遠い遠い昔の記憶。
絡ませた小指の約束はどこへと向かうのか。
交わした言葉の終焉はきっとこないものなのに。


たった一言だったけど、
たった一言でも、
それだけを糧に僕は諦めずにこれたんだ。








「んで?こんな真夜中にお前はどうして此所にいるんだ?」

「ごめん…」

人々に恵みをもたらす太陽も眠りにつき、代わりに月の青白い光が辺りを包み込む。普段は活気のある下町も夜中ともなれば静寂ばかりが訪れていて、普段の有様が嘘のようである。

ユーリは目の前に佇んでいる友から視線を逸らし、時計を一瞥してから深く溜め息をついた。丁度、短針と長針が重なろうとしている。
不仕付けな時間帯に訪ねてきた来訪者は肩を竦ませながら、居心地悪そうに視線を彷徨わせていて、普段の凛とした姿勢からは程遠い。
その様になんだか怒られて落ち込んでいる犬みたいだとユーリは内心で思った。

「とりあえず中、入れよ」

「えっ…あ、うん」

中へと入るよう促せばフレンは素直に室内へと足を踏み入れた。
それを見届け、念の為に鍵をしめてからユーリは何か飲み物を用意しようと、隣室のキッチンへと向かう。
玄関から出た時に素肌を撫でた風が少し肌寒かったのを思い出し、温かい飲み物をだすことにした。最近、宿屋の叔母さんに分けてもらったコーヒーを丁寧に淹れる。1つのカップはブラック、もう1つはミルクと砂糖を入れ程よく甘味をつけた。

部屋へと戻れば、フレンは大人しくベッドへと腰掛けていた。今日の任務は既に終わったらしく、私服に身を包んだ彼は普段の鎧姿と違い、淡い水色のワイシャツにスラックスという軽装である為か普段よりもずっと幼く見える。
ユーリが入ってきたことに気付いたフレンはぎこちない笑みを浮かべた。


「コーヒーで良いよな。苦いのダメなお前の為に甘くしといてやったから」

「なんだか素直に喜べないな」

「本当のことだろ」


マグカップを一つ受け取りながらフレンは苦笑する。冷えた指先からじんわりと伝わってくる心地よい温度に目を細めた。
立ったままコーヒーを啜っていたユーリは、フレンの左隣りにどかりと腰を降ろすと足を組む。カップを片手に欠伸をするユーリを見て、フレンは慌てて今の時間帯を思い出し時計を見た。
自分は今まで起きていたが、ユーリは明らかに寝る前だったのだろう。服装もゆったりした半袖の黒のシャツに生地の軟らかいズボンといった、リラックスしたものであった。


「ユーリは就寝前だったんだよね。押し掛けてすまない」


申し訳なさそうに苦々しく言うフレンに視線だけ向け、ユーリは大袈裟なぐらい肩を竦めてみせた。
そしてフレンの頭を軽く叩くようにした後、くしゃくしゃと撫でる。指に絡む細い金糸はふわふわで触り心地が良い。


「お前が思い立ったらジッとしていられない質だってのは知ってるからな。なんかあったんだろ?」


昔からずっと一緒だった幼馴染みのことだ。知らないことの方が少ない。
こうして生真面目なフレンが常識外の行動をするというのは有り得ない事なので、何か特別な理由あってのものだということは分かっていた。
フレンは一瞬、驚いたような表情をしたがそれはすぐに安堵の微笑みに変わる。


「ユーリには敵わないな」

「よく言うぜ。んで、なんなんだよ」

「ああ…。明後日から任務で一ヵ月ほど帝都を離れることになったんだ。ここまで長期の任務は初めてだから…ユーリに会っておこうと思って」


今日、いきなり入った明後日に出発という外界への遠征の知らせ。それを聞いたフレンがまず一番に浮かんだのはユーリの顔だった。
ユーリが騎士団を抜けた後も街の巡回、ユーリの起こす騒動などにより最低でも一週間に一度は会っていた。割りと行動範囲の広い二人だったが、擦れ違うことも多々あったし、会えば話もする。

フレン自身も下町のみんなと会えるからということもあって、休暇が入った際、大抵はユーリの元に訪れていた。
下町へと繰り出すことはキュモールを筆頭に、貴族出身の騎士達にあまり良く思われていないことは知っていた。だがフレンにとってそれが当たり前の日常であり、誰から何と言われても変えようとは思わない。

だけど、任務ともなれば行けなくなるのもしょうがない。あまりに急な話ではあったが。


「ユーリと一ヵ月も会わないなんて初めての事だしね。明日は休みだけど準備で忙しくなるだろうから、今夜行かないとって思ったんだ」

「…ふーん」


フレンの話に対しユーリはそっけなく返答するだけであった。
大した反応を望んでいた訳ではなかったが、それをフレンは少し悲しく思った。自分だけがこんなにも、暫しの別れを惜しんでいるのだと言われているような気がしてくる。
実際、そうなのだろう。自分だけが彼と会えなくなることを心残りに思っている。
それでも、少しは同じ想いを抱いてくれているかもしれないと、淡い希望を抱いてフレンはユーリに尋ねた。


「ユーリは、僕と会えなくなるのは嫌だとか…思ってくれる?」

「……そんなん別に思わねーよ。ガキじゃあるまいし」


言われた言葉にフレンは胸がズキリと痛むのを感じた。たった一言で全身が麻痺したように動かない。
騎士団内で受けた言葉の暴力などいくらでも耐えることができたのに、彼の言葉一つで自分はこんなにも翻弄されている。
ユーリは至極、当たり前の返答をしただけなのだ。そうだ、何を言っているのだ。もう自分達は幼い子供とは違うのだ。
分かっている。頭では理解し、十二分に分かっているのだ。中々拭い去ることができない自分の方がおかしいのだと。
(でも、僕は…)


「僕は君に会えないのが寂しいよ、ユーリ」


ふと漏らしてしまった言葉にハッとする。自分が言ったことが信じられないと、フレンは無意識に口元に手をあてた。
ユーリの方を向けば苦虫を噛んだような複雑な表情をしていて、よけいに己の失言を自覚させられた。


「ごめんユーリ。今のは忘れてくれ」

「……おい」
「はは、ユーリの言う通りだよ。会えなくなる訳じゃないしね。ほんと、馬鹿な事を言った」

「おい」

「それじゃ僕はお暇しようかな。こんな夜中に上がり込んで悪かった。コーヒーも…ありがとう」

「ちょ…!」


一気にまくし立てて言いながらフレンは席を立った。カップを机の上に置き、もう話すことはないと言わんばかりに扉へと足を進める。見ることの少なくなったフレンの細い肩が震えてみえるのは、気のせいではないだろう。
ユーリは居ても立ってもいられなくなり、去って行こうとする華奢な身体を後ろから抱き締めた。


「俺の話聞け!最後まで聞かないで勝手に解釈するな!!」


自然と強くなってしまう口調を抑えることもできず、怒鳴りつけるようになってしまった。声音に反応してか腕の中の身体がビクリと跳ねる。身長はさして変わらない筈なのに、今はフレンが酷く小さく見えた。
ユーリは深く呼吸をし荒くなった気持ちを整えると、フレンの肩を掴み向きを変え、正面から向き合うようにさせた。念の為、逃げられないように腰に腕を回しているせいで、自然と近くなってしまう。
気恥ずかしさもあってか身動ぎ、離れようとするフレンを難無く抑えてからユーリは困ったような笑みを浮かべた。


「お前、何か勘違いしてるみたいだけどよ…俺は嫌じゃないとは言ったが、会えなくなるのが寂しくないとは言ってねぇぜ?」

「…でも、ユーリには下町のみんながいる」

「それはお前もだろうよ。確かに寂しさは紛れるかもしれねぇけど、お前の代わりになる奴なんかいない」

「…ユーリ……」


いい終わるや否やフレンは俯かせていた顔を上げる。
下がった眉、薄く開いた桜色の唇、薄い水の膜を張った瞳。フレンを形成する全てを愛しいと、ユーリは思う。
それらを暫く見られなくなると聞いて寂しくない訳がないが、彼が一歩ずつ歩む姿はユーリの楽しみでもあり、誇りでもある。そして、他の何より眩しく映るものだった。

だからこそ彼を止めるような真似はしなかったし、いつでも此所に帰ってこれるようにしながら、帰る場所は自分のもとだけであってほしいと願う。
一番にフレンを出迎えるのはお偉い貴族様でも騎士団でも、ましてや下町のみんなでもない。自分なのだ。
たった一人を受け止めることの出来るポジションに、どれだけ救われていたのか彼は気付いていないのだろうか。
だが、知らないのなら知らないままでいい。これは誰にも言えない自分だけの秘密なのだから。


「ボロボロになったお前が帰ってくるまで俺は待ってるよ。だから、精一杯やってこい」

「…精一杯だなんてユーリらしくないな」


さっきとは打って変わり、くすくすと小さく笑うフレンに幾らか安心する。やはり彼には笑顔が似合う。
悪態をついたフレンにユーリは不満気に唇を尖らせたが、それも束の間。直ぐにもとの少し意地悪さを残した笑みになる。


「ちっとは黙って聞いとけ。まぁ頑張ってこいよ。……離れてても一緒にいてやるから、さ」

「それ、小さい時にも言われたよね。僕が一人で泣いてた時とか。凄く嬉しかったの覚えてるよ」

「ああ、あの頃のフレンは泣き虫だったからなぁ。今も泣きたいなら胸貸してやるぜ?」

「茶化さないでくれ。いつだって…僕はその言葉のおかげで、強くなれたんだ」

「…そりゃどーも」


フレンの言葉を聞いて顔が熱くなった。恐らく赤く染まってるであろう頬を隠す為に横を向く。そんなユーリの行動に照れ隠しだと分かったのか、さっきより幾分か声を高くしてフレンは笑った。


「ユーリ、今夜は一緒に寝ていいかい?」

「そりゃ大胆なお誘いだな。寝かせねぇぜ?」

「君ってやつは…。言っただろう、明日は準備で忙しいんだ」


言いながら、するりとユーリの腕から抜け出したフレンはベッドへと向かう。
皺のない真っ白なシーツからは太陽の匂いがする。安心でき、それでいて自分の大好きな匂いが。
腰掛けたベッドから上目遣いにユーリを見上げ、フレンは小さな声で呟くように言った。


「だから、その……優しくして…ほしい」


蚊の鳴くような音量だったが、静かな部屋でしかも傍にいたユーリの耳に届かせるには十分だった。
ユーリは驚き、目を丸くするが、すぐに挑発的な表情になる。


「いいぜ。砂糖吐くぐらい甘く優しくしてやるよ」

「…馬鹿ユーリ」

「そんな馬鹿にホレたお前も大馬鹿だ」


座るフレンに目線を合わせるようにして屈み、ユーリは後頭部へと手を回して引き寄せた。
何をされるのか悟ったフレンはゆっくりと瞼を閉じる。それを見届けながら近くなった柔いそれに自分のを重ね、味わうように啄む。

合わさった唇は、自分には甘いコーヒーの味が未だに残っていた。





明日の準備は手伝ってやろうと、ユーリは心の中で思った。








○後書き○
フレンは騎士だから遠征とかって一度や二度じゃないと思うんですよね。
ユーリとフレンは小さい頃から一緒にいたから、長い別れなんて考えられない。
でも、ユーリはそれを笑顔で見送るだけの強さがあるんです。そんなユーリを見て、寂しいのは自分だけなんじゃ…って不安に思うフレン。




……みたいな展開を書こうとしたのに…あれ?なんか違いますね(笑)