雲一つない空の下。いつものように活気のある下町では、ここ数日の雨天で溜まった洗濯物が風にあおられ揺れている。人々は久し振りの晴れ模様に嬉しいのか、外には絶え間なく話し声が響きやまなかった。
そんな中、とある家の一室では賑やかな下町にそぐわない重たい空気を醸し出している。

宿の隣りにある階段を登った所に位置するその部屋、黒髪の青年が窓際に座り外を睨み付けるようにして眺めている。不機嫌を全身で表現しているような彼の側に、近付こうと思う者などいないだろう。
しかし、そんな不穏な空気を醸し出しているユーリの近くには彼の友人である金髪の青年、フレンがいた。見事なブロンドに太陽の光があたり星をちりばめたかのように輝いている。

普段あまり大したことがない限りは怒らないユーリがここまで分かりやすく怒りを表現するのも珍しい。
そして、その原因をフレンは知っている。それが自分のことであるというのも分かっている。
フレンは腰掛けていたベッドから立ち上がり、ユーリの方へと足を進めた。
フレンが近付いてきたのにも拘らず、ユーリは目を向けることもせずに、あたかも気付いてないかのようにしていた。それぐらいは想定済みだったのか、フレンは気にした素振りも見せない。
距離を詰め、手を伸ばせば触れる事のできる所まで来て止まった。


「ユーリ」

「……」

「ユーリ、返事くらいしてくれ」


呼び掛けに答える声はない。未だ外を見つめる瞳は何かを映しているかのようだけど、其の実、何も見てはいなかった。
無視されることは決して気分の良いものではない。こんな重たい空気の中にずっといるのも耐えられないけど、ユーリの怒りの原因が自分にあるならここで引く訳にもいかなかった。

しかし、いくら温厚なフレンでもいい加減、限界がきていた。それはユーリが怒り続けていることに対してではなく、ユーリがその漆黒の瞳に自分を映してくれないことに対しての限界。
向き合って話したい。声を聞きたい。

思い立ったら早かった。ユーリの腕を掴み力強く引っ張る。強行手段にでたフレンにユーリは一瞬だけ瞠目するが、すぐにまた険しい目付きに戻った。
なんとかベッド際まで引きずるようにして連れてきたものの、この後どうするかとか考えていなかったフレンは、その場で固まってしまった。
立ち尽くしているフレンに対してユーリは酷く落ち着いている。
「離せよ」


地を這うような低い声に、揺れそうになる肩を努めて押さえた。形の良い眉が不愉快気に寄せられるのを見て、ユーリを怒らせるようなことをした自分を悔いる。
フレンが掴んでいる手首はユーリの力をもってすれば容易くほどけてしまうだろう。なのに振りほどかないということは、一応は話を聞いてくれる気はあるのだとフレンは勝手に解釈させてもらうことにした。


「ごめん、ユーリ」

「なにが」

「…君が今怒ってるのは僕が原因だから。最近、会う約束しても任務が入ったからってキャンセルばかりしていた。
ユーリも時間を割いてくれているのに…本当にごめん」

「……」


真直ぐに射抜くようにして見つめてくる双眸にフレンは唯々、目を合わせることしか出来なかった。
ユーリの怒りの根源、それは度重なる自分の都合によるもの。一回や二回の話ではないだけに、心底申し訳ない思いで一杯だった。
でも、たとえどんなに自分が悪いのだとしても目を背けるような事はしてほしくない。ユーリにはいつものように笑いながら、肩を寄せ合ってほしいのだ。

自分の我儘だと自覚しているが、これだけはフレンは譲ることが出来なかった。フレンはユーリの手首を戒めていた己の手をゆっくりと離す。ユーリは解放されたことにさして興味を示すこともなく、ただフレンに無機質な視線だけを注いでいた。
それを見たフレンは明らかに顔に悲しみを浮かべているのに無理矢理、微笑みを作ろうとする。


「今度からできない約束はしない。だから…」


だから、いつものユーリに戻ってくれないか、と言おうとした所で言葉を遮られる。
否、遮られたのではなく、今までにないぐらい強い光を拵えた瞳に見つめられ、その続きを紡ぐことが出来なかった。


「ユーリ…?」

「……お前、馬鹿だろ」

「え……、っ!!」


訳の分からない事を言われた途端、背中に強い衝撃がフレンを襲った。痛みこそなかったがしたたかに打ち付けられ、噎せてしまう。喉からは空気が抜けているようなヒューヒューと掠れた音が漏れる。
ベッドに押し倒されたのだとフレンが理解するより早く、ユーリは上に跨がりその細い肩から伸びるしなやかな腕と手首を押さえ付けた。
唇が触れるか触れないかぐらいの所まで距離を詰められ、フレンは驚きに目を見張る。

視界一杯に映るユーリの顔はこんな時にでさえも、フレンの心を揺さぶる材料となった。
この体勢は居心地が悪いし、何か気まずいので、ひとまず退いてもらう為に抗議しようとフレンが口を開くより早く、ユーリの唇が動いた。


「お前、全っ然分かってねーのな。俺はそんなことを怒ってる訳じゃねぇ」

「でも!君はそれを咎めたじゃないか」

「そりゃあ確かに、ことごとくドタキャンされれば腹もたつさ。でも、お前が故意でしてるんじゃないことぐらい俺にだって分かってる」

「じゃあなんで…」


理由も曖昧なことでユーリが憤慨することがないことは分かっていたので、フレンは素直に聞いてみた。
嫌な事をしたのなら謝りたいし、不可解なことは知りたいと思う。しかし、ユーリの発した言葉は予想とは全く異なるものであった。


「……昨日の夜、市民街で一緒にいた男、誰だ?」


言われた事を脳内に納め理解するなり、冷水を流したように身体の体温が一気に下がった気がした。あいにく、心当たりがない訳ではない。

昨日、帝都から少し離れた場所に魔物の巣が発見されたとの連絡がはいった。街の住人は滅多な事では結界の外へとでることはないが、例外な者もいる。
最近は外界への好奇心にかられた人や、街では手に入らない珍物を求めに街の外へと繰り出す人が何人もいた。
いくら近場だからと言っても魔物が出ないとは言い切れない。ましてや危険なものが帝都のすぐ側にあるなら放っておくわけにもいなかない。
そうして魔物の討伐へと向かい、帰ってくるころには深夜を回っていた。

部下を先に城の方へと帰らせ、フレンは念の為に単身、軽く巡回をして戻るからと任務完了の報告を任せることにした。
そんなに手強くない魔物相手だったといえども、部下の疲労は目に見えている。それでも街の治安を守る為の行為を疎かにするわけにはいない。そう思っての判断だった。

そうしてフレンは先に寝静まった下町を見て周り、市民街の見回りも完了し、帰ろうとした時に後ろから誰かが近付いてくる気配がした。
振り返れば屈強な体付きをした男が一人立っている。驚いたのはその男が意外にも自分のすぐ近くにいたことだろうか。
剣を抜いてしまいそうになったが、自分の名を呼び掛けてきた声に聞き覚えがあり、その手を引っ込める。
暗闇に慣れてきた目に映ったのは以前、任務の際に知り合ったギルドの人間だった。
礼儀正しく挨拶を交わしてくる男にフレンも慌ててお辞儀をし、彼が今、何故ここにいるかなどの経緯を簡単に教えてもらった。

軽く挨拶を交わして帰るつもりだったのだが、久し振りの再会ということもあって、中々話は尽きず、結局別れを告げたのは出会い頭から半時ほどしてからのことであった。
大方、ユーリはその時にたまたま通り掛かったのだろう。なんともタイミングが悪いが。

その後は真直ぐに帰路へとついたのだから、指摘されているとしたらその事しかない。普段のユーリならあまり気にしなかったかもしれないが、最近会えなかったこと、夜中に知らない男性と一緒だったことから誤解を招くには十分すぎる材料だ。
これは説明しなければいけないと焦りを見せたフレンに、ユーリはより眉間に皺を寄せる。


「聞かれたら困るようなことだったのかよ。ずーいぶんと仲良さげだったもんなぁ?」

「違う、君の誤解だよ!あの人は前の任務の時に知り合ったギルドの人だっ」

「その割にはやたらとべたべたしてたけどな」


吐き捨てるように言われた言葉に、昨晩の出来事を思い返してみる。確かに頻繁に身体を触られていた気がしないでもない。その時はあまり意識していなかったが、手を握ったり、腰に腕を回したり、終いには抱き付かれたりもした。
それでも自分にその気があった訳でもないし、彼なりのスキンシップなのだろうから、そんなに気にする必要はないのではないか…と、そこまで考えてフレンは不明瞭だったものが明らかになってくにつれ、分かったことに首を傾ける。
ユーリのこの態度、怒り方。フレンは一つの仮定へと辿り着く。


「…ユーリ、間違ってたら悪いんだけど…もしかして、やきもち…?」


恐る恐る尋ねてみたが返答がない。
それどころかさっと無表情になったユーリにフレンは失言だったかと聞いたことを悔いる。

そうだ、いつも自信たっぷりなユーリが自分のことで取り乱す訳がない。
馬鹿なことを聞いてよけいに不愉快にさせてしまったかもしれないと、フレンが心配し始めた時、途端にユーリはふわりと笑った。
やわらかい微笑みだった。それは女性が見たら頬を紅く染めて黄色い声をあげてしまいそうなぐらい、素敵な笑みだ。今の自分には微塵も思えないが。
その笑顔には裏があるとフレンは瞬時に悟る。現に、自分を拘束する手には先程よりも力が込められていた。


「…なぁ、フレン」

「な、なに…ユーリ?」


僅かに声が震える。幾多の戦いを巡ってきた者がこんな調子なのも情けない話だとは思うが、しょうがないことではあるだろう。
穏やかな笑顔とはもの凄く不釣り合いなドスのきいた低い声。そのギャップと気迫はそこいらにいる魔物以上だ。
とりあえず、にこにこしながら自分を見下ろしてくるのは止めてほしい。また一段と近付いてきたユーリの顔にフレンは息を飲む。


「とりあえずそいつとお前がなんもないことは分かった。最近ドタキャンばっかくらってたのも水に流してやる」

「ありが、とう」

「でもなぁ…俺としては、はいそーですか〜で終わらせるのもどうかと思うわけだ」


段々と柔らかく笑っていたものが意地の悪い笑みになってくる。
フレンは背中に冷たい汗が流れるのを確かに感じ取った。この続きを聞いてはいけない気がする。それは本能が告げていた。
本能というものは心理に近い。そして心理というものは限り無く真実に近い。それは少しの例外もなく、特にユーリ相手の場合は経験上で明らかにされていた。


「今夜…覚悟しとけよ。意味分かるよな?」


やっぱりそうきたかとフレンは頭を抱えたくなった。酷く泣きたい気分だ。


「ユーリ、僕は明日も任務があって朝が早…」

「問答無用。腹くくっとけよ」

「……(夜になる前に逃げよう)」


流石のユーリも城まで追ってくることはしないだろう。フレンは心の中でユーリに謝罪しながら、頭の中で逃亡計画をひっそりとたてていた。
すると、ふいにユーリは節くれだった手でフレンの頬を撫でながら口角を持ち上げる。表情とは裏腹に優しく触れてくるそれに胸が高鳴った。


「ユーリ…?」

「言っとくけど、逃げたら容赦しねぇからな」


フレンは一瞬でもときめいてしまった自分自身を責めた。
どうやらこれはもう、腹を決めるしかないらしい。諦めたように大人しく目を伏せたフレンに、ユーリは満足そうにしながら、今度は心の底から笑った。

その笑顔に騙されたような気分になるが、結局は自分も拒めないのだ。
何故ならこんなにも彼を好いてしまったから。



日光によりできていた影が重なる。
久し振りに触れ合わせた唇は少しだけ甘く、また日だまりの匂いがした。


柔らかい風が包み込む部屋。
長い一日はまだ始まったばかり。








○後書き○
このまま裏にいきます(笑)
にしても話が無駄に長い;;