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ときに想いは 3

『だから、乱馬との許嫁の件はなかったことにしてほしいの』



茶の間の障子へ伸ばした手を、取っ手に掛かる寸前思わず止めた。


今…なんて……?

まるで冷や水を浴びせられたみてぇだ。

あかねの声は怒気を含みながらも、淡々と無機質に響く。


「元々お父さん達が勝手に決めたことだし。あたしは、一度だって認めたことはないんだから。」


おじさん達が何か反論してるみてぇだが、おれの耳にはあかねの声しか入って来ねぇ…。


「道場のことなら気にしないで。私一人で盛り立ててみせるわ。」

「これ以上乱馬に居候させる意味ないでしょ。だから、即刻出て行ってもらうから。」



なっ…!?


「ちょっとっ、待てよ!あかねっ!」

パーンと障子を開け放ち、手前に座るあかねの肩に手を伸ばした。

「おれが何したってんだよっ!!」


「触らないでよっ!!」


弾かれた手が乾いた音を立てる。


「あんたもしつこいわねっ!今さらなんの用なのよ!?」

「何って、おめぇがなんで怒ってんのか、理由ぐらい聞かせろってんだよっ!いきなり許嫁解消とか出ていけとか言われててもだなっ!……おれだって……。」

なっ…なんて目してんだよっ…。
あかねが向ける瞳には、憎悪の色しかねぇ。
耐えられなくて目を伏せても、怒りのオーラがびしびしと伝わってくる。


「おれだって何よ……。あたしはね…一分一秒たりともあんたと一緒にはいたくないのっ!」

なんだよっ…それっ……!


ふいにおれの顔に影が掛かる。
嫌な気配を感じて顔を上げれば、頭上高く座卓を振り上げるあかねの姿。


な、な、な、な……っ!!


「今すぐ…あたしの前から消えろって言ってんのよっーーー!!!」



どばーんっ!!!



あっぶねーっ!!

間一髪で避けはしたものの、それが余計気に触ったのか、畳に食い込んだ座卓をまた持ち上げて、おれを睨み付けた。


「ま、待てって!落ち着けっあかねっ!」


「問答無用っーー!!」


わっ!
たっ!
なんで、こーなるんだよ!

大人6人が優に座れるくらいの座卓を、あかねは軽々と右へ左へと振り回す。
それを上へ下へと避けながら、おれは庭へと後退して行った。

こ、こいつ、いつもより動きが早えぇっ。
って、感心してる場合じゃねーけど……。
おわっ、たっ、たっ、たっ、たっ!


縁側の際まで追い詰められて、足を踏み外した。
なんとかバランスは取ったものの、気付いた時には視界は座卓の茶色一色で―――。

し、しまったっ――――!


ばっしーんっ!!!


吹っ飛ばされて、一直線に池の中へ。


高く跳ね上がる水飛沫。
衝撃と痛みと水の冷たさに一気に襲われて、慌てて身体を起こせば、逆光の中おれへと飛び掛かろうとするあかねが眼前へと迫っていた。


「乱馬ぁぁぁーー!!覚悟ぉぉーー!!」


くそっ…避けられねぇっ……!!





――――――――――っ!?



あれ?
…………あかね?

恐る恐る、庇っていた両腕を下ろす。

あかねは座卓を振り上げたまんまで、不思議そうに目をしばたかせておれを見ていた。
まさに、獲物を見失って拍子抜けしたって表情だ。


「……あか…ね?」


「…乱馬……あれ?あたし…なんで?」


なんでって、それはおれが聞きてぇよっ。


「さっきまで乱馬の顔見てたら、スゴく腹が立って……それで……。」

不安気に視線を彷徨わせる顔はいつものあかねで、おれはほっと胸を撫で下ろした。

取り合えず、もう怒ってねーんだよな……?
けど、一体なんだったんだ?



「あかねっ。」

おじさん達があかねに駆け寄る。

「お父さん、お姉ちゃん……あたし…。」

おじさん達へと振り返るあかねの手から座卓が滑り落ち、おれの真横を掠めて池の中へ突き刺さった。

ひぃっ!

こ、こいつ……わざとなんじゃ…!?


「ん?乱馬、どうしたの?」

「おまえ…本当にもう怒ってねぇんだろうな?」

「……うん。ごめんね、乱馬。」

「まぁったく、ジュースひっかけたくれぇで許嫁解消だとか言い出すなんて、勘弁して欲しいぜ。」

「え?ジュース…?そう言えば、ジュース掛けられた後、あんたの顔見たら急に頭に血が上って……。」

なんだって?

「あかね。落ち着いたなら、もう一度話をしたいんだが。かすみ、お茶を淹れてくれるかい?」

「えぇ。お父さん、すぐに。」


おじさんに背中を押されて家の中へ向かうあかねは、まだ困惑した表情を浮かべたままだ。



「あんた達ねー、痴話喧嘩なら二人だけでやりなさいよ。家族会議なんて大ごとにされちゃ、いい迷惑だわ。」

「ち、痴話喧嘩なんかじゃねーよ!あかねがジュース掛けたぐれぇで怒って…………っ!?」


確か…あのジュース事件の後からだ、あかねが攻撃的になったのって。
あかねだって今そう言ってたよな?
そうだよっ、いくらあかねでもあんなに怒るなんて…どう考えても変だ。


「あのジュース……。」

「なに?ジュースがどうかしたの?」

なびきが軽く首を傾げて、おれの側へしゃがみこむ。

「乱馬くん?考え込んじゃって、どうしたのよ?」


ジュースに何か仕込まれてた…?
そう考えれば、あかねの変わりようも納得がいく。
あれを持って来たのは…………………

五寸釘っ!!!


「きゃっ。ちょっと、急に立ち上がらないでよっ。」


あんにゃろー!
また何か妙なもん使いやがったなっ!
今すぐ、とっつかまえて全部吐かせ…………ん?




「――――な、なぜだっ?ぼくの計画は完璧だったのに…。ま、まさかもう効き目が切れたのかっ…!?」


んん"?

ガバッと池から立ち上がったと同時に、すぐ後ろの植え込みからボソボソと聞こえてきた陰気そうな声。



「いや、早すぎるっ……そ、そうだ、説明書!えーっと…………最初に見た異性を攻撃………し、しまったぁぁぁぁーっ!異性にしか効かないんじゃ、早乙女が女になったら意味ないじゃないかぁぁー!」


五寸釘……こいつ、ずっとおれとあかねの様子を窺ってやがったな。
まぁ、おかげで探す手間が省けたぜ。

ツカツカと植え込みへ近づいて、勢いよく中に手を突っ込んだ。
顔面に縦線を目一杯いれて、独り言を呟く五寸釘の襟首を掴んで引っ張り上げると、おれを見て「やぁ」と白々しく言いやがった。


「さ、早乙女くんこんなとこで会うなんて、き、奇遇だね。」

「よぉ、五寸釘。てめぇ、あかねに何しやがった?」

「な、何ってなんのことかな?」

「知らばっくれんじゃねーぞ。あのジュースに何か仕込んだんだろっ!」

「ぼ、ぼくは、な、何もっ。」

「ほぉー。なら、これは何なんだ?」


五寸釘の手から、折り畳まれた紙切れをサッと奪って、ヤツの目の前に広げて見せた。


「あぁっ、それは!」

「きせきのジュース説明書?なんじゃこら?」

「なぁに?なぁに?」

興味津々で覗き込んで来たなびきに、説明書らしい紙切れを渡す。


「奇跡のジュースファイト一発?このジュースを飲んだ人は、最初に見た異性の顔が憎くて憎くてたまらなくなり、相手を攻撃したくなりますだって。乱馬くん、これ何なの?」

「あかねがおれを目の敵にしてる原因。だよな?五寸釘。」

五寸釘は開き直ったらしく、おれにぶら下げられたまんまで、ふんぞり返った。

「ば、バレたんならしょうがないね。ま、まさか早乙女くんが女になったら効かないとは計算外だったけど、おかげで君は、あかねさんの前で男には戻れなくなったわけだし。」


女には効かない?
そっか、それでさっき水被って女になったから、あかねの態度が急に変わったんだ。


「おいっ。解毒剤はっ!」

「そ、そんなもの無いよっ。」

な、なにぃっ!
解毒剤がないだとっ!?


「だ、だから君は、一生あかねさんに憎まれ続けるか、女のままでいなきゃいけないんだっ。」

「て、てんめー……!」

「ねぇ、待って。あかねはこのジュース全部飲んだの?」

「ん?いや、飲んでねぇよ。頭から被っただけだ。」

「なら、効き目は弱いはずよ。そのうち切れるんじゃない?」

「ほ、本当かっ!?」

思わず五寸釘を離して、なびきの持つ説明書に飛びついた。

「おそらくだけどね。」

なら、暫く女のままで過ごせば、またあかねは元通りってことかっ?


「そ、そんなぁー……。け、けど…まだジュースは効いてるんだ。早乙女くん、君にそんな楽はさせないよ!」


あ?


「ぶわっ!あっちぃっーー!!あ"ぁー五寸釘っ!てめーっ待ちやがれっ!」


コソコソと逃げだす野郎を捕まえようとした時、背中に悪寒が走ってギシッと身体が固まる。
背後には、とんでもなくでかい怒りの闘気。


「乱馬くーん、逃げた方がいいわよ。」


や、やっぱり……?


「乱馬ぁぁぁぁっーー!!天誅ぅぅぅっーー!!!」



「ちょっ…あかねっ!待てっ落ち着けっ!うわぁぁーーっ!!」


追記に続く
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