ぅいが産まれてもうすぐ11年。
あたしが精神を病み始めて10年。

違うな。露見して10年。

最初は内科だった。
ただ、眠れなくなっただけだった。多分。
デパスとマイスリーを処方された。


ある日。
猛烈に悲しくも寂しくもないのに涙が止まらずおいおい泣いた。何が何だかわからなかった。


先生に相談したら精神科を勧められた。


初めて精神科の門を叩いたら、不安から来るものだと言われた。
薬は忘れたけど、ただ飲んで通って。



その頃からあたしゎあたしゎなんの病気なんだろうと漠然とした不安に襲われるようになった。
ネットで調べ、本で調べ、先生に問いつめ、不安障害だと言われた。
そこで終わらなかった。
不安障害だなんて病気本には書いてなかった。
全般性不安障害ならあったからそれなのかと問い詰めた。
先生は言葉を濁した。

あたしはモヤモヤの中へと突入。
自分がなんなのか。自分は一体何者なのか。
不安は増すばかり。



毎日本を読み返して。
ネットで調べ。
それでも納得出来ない。


ふととある病気に目がいった。



境界性人格障害。



あれ?
症状があてはまる。
でもまさか。
え?


不安は最高潮。
医師に問ふ。


医師は否定した。
なのに頭から離れない。
自分は人格障害ではないのかと毎日自分を攻める日々。



あたしは決断した。
病院を変えてみよう。


そしてあたしは病院を変えた。
そこの医師に自分は人格障害ではないのかと疑っている。
実際どうなのだと自分の症状を話した。


医師は認めた。
あなたは境界性人格障害ですね。


少しスッキリした。
やっぱり、、、
そこから暫くは投薬と通院の毎日だった。
その頃のあたしはまだ妊娠を望んでいて、薬を調べては退治に影響を及ぼすような薬は避けていた。


その時先生が言った。

「カウンセリング受けてみる?」

は?カウンセリング?あたしが?
???σ( ̄^ ̄)?
?を飛ばしたまま説明を受け予約を入れた。

約半年後予約が決まりカウンセリングが始まった。
と言っても妊娠を望んでると伝えたこと以外話すことがない。
境界性人格障害(以下ボーダー)とゎいえ、自分の症状に合っているのがわかっただけで、治すったって話をして治るものなの?

カウンセリングゎただの世間話。そんな感じだった。


暫くそんな生活が続いた。


ぅいが4歳くらいの時だっただろうか。
妊娠が発覚した。
あたしは待ちに待っていた妊娠。
産むつもりで先生にも報告した。
ところが、旦那くん。旦那の実家。うちの実家は少々。
皆が反対し始めたのだ。
あんたには育てられない。
無理だ。
堕ろせ。


(o・ω・o)?ホエ?なんで?育てられるよ?
できるよ?
あたしにはそれくらいだった。
ただ、うちの実家は薬の影響を心配しての反対だったので、セカンドオピニオンに。
きちんと医師にも許可を頂きこれで産めると信じていた。


とある日、旦那くんの職場の飲み会に誘われた。
あたし以外皆が男性職員。
口々に言われた。
育児は母親のする事だから2人抱えるのは今のあなたの状態では無理だ。行き詰まってからでは遅い。
メンタルを抱えての育児は並大抵のものでは無い。
まるで産むことが悪と言わんばかりの文言しか飛んでこなかった。


旦那の実家は精神科に連れて行けと言われた。
連れていったら診察中にあたしを追い出し、先生と何かを話していた。
その夜、先生も反対した。
今のあなたの状態では到底自分なら産ませませんと言ったと言われた。


あたしは毎日呪文のように聞かされる言葉に正確な判断を見失っていった。


今でも後悔しているが、ここで自分を見失ったのだ。
ここで無理やり産んだらこの子は不幸になるような気がする。産んでも受け入れてもらえない孤独な子供が誕生するのではないか。

そんな思いに捕われて行った。



12月3日。
11週。
実家の愛媛にてあたしは子供を堕ろした。



泣いた。泣いたけど、何に対して泣いたか自分でも分からない。自分の意思の弱さにか子供への情けか。
とにかく泣いた。



産婦人科の先生は堕胎を良しとはしない先生だったからこっぴどく叱られた。そんな事はわかっていると心で思いながらすいませんと一言絞り出した。




それから6年程。あたしはカウンセリングと診察と薬と2週間に1回通っている。
2度ほどブチ切れてODもした。入院もした。
薬を飲みたくて飲んだのではなく、どうにも出来ない精神状態をどうにかしたくて、消えたくて、考えたくなくて、時には?死にたくて。
どうにも出来ない精神状態を我慢するのだが、我慢に我慢を重ねそれが溢れ出るかのように、堰を切って流れ出す。
もう自分の意思ではどうにも出来ない領域。


誰にもわからない領域。


あたしにはボーダーの上に鬱があると言われ、抗精神病薬、抗不安薬、抗うつ剤、睡眠薬が処方されていた。
鬱病だとは言わない先生。君の症状に病名をつけていたらキリがないと言った先生。
これだけでもモヤモヤするあたしを抱え、薬を大人しく飲んでいた。


今から2年前。
とても気分の晴れた時期があった。
朝から晩までぅいを連れてどこにでも行った。
寝なくても全然平気な自分がいる!
天然石が一気に増え始めたのもこの頃。
元々買ってはいたのだが、何か足りないような気になっていた所に自分は買っていいんだとかなんとかよく分からぬ気分高揚で買いだした。

車の運転も楽しくていつまでも何処までも走っていたい気分になった。

春から夏にかけて。



その後、あたしの鬱が始まった。
どこにも行きたくない。むしろ動きたくもない。
何も出来なくなった。



あれはなんだったんだろう。
そんな思いを抱え、1年。
今年春が来て、また気分の高揚を覚えた。
やる事やって家にいない。
ぅいが帰ってくる頃に帰って用事を済ませたらまた飛び出る。


流石におかしい。


先生にこれはなんだと問い詰めた。
「躁鬱ですね。」




は?( º言º)



躁鬱?躁鬱!?



今年4月。
あたしはボーダーの上に躁鬱二型と言う病名に変わっていた。
よくよく薬を見たら抗躁薬があるではないか。
去年から変わってないから、、、
先生!気づいてたんなら言ってくれよ( º言º)


めでたくあたしゎ境界性パーソナリティ障害と双極性気分障害と診断され、秋に2度目のODで入院し、今は小康状態を保ちつつ生きているという訳です。


ラピッドサイクラーではないようで今のところ一年に一回。春から秋にかけて躁状態になる模様。
皆は元気でいいぢゃないかと言いますが、これはこれで中々困ったちゃんです。
前の記事にも書いたけど買い物依存にもハマっていて誰にも言えず、理解されず、そもそもメンタル自体理解されず苦しいなぁと思いつつ生きています。


なんか10年という節目なので書いてみました。
が、頭パニックです。
なんでこないなことになっちまったかなぁー。
40代に入ったらボーダーゎおちつくとか書いてあった記事もあったけど、それにも当てはまらないようで。
とにかく表に出さないようにだけして、1人で(ノ≧ロ)ノ<うぎゃーぴぎやーと叫んでますが。
とにかく感情コントロールができない病気なので、旦那くんが仕事に行きぅいが学校に行ってる間、一人の時間が出来ることがまだなんとか自分をたもてる秘訣かもしれません。


ま、今は向こうで旦那くん寝てますけどね(笑)


これからどうなるかなんてわかんないし。
とにかく人と接する時は身構えて1人でギャハハ(*≧д)ノシ彡☆と笑ってしまう自分がいますが、疲れながらも付き合っていこうと思います。


もしボーダーで苦しんでる方、躁鬱で苦しんでる方、その他の症状で苦しんでる方。
抱え込まないでください。
吐き出してください。
そこから1歩が始まると思います。


P[桜]qД`о)。*゚でした。
長々と読んでくれてありがとう。