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下書き(元就、いつき。高松城水攻戦)

一歩、踏み出そうとしたとき――。
目の前に鋭い切っ先が閃いた。
「動くな、娘」
小さな白い顎の下で交差する刃。
頭の上から降ってくる声が、いつきを羽交い絞めにする。
「元春」
先ほどから微動だにしない毛利元就が、何も変わらぬ声で言葉を発した。
「その小娘を奥州へ送り返せ」
「他の者は?」
「斬れ」
いつきの頭が、しびれた。
「ま、待ってけれ…」
目の前が真っ白になった。
「助けてやってけろ!おらは死んでもいい、何でもするから…!村のみんなは助けて――」

「下衆が。疾く失せよ」


蓑がものすごい力でつかまれたかと思うと、小柄ないつきの体はぬかるみを引きずられていった。
「待ってけろ!やめてけれ、助けてやってけれ!お願えだから!」
「無駄だ」
顔の見えない、自分を引きずる侍は言った。
「みんな死んだ」
びくり、と動きを止めた少女を、元春は自分の前に引き据えた。
緑のお侍に似ている、と、しびれた頭の片隅で、いつきは思った。
「帰れ。そして、二度と戦うな」
軽く、突き放すように肩を押された。
よろけたが、転びはしなかった。
本当に、突き放すような動作だった。
「戦に出るなら殺す、戦に出れば死なせる。それが戦だ。できんのなら、二度と、戦場へは戻るな」
それだけ言うと、彼は去っていった。

 

下書き (元就、順徳尼(杉大方))


――わからねえ…あんた、本当にそれで幸せなのか…?


厳島で対峙した敵将の言葉が、いまだ胸の奥底に刺さっている。
たちの悪い棘のようなそれは、郡山城へ帰還した今もわだかまり、常に無く元就を苛立たせていた。
あの男のすべてが理解できない。理解できないということすら不愉快だった。
理解できないと激昂するほど、彼を畏れ、意識しているのだとは、もちろん露ほども気づいていなかった。


継母たる杉の大方―今は落飾して順徳尼と号する―から、目通りを願う言伝が届いたのは、そんな折であった。
元就の采配に一切、口出しをしてこなかった彼女が、このような機会で呼び出すなど、今までになかったことだ。
「わかった。すぐにお伺いすると、お伝えせよ」
近習に命じてから、ひとりになった元就は珍しく嘆息した。

 

「お館様におかれましては、このたびの勝ち戦、まこと喜ばしう存じます」
ふわりと微笑みながら、順徳尼は丁寧に祝辞を述べた。
その笑みも声も、どこまでも柔らかく優しい。これでいて、叱るときはぴしりと厳しい。だからこそ、元就はこの継室に深い敬愛を抱いている。
「大方様におかれても、お変わりないご様子。祝着に存ずる。して、いかなるご用で、我をお呼びになられたのです」
「いいえ、いつも松寿様へお祝いを申し上げるのに、とりまぎれてしまって、すぐということがございませんでした。ゆえに、このたびの戦では真っ直ぐと、お伝えしたかったのです」
いたずらの成功した少女のように笑う順徳尼とは裏腹に、元就は聞き捨てならぬ単語に憮然とした表情を見せた。
「大方様、幼名でお呼びになるなど、意地の悪い…」
「お館様とて、わたくしをいまだ“大方様”と」
「それは…そうですが…」
元就はあきれたように言葉を濁した。
わずかな変化とはいえ、氷の面などと呼ばれる常日頃とは似つかぬ声や表情。
順徳尼は微笑みながらも、しみじみと呟いた。
「ようやく、もとのお顔にお戻りなさいましたな…」
「顔…?」
「差し出がましいことではありますが、この奥向きにも、お館様のお噂が届いておりますゆえ…」
途端、元就の顔から表情が失せた。
「分別なき噂に過ぎませぬ。女子供は徒に情に流され、政や戦に考えが及ばぬもの。大方様ともあろうお立場の方が、かような戯言に耳を傾けてはなりませぬ」
毛利家の奥向きでも、元就の育ての親たる順徳尼は特別な地位にある。彼女自身が政治に関わることは無かったが、元就は政情や戦の始末など、定期的に報告していた。
そのような立場にある順徳尼が、当主たる元就の仕儀に異を唱えれば、それは単なる奥向きの物言いにとどまらなくなってしまう。
元就の懸念とは裏腹に、順徳尼は静かに首を振った。
「真のことなど、わたくしが最もよく存じております。お館様がおられなければ、毛利家がこれほどまでに栄えることなど、ございませんでした。なれど…」
つきり、と元就の胸が疼いた。それが、あの男と対峙したときに感じた痛みだなどと、思うべくもなかったが。
「お館様のなさりよう、徒に他国を煽ることになるやもしれぬと、わたくしはそのことが気懸かりなのでございます」
「受けもせぬ挑発に飛び込む短慮の者、迎え撃ち排除するが得策なれば」
「そのようなことではないのです」
「では、何故」
「お館様は、戦においては兵を物と見なし、策に用いられまする。それとて兵法なれば、致し方なきことでもございましょう。なれど、かようなお考えが他国に広く知れ渡れば、他国の武将はお館様が人心を得ておらぬと判断し、安芸攻め易しと見なしましょう」




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小説に入れようと思っている場面です。
2の高松城攻めで、半兵衛が「毛利元就には人望がない」と言っていたのを加味してみたり。

杉大方の法名が順徳というのは事実です。ちなみに、元就の生母の法名は祥妙といいます。
この時代の法名はあいまいで、優婆塞として俗形のまま名乗っていたのか、実際に出家した法体の状態で名乗ったのかはケースバイケースです。
文中では、毛利弘元死後でなおかつ元就が成人、当主として執政しているということで、このあたりになれば大概の女性は出家しているので、「順徳尼」としてみました。院号が普通かもしれないのですが、順徳院だと鎌倉時代の同名の天皇と被るし、いかな戦国時代でもそこまで畏れ多いことはせんだろう、ということで、無難に尼号で…。


出家した場合は「〜院」と呼ばれるのが普通なので(更に言えば、戦国時代の武家の女性であれば、夫に先立たれたり、息子世代に家督を譲って隠居→先代夫婦で揃って出家、のケースがほとんど)、そのあたりで大まかな区別がつけられます。
ただ、出家せぬまま亡くなった女性が、戒名(これも宗派によっては法名と呼んだりするのでややこしい)としての院号で呼ばれることも多いので、このあたりはもう、女性の生涯を追って調べるしかないでしょう…。

話がそれました;;
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