穏やかな陽光の降り注ぐ、午後の医療棟……
その一室では、ちょっとした事件が起こっていた。
「ムッソリーニ?」
「…………」
「そろそろ此方を向いてはくれませんかねぇ?折角の顔が見えません」
不機嫌そうな顔をしてベッドに座っているのは、金髪の少年。
むくれたような顔をしてそっぽを向く彼を
可笑しそうに見つめていた淡水色の髪の男性は小さく首をかしげて、いった。
「何をそんなにむくれているのですか?」
「この状況でむくれない人間がいたら見てみたいですけど」
そう答えつつ、金髪の彼はじとっとした目で淡水色の髪の彼、カルセを見る。
カルセは笑顔で"やっとこちらを向きましたね"等と笑っている。
ふぅ、と溜め息を吐き出した彼……ムッソリーニは、
自分の頭の上にひょこりと立つふわふわとしたそれ……猫の耳に触れた。
柔らかい金髪の上にぴんと立ったそれは作り物ではない。
相変わらずに"消えない"それに、ムッソリーニは深々と溜め息を吐き出した。
カルセはそんな彼の様子を見て、悪びれた様子なく、首をかしげる。
「どうして?せっかく可愛らしいのに」
「この状況でそれ言われて喜ぶわけがないだろ!」
思わず素でツッコミを入れるムッソリーニ。
一応カルセは彼よりもずっと年上であるために敬語を使っていたが……
慣れと感情的な距離の面で大分近しいために、
時々敬語が外れるのはいつものことなのだけれど……
今の渾身のツッコミは、彼の心からの叫びだった。
誉められたって嬉しくない。
ついでに言うなら可愛い何て誉められたって、
もっと言うなら……猫耳猫尻尾姿という何とも奇妙な格好を誉められたって、
羞恥が増すだけで嬉しくなどならない。
カルセはそれを見てくすくすと笑う。
「本当に、予想以上の反応をしてくれますよねぇ、貴方は」
完全に面白がるムードの彼に、ムッソリーニは溜め息と呆れた表情を向けた。
カルセと親しくなってからジェイドに言われた、
"先生はああ見えて変に子供っぽい方ですから……"という言葉の意味を漸く理解できた気がした。
***
―― 発端は、前日の夜だった。
ムッソリーニは親しくなってから時折カルセの部屋を訪ねるようになっていた。
悲しいことがあった時は向こうからそれに勘づいて来ることもあるのだが、
そうでなくともムッソリーニの方からちょっと話をしたりするために、
カルセの部屋を訪ねることもあって。
ただ、その夜は少し違っていた。
「全く……騎士たるもの女性を敬愛せよ、とは言いますが……
その女性を庇って自分が怪我をしたのでは本末転倒ではありませんか?」
カルセはそういいながら、自室のソファにムッソリーニを座らせていた。
彼の細い手首は少し赤く腫れていて熱を持っていて……
それに軽く氷嚢とタオルを当てつつ、ちらと彼の青い眼を見た。
ムッソリーニは彼に捕まれていない方の手を振りつつ、笑顔でいった。
「はは、でも大丈夫ですよ!ほら、軽く捻っただけだし……痛っ!」
不意に手首に走った痛みにムッソリーニは思わず悲鳴をあげた。
ぐいっと強く押されれば、それは痛い。
無論、それをやった犯人はカルセなのだから、手加減はしているはずだけれど。
「な、何するんですかカルセさん……」
痛いんですけど、とムッソリーニは抗議した。
カルセはそんな彼に涼しい表情で言い切った。
「軽く捻っただけならこの程度なら痛くないはずです」
全くもう、といいながらやや乱暴に湿布を貼り付けられ、
ムッソリーニは再び漏れそうになる悲鳴をこらえるはめに陥ったのだった。
その怪我……手首の捻挫の原因を、ムッソリーニはカルセに語った。
食事の時、片付けをしていたメイドとぶつかったのだという彼。
転びかけたその少女を庇った時に軽くではあるが手首を捻ってしまったのだ、と。
幸い、骨に異常はないだろうし動かせないほどに痛いという訳ではなく、
本人も最初は冷やして終わりにするつもりだったのだが……
廊下で会ったカルセに腕を庇っているのをあっさり見破られ、
説教ついでに治療を受けていたのだった。
カルセは彼の治療をしつつ、何かを探るようにムッソリーニを見つめていた。
時折、その場のムードを明るくするためにお道化を演じることがある彼。
まさか、また何かそうするためにそうしたのではないか?
そんな、彼の意がムッソリーニにもわかったのだろう。
周囲の見解よりずっと、ムッソリーニは察しが良い。
「あ、普通に事故ですよ、これ。
別に、誰かを笑わそうとしてやったとかじゃなくて……その、まぁ……」
ムッソリーニは"要らないこと"を口走りかけて、慌てて口を閉じた。
そのメイドにぶつかってかばった時に、
可愛い女の子に怪我させなくて良かったよー、と言う程度にはおどけたが、
あれはあくまでも騎士に怪我をさせてしまったと落ち込む少女を慰めるためだったし、
仮にも自分に"好きだ"といってくれた相手にそこまで話す必要はないだろう。
要らないところまで話しかけて慌てて口をつぐんだ彼に、
カルセは若干怪しむような表情を彼に向けた。
「……本当に?」
「事故、本当にただの事故!」
こくこく、とムッソリーニは何度も頷いた。
カルセはそれを見てすぐに頷く。
彼の挙動、言動が嘘か本当かは、見ていればわかる。
今回に関しては、本当に事故で転んだのだろう。
「ならば良い……否、良くはありませんけれど」
怪我をしたことはまぁ仕方ないですしね、と言いつつ、
カルセはムッソリーニの手首に湿布を固定するテープを貼って、
"はい終わりです"といった。
そして、何かを思いついたような顔をする。
「あぁ、そうだ……新しい紅茶の茶葉を買ってきたのですよ。
ジェイドほどうまく入れることはできないのですが……一緒にいかがです?」
「え、あ、ありがとうございます」
誘いを断るのもなんだな、と思ってムッソリーニが頷くと、
カルセは嬉しそうに微笑んで眼を細めた。
その後、彼に出された紅茶は甘い香りのする美味しいお茶で、
ムッソリーニもカルセと軽い談笑をしつつそれを飲んだのだが……
その間、カルセが何やら楽しそうな顔をしているのが気になっていた。
まぁいいか。
その時はそう思って流したのだが……――
その翌朝に、眼をさました彼は自分自身の微かな違和に気づいた。
いつもより少し、音がよく聞こえる気がする。
そして、眠い。
くぁ、と欠伸を洩らして、起き上がった彼は、
いつものように支度をしようと洗面台に向かって……
そこの鏡に映った姿に危うく悲鳴をあげかけた。
「な、何だこれっ!」
頭の上にひょこんと伸びた、獣の耳。
恐る恐る触れてみれば後ろに伸びている長い尻尾。
猫の、耳と尻尾。
まるでコスプレか何かのような姿に一瞬固まったが……
すぐに、原因は理解した。
「あの人……っ」
まだ、一緒にいた時間は決して長くない。
普段は、優しくて人の良い医者だと言うことも理解している。
けれど、それと同時に……
とても悪戯好きで、他人の反応を見て面白がる節があることもよく知っていて。
絶対あの人だ、と確信するとムッソリーニは頭を抱えた。
いったい、どうしたらいいのやらである。
とりあえず、やった本人になんとかしてもらう他ない。
そう思って、彼の部屋に向かった訳だが、それにさえも一苦労。
耳はなんとか帽子に押し込み、尻尾はズボンと上着で誤魔化し。
極力他人に会わないルートで、カルセの部屋に向かったのだった。
***
そんなこんなで魔術を解いてくれとこの部屋にやって来たムッソリーニだが、
あっさりとカルセに"無理です"と躱された。
「時間制ですから。私にも制御はききませんよ」
そんな無責任な言葉にムッソリーニが暫し固まったのは言うまでもない。
仕事には到底行けそうもないし……と仕方なしに仮病を使わざるを得なかった。
仲間や部下に要らない心配をかけたくないからその手は使いたくなかったのだけれど。
それ以降、ムッソリーニはむくれた顔をしてこの部屋にとどまっていたのだった。
「いつになったら解けるんですか、この魔術……」
「さぁ?一時間かもしれませんし、三時間かもしれませんし
……一日かかるかもしれませんねぇ」
意地悪い表情を浮かべながら、カルセはそういった。
「私に怪我を隠そうとした罰ですよ。おとなしく私の猫でいなさい、今日は」
そういいながらカルセはムッソリーニの顎に手を当てて、軽く指先で擽った。
さながら、猫にそうするように。
ムッソリーニはその挙動にびくっと体を跳ねさせた。
くすぐったい……
「っ、ちょ……やめて、ください」
「おや、どうして?」
首をかしげつつ、彼は深い藍色の瞳を細めた。
この挙動は、それこそ猫のようだ。
どうにか手を離してくれた彼を見て、小さく溜め息を吐き出しながら、いった。
「……カルセさんの方がよっぽど猫っぽいと思うんですけど」
「性格的な意味で、というのならば誉め言葉として受け取っておきましょう」
余裕の表情でそう返すと、カルセはムッソリーニから手を離し、
悠々と紅茶の入っているカップを傾けた。
猫……しかも、家猫ではなくて野良猫。
どちらかと言えば長い尻尾を揺らして夜の町を闊歩する化け猫……
否、それ以上は考えないでおこう、と思った。
想像するだに恐ろしいし、何よりそれを彼に感づかれたら、
それはそれは恐ろしいことになりそうだ。
ともあれ、このままでは仕事にも迎えない。
せめて書類仕事をこなそうと思ったのだが……
頭の上の耳を隠していた帽子を取られる始末。
「……もう、いいです」
諦めましたから、といって両手をあげると、
ムッソリーニはふて寝するように彼のベッドに転がった。
そして、すぐに眠気に襲われて、すぅすぅと寝息をたて始める。
「……放っておいたら、悪化させそうですからねぇ」
カルセはベッドの上で丸くなって眠った彼を見て、そう呟いた。
彼の手首に巻いた湿布。
それをあとで貼り変えてやらないといけないな、と思いながら。
―― Childish prank ――
(大人っぽい癖に変に子供っぽくて
そんな悪戯に振り回されるのにもきっと慣れてきたんだろうな)
(悪戯に込めた思いやり。
優しくて一生懸命な貴方はきっといつも通りに仕事をこなすでしょうから)