決して多くない。
ジェイドが気を使って休みを作ろうともしてくれるが、
流石に自分ばかりが優遇される訳にはいかないから、と、
メンゲレも仕事に勤しんでいた。
そんな彼、また統率官であるジェイドにとっては、珍しい休みだ。
こうして、アントレとソルティ、メンゲレ、そしてジェイドで、
一緒にゆっくり出来る機会は、ジェイドの言う通り少ない。
ジェイドはメンゲレを見つめて微笑むと、いった。
「だから。一緒に朝御飯を食べて、ゆっくりして、
それから一緒に街に買い物に出掛けましょう。
それで、一緒に夕飯の支度をして……」
ジェイドが語るのは、確かに、穏やかな家族の一場面。
何のことはない、特別なことはないヒトコマだが……
メンゲレやジェイドにとっては、それは幸福の象徴で、きっと憧れで……
「いい考えだと思わない?父上様!」
「僕たちも、たくさんお手伝いしますから」
ね!とはしゃいだように言う、アントレとソルティ。
ジェイドとメンゲレ、二人の"父"と共に、家族のように過ごせる。
それは、子供たちにとっても嬉しいことなのだろう。
メンゲレは三人を見ると、深緑の瞳を細めた。
少し、その瞳が潤む。
「……ありがとう、ございます」
「ふふ、泣くことないでしょうメンゲレ」
ジェイドは笑いながら、メンゲレの頬を撫でる。
メンゲレははっとしたように首を振ると、ジェイドに抗議した。
「な、泣いてませんよ!でも、その……嬉しくて」
そういいつつ、メンゲレは少し屈んで、自分の子供たちを抱き締めた。
ありがとうございます、二人とも。
そんな、メンゲレの言葉にアントレとソルティは嬉しそうに笑う。
そして、彼に抱きつく二人。
メンゲレは愛しげに双子の頭を撫でる。
そんな彼らのようすを見ていたジェイドは翡翠の瞳を細めて、からかうように言う。
「おや、僕には抱きついてくれないのですか?」
「!……っ、ジェイドさんは、意地悪です」
ジェイドの言葉に顔を赤くして、メンゲレは言う。
しかし躊躇いがちに抱き付いてきたメンゲレを抱き止め、ジェイドは微笑む。
「ふふ、元々でしょう?」
僕が意地悪なのは、といいつつ、メンゲレを抱き締めたまま、
ジェイドは彼の耳元に口を寄せた。
そして、囁くような声でもう一度いった。
「……お誕生日、おめでとう」
「ありがとう、ございます」
メンゲレも嬉しそうに笑ってそういう。
ジェイドはそんな彼の肩をぽんと叩くと、笑顔で言う。
「さ、支度を終わらせて朝御飯にしましょう。
美味しく出来ているかはわかりませんが」
二人も手伝ってくださいね、というジェイドの言葉に頷いて、
アントレとソルティも手伝いをする。
「あたしもお手伝いする!」
「あぁっ、ソルティそんな持ち方したら危ないよ!落ちちゃう!」
賑やかな声。
賑やかなやり取り……
それを聞き、メンゲレは目を細める。
「朝から元気ですねぇ、二人とも」
「ねぇ、メンゲレ。ひとつ、聞いてもいいですか?」
ジェイドの問いかけにメンゲレはキョトンとした。
「?なんでしょう?」
「幸せですか?今」
ジェイドの問いかけは、それ。
メンゲレは一瞬大きく目を見開いた後、ふわりと花が咲いたように微笑んだ。
「!ふふ……勿論です」
「そう、それはよかった」
ジェイドも幸福そうに笑う。
メンゲレと二人で笑い合うと、自分達を呼ぶ子供たちの方へ歩いていったのだった。
―― 幸福を一欠片 ――
(なにも特別なことじゃない
でも、とても幸せなワンシーン)
(隣に愛しい人がいて。大切な子供たちがいて。
嗚呼、幸せだ。そう思える)