求めていたもののかたち

小説版「秒速5センチメートル」を読み終えました。
感想を第一人称でお送りします。←

最初は本当に映画を読んでいるようで、脳裏に映像が同時に流れていて新鮮な感覚で、感動もそのままに泣いた。
補足部分もあるから、より登場人物の心情が理解できたように思う。
それはとても嬉しいことだった。
監督が伝えたかったことを映画では感じ取ることができなかった部分もあるはずで、それを知れたような気がするから。
鈍感な私には有り難いことだと思う。監督本人のノベライズ化が。
そうして三話目の秒速5センチメートルは映像が短めになっていたけれど、小説版では描かれなかった部分も書かれていて、貴樹が会社に勤めていた期間や退職した後のことや、その間の出来事が知れて嬉しかった。
そこがあってこその貴樹の慟哭に、胸が打たれて痛くて涙が溢れた。

自分は誰も幸せにはできなかった、どうしてもっと相手の為を思った言動ができなかったのか。
それは私がいつも感じていることで、悔しくて悲しくてつらいもの。
もっと何かできるんじゃないのか、できたんじゃないのか、日々そう思うことばかりで、毎日が必死で。
だから自分はまだまだ“途中なのだ”、と貴樹が感じていたことも、私は感じている。
そうして望んでいた一言が、どれだけの救いになるか、それも私は知ってる。
最近強く感じた。そして以前にも、感じたことはあったはず。
繰り返しくりかえし望んでいくのは、解説?されてた吉田大助さんが紹介されていた本にある、「回復の四段階」の四段階目なんだと思った。
回復の段階ごとに精神状態とキーフレーズを抽出したものらしく、四段階目は精神状態が“回復はゴールではない”。キーフレーズは「回復とは回復しつづけること」って書いてある。
回復しても傷は癒えない、ゴールはない。なら、何度も何度も回復しつづければいい、と。
生活している上で、また、時間の流れの中で人間は傷つくし、傷つけるし、感情も記憶も段々薄れていく。
だから、一度の回復じゃ全快は無理なんだよ、どうしたって新しい傷ができていくんだ。
その度に、耐え切れなくなった時は言って欲しくなる。
「大丈夫だよ」って。
見えない心に惑わされて、悩んで苦しんでいても、思っているよりも平気だよって教えて欲しい。
その一言だけで、この心は救われるから。

これから前に進む貴樹に伝えたくてたまらなかった。
きっと大丈夫だよって。

言って欲しいと思うし、言ってあげたいとも思う。
小さくてもいい、大切な、大好きな人に、回復をあげられたなら。
幸せを感じてもらえたなら。
それはきっと、私の回復にもなる。

実は「秒速〜」を読んでいて…否、映画を見ていた時から、何故こんなに涙が出るのかわからなかった。
切なさは感じてた。でもそれ以外の感情もあるような気がしてて、それが解らなかった。
今日読み終えてからずっと考えていたら、“ああ、私も同じだからだ”というとこに気付いた。
それはきっと私だけじゃなくて、他の人も感じていることなんじゃないか、とも。
だからこそ、この作品に魅力を感じるし、胸打たれるし、大好きなんだろう。

共感している人がたくさんいるのだとしたら、“自分だけじゃないよ、みんなそうなんだよ”って言える気もしてくる。
ちゃちな慰めにも聞こえるかもしれないけど、作品に触れてそう思えたとしたら、すごく嬉しいことなんじゃないか。

そんなことを思った感想でした。

因みに吉田大助さんが紹介されていた本は、『その後の不自由――「嵐」のあとを生きる人たち』(上岡陽江+大嶋栄子/医学院書/2010年刊)です。
アルコール中毒やトラウマティックな事件を体験した女性達へのケアを実践する著者がレポートした、当事者研究の最前線だそうです。
その第一章の「私たちはなぜ寂しいのか」という項目で、「回復の四段階」が登場するそうです。
一から三段階も書くと長くなるので、気になった方は読んでみてください。
私も読んでみたいです。

明日も頑張って生きます。
長らくお付き合いくださり、ありがとうございました。