彼にとっては小さな諍いも、弟にとっては”時期当主としての物言い”と映るようだ。

「お気をつけ下さい、かような時勢にございますゆえ」

そっぽを向いて言う、弟の物言いに苦笑する。

「お前は知らないのだよ」

自身ではない、自身では止められぬ、「人を陥れ、殺す」という行為に対する畏れ、怯え、押し潰されそうなほどの罪悪感。いけないと解っていても、その恐怖を抱かずにはいられない者が、この世には確実に在るということを。

「それでいいのだ」

自分ひとりが恐れを背負い、自分ひとりだけでも罪業を知覚していれば、それで赦されるような気もする。
武家の身で、このような虚しい、実の無い感慨を抱く愚かさを、自分でも理解できない。
それでも、己が足元に開く冥府の顎を見ずにはいられない。
それは、いつか瘴気となって己の足を焼き、膝をつけば骨を灼き、業火で以て焼き滅ぼすのだろうか。

「これが我が罪…」

その時が来るまで、目を閉じているがいい。
そして目を開けたとき、暗く血塗れた視界には、ただ己だけが映っていればよい。
他の誰も、罪を罰する最も罪深い手に捕らわれることのないよう。

ただ、己だけが禍を視ればよいのだ。



「ごめんなさい…」
羽織の裾を握り締め、むせび泣く弟の姿が不思議でならない。
「ごめんなさい…もう、あのようなことは言いません…ですから、あのようなことを仰らないで!」
泣きながら謝る理由もわからない。
そのように責めることをしただろうか、追い詰めることを言ってしまったのだろうか。
慰めるように肩を叩いてやれば、弟はますます暗い顔になった。

弟は、兄の足元に、優しい手に、冥府の闇が絡み付いているのを見た気がした。

「兄上…あなたは誰よりも早く、誰よりも罪を負って死にたいのですか…」
「そんなことはない。父上やお前たちを悲しませたくはない」

笑う眼差しに、確かに死の影を見てしまった。

願わくは父や兄弟の被る禍を全て我が身へ移したまえと、哀しき暗い祈りを胸に落とす兄の、確かに流れ落ちる死の闇を。



------------


毛利隆元のイメージ。
強い責任感の反面、お市と同じような「罪の意識」を抱いている人物として描いています。
ただ、隆元の場合、その罪の意識に逃げるのではなく、畏れながらも内包し、逆に家族や家、国のため全てを背負い、災いを我が身に受けようとする、自己犠牲の強すぎる人物だとイメージしています。

ここでの「弟」は隆景です。
穏やかなイメージの強い隆景ですが、別家の当主であり、優秀であるがゆえ、方針の対立してしまう存在ではないかと。
逆に、元春のほうが隆元を立てることが多いと思っています。