白い光が降り注ぐ、午後のこと……
天気は快晴。
鮮やかな青空が広がっているにも関わらず、
此処……ディアロ城は何だか静かだった。
そして、その騎士の棟の一室……そこに赤髪の少年はいた。
ベッドに横たわっているのは金髪の少年。
身じろぎもしない彼の胸は規則正しく動いていて、
深く眠っていることがうかがえる。
「ラインハルトー……」
彼……アネットは眠っている恋人の名前を呼びながら、そっとその髪を撫でた。
それでもやはり彼は反応しない。
眠っているだけと知っているし、
"何が"原因かもわかっているため心配はないのだけれど……
やはり、少しも反応がないと言うのは不安である。
アネットは溜め息を吐き出した。
「それもこれも、アンバー様の所為だ……」
ぼそり、と呟いた声は静かな部屋に消える。
部屋に吹き込んできた冷たい風に、アネットは一度身を震わせた。
一人ではないはずなのに"独り"の部屋は寂しく、寒く感じたのだった。
***
―― 数十分前。
「アンバー様ッ!これはどういうことっすか!」
静まり返った水兎の研究室にノックもなしに部屋に飛び込んできたのは、
物凄い剣幕のアネットだった。
それこそ獣のごとき勢いで部屋に飛び込んできたアネットに
部屋にいたアンバーとジェイドは驚きで目を見開く。
廊下を全力で走ってきたのか、或いは怒りのためか、彼の息は相当上がっていた。
しかし呼吸も整う前につかつかとアンバーに歩みより、アネットは言う。
「何なんすか魔術の失敗って……!
それにどんだけの人を巻き込んでるんすか!?」
一応、周囲の話は聞いていたらしいな、とジェイドは冷静に判断する。
アンバーは"ごめんね、アネット君"と詫びた。
「僕もこんなに大規模に失敗すると思わなくて……」
―― 失敗。
そう、現在ディアロ城ではとある困った事態が発生していた。
アネットがアンバーの部屋に乗り込んでくる少し前、
不意に城の中で光が弾けたかと思うと、
数人の騎士が意識を失うようにして倒れてしまったのだ。
無論、周囲は慌てた。
襲撃かと思って大騒ぎにさえなりかけたのだが……
蓋を開けてみれば、研究好きなアンバーがすべての原因だったのである。
やや難しい技術を要する魔術の研究をしていたアンバーは、
ものは試しと部屋でやっていたらしい。
しかし、どうやら刻んだ魔法陣が間違っていたらしく、魔術が暴発。
その結果働いてしまったのは幸か不幸か協力な催眠魔術で。
巻き込まれた騎士は本当にランダムだった。
アンバーの研究室のすぐ傍にいた彼の部下でも魔術にかからなかった者はいるし、
遠く離れていたのに魔術にかかってしまった者もいる。
そして、アネットがこうも怒り狂って部屋に来たのは……
彼の"恋人"が巻き込まれたからだった。
アネットはキッとアンバーをにらみつつ、言う。
「研究も大概にしてくださいっすよ!大体……ッ」
「まぁまぁ、アネット少し落ち着いてください……」
ジェイドはアンバーに飛びかからんばかりの勢いのアネットを宥める。
アンバーは殴られるのも覚悟といった表情。
流石に悪戯が過ぎたと反省はしているらしい。
ジェイドとてアンバーの研究には常々困らされてきたが、
だからといって騎士団員の暴力行為を見過ごすようでは医療部隊長の名が廃る。
もがき暴れるアネットを必死に押さえ込んでいるのであった。
体格の良いアネットを抑えるのは大変な仕事で、
しまいには拘束魔術を使う羽目に陥ったのだけれど。
アネットは自分を抑えるもう一人の統率官の方をみて噛みつくようにいった。
「ジェイド様だって怒るでしょう!?大事な人が巻き込まれたら特に!」
「えぇ、僕も冷静ではいられないと思いますよ。
けれどとりあえずアネット、落ち着いてください。
アンバーだって反省しているのですから……
まぁ、許してやれとは言えないのですけれど」
ジェイドはちら、とアンバーをみる。
あくまでもかばっている訳ではありませんよ、というように。
その視線が一番怖い。
「ごめんって……こんな大規模に失敗すると思わなかったんだよ……」
アンバーは珍しくしょぼんとした表情だ。
いつもならば多少の悪戯をして周りに怒られても平然としているのだが、
流石に今回は反省せざるを得ない。
ジェイドはふうと息を吐くと、アネットにいった。
「とにかく……アンバーの魔術ですから命に別状はないですし、
時間が経てば目を覚ますでしょう。
他にも被害にあった騎士がいるようですが……
そちらにもちゃんと話をしにはいきましたね、アンバー?」
咎めるようなジェイドの視線にアンバーはこっくりと頷く。
騒ぎがおき始めた直後にアンバーは事情説明と謝罪のために、
広い広い城のなかを奔走していた。
だから、大体の騎士は事情を把握し、通常任務に戻っている。
アネットは特殊ケースでこの事態が誰によって引き起こされたものか理解すると、
直接アンバーの部屋に乗り込んでいったのだった。
ジェイドに動きを抑えられたアネットは緑髪の彼をみながら呟くようにいった。
「……俺はどうしたらいいっすか」
「僕は知りませんよ。アレクに指示を仰ぎなさい。
任務があるならば向かいなさい。ないのなら……自由にして良いと思いますよ」
ジェイドはそういってにこりと笑っていた。
もう一度詫びたアンバーに決まり悪そうに、
"俺の方こそすんませんでした"と詫び、
アレクのもとに赴いた次第である。
そして結局アレクも事情は知っていたらしく、
"お前のことだから仕事も手に着かんだろう"といわれ、
こうしてハイドリヒの傍にいるのだった。
***
そんな数十分前のことを思い出しつつ、アネットは溜め息を吐いた。
相変わらず、愛しい彼は眠ったままである。
静かな寝息だけがまだ明るい部屋で聞こえる。
いっそ開き直って自分も一緒に寝ようかと思って彼の隣に寝転がろうともしたのだが、
何となく眠らずに彼を見ていたくてすぐに体をおこしたのだった。
そっと眠っているハイドリヒの金髪を撫でて、アネットは呟いた。
「まぁ……ちょうど良かったのかも知れないけどな」
ハイドリヒはかなり多忙なタチのはず。
アネットのように魔獣討伐の任務に赴くだけで良いならば話は単純だが、
彼……ハイドリヒの場合そうではない。
諜報活動から貴族の護衛、アネットたちの手伝いに赴くこともある。
多彩であるがゆえに引く手あまたなのが最大の問題だ。
夜中に帰ってきたと思っても明朝は早くから起きて剣術の訓練などをしている彼。
その姿を知っているアネットとしてはちゃんと寝ているのか心配なところである。
その点を考えると、今回のアンバーの催眠魔術は良い結果を生んだのかもしれない。
この一件に巻き込まれた騎士は皆臨時休暇扱いである。
眠っていたからといって咎められることはないはずだし、
この際ゆっくり休んでもらえばいいか、とアネットは開き直ることにした。
「でも……」
ぽつ、とアネットは呟いた。
ガーネットの瞳を眠っているハイドリヒに向ける。
白いシーツの上に散る、艶やかな金髪。
閉じられたままの瞼。
その上に影を落とす、長い睫毛。
まるで人形のように整った顔立ち。
「……眠り姫、なんてな」
アネットはそう呟いて、ふっと笑った。
その表情には複雑そうな色が灯っていた。
何だろう、似合う気がするし綺麗なのに……
そう口にしたことを後悔した。
必ず目を覚ましてくれると知っているから良いけれど……
もし、目を覚まさないとしたら。
それはアネットにとっては一番の恐怖である。
綺麗な綺麗な眠り姫。
けれどそのままでいてほしくはない。
眠っている彼は綺麗だけれど、起きて一緒に話したり出来る彼がいい。
そう思いつつ、アネットはハイドリヒの耳元に口を寄せた。
「……早く起きてくれよ」
アネットはそういってから、そっとハイドリヒに口づけた。
まるで、お伽噺の王子がそうするように。
と、その時。
ぴく、とハイドリヒの体が強張った。
長い睫毛が震えて、ゆっくりと瞼が上がる。
―― それこそ、おとぎ話のように。
アネットは驚いたようにまばたきをする。
そして、思わず呟いた。
「……え、マジ?」
「……何、ですか……?というか、何故私……」
ハイドリヒは目の前にあるアネットの顔にまず困惑し、
次に自分がおかれている状況に混乱した。
自分自身は食堂で休憩していたはずなのにいつのまにやらベッドの上。
どれだけ一生懸命思いだそうとしても、食堂にいたところから記憶が途切れている。
眠ってしまった記憶はおろか、部屋に戻った記憶もない。
"一体何があったのですか?"と訊ねるハイドリヒに、アネットは難しい顔をした。
説明出来ないことはないが、説明していたらまたアンバーに苛立ってしまいそうで。
何より他部隊とはいえ統率官に当たってしまったことは、
彼としては誤魔化したいことだった。
「あー……色々あったんだよ」
アネットは誤魔化すようにそういうと、ハイドリヒを抱き締めた。
困惑するハイドリヒの頭を撫でながら、言う。
「おはよ。ラインハルト」
「おはよう、ございます……?」
深く語ろうとしないアネットに怪訝そうな顔をしつつ、
ハイドリヒはアネットの腕の中にいた。
こうなったら彼が意地でも離してくれないことはよく知っている。
少しアネットの腕に力が籠ると、軽くその体を押して、
"少し苦しいです"と訴えた。
彼のそんな反応に、アネットは嬉しそうに……
何処か、ほっとしたように笑った。
その表情にハイドリヒは蒼い瞳を瞬かせる。
「アネットさん……?何かあったのですか?」
様子がおかしいアネットにハイドリヒは少し不安そうな顔をした。
体調が悪いのか、あるいは彼の表情が曇るような何かがあったのか、と。
アネットはそんな彼に"なんでもないよ"と返すと、
一度だけ、彼の白い頬にキスを落としていつものように笑って見せた。
―― Sleeping beauty ――
(なぁ、お前の"王子"は俺ってことにしておいて良いか?
ちゃんとこうしてお前を起こせるように何時でも傍にいるから)
(目を覚ました時最初に目に映ったのは驚いたような貴方の顔で。
眠っていたときにとても穏やかな気持ちだったのは、きっと……――)