最終回の意味が分からない、とお嘆きの皆様に「熱海の捜査官」を徹底解説いたします。
ネットで検索すればいろいろな解釈があると思いますが、ここでは番組の中に盛り込まれているヒントとモチーフを重点的に解説します。
あくまでも個人的解釈ですので、よろしくお願いします。だが内容には自信あるよ!

<南熱海は「生と死の境目」>
物語の舞台である南熱海は、実は生(現実の世界)と死(あの世)との境目にある街でした。
そのことを示すものは番組の中でいくつも出てきますが、わかりやすいものとしては登場人物や名称などがそれにあたります。

(1)永遠の森(とわのもり)学園
登場する学校の名。学園は永遠の森の中にある?永遠とは、時間が止まっていることですね。この学園の時間は前にも後にも動いていない。非常にモラトリアムな異空間であることを示しています。

(2)もがりノ宮(もがりのみや)
公式HPに書いてある学園の住所。殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみむ儀式で、それを行なう場所がもがりの宮です。

(3)いなくなった4人の名前
・東雲麻衣(しののめまい)
東雲とは、闇夜から夜明けに向かう明けかかった空にかかる茜色の雲をいいます、
・椹木みこ(さわらぎみこ)
サワラはヒノキ科の針葉樹で昔は棺桶や卒塔婆の材料として使われてきたもの。
・月夜美波(つくよみなみ)
冥界(死者の国)を支配する月読(ツクヨミ)という神から。(太陽神アマテラスの弟で武神スサノオの兄)
・萌黄泉(もえぎいずみ)
名前の中に含まれる「黄泉」とはあの世のこと。
これを見ただけで東雲麻衣だけが何か別な役割を持っていることが分かる。(闇から光への狭間に存在するもの)
他の3人は何れも「死」と隣り合わせの存在であることが示されている。

(4)その他の重要人物
・占部日美子(うらべひみこ)
古代日本で占いを仕事としていた人々をうらべと言いました。卑弥呼(ひみこ)はシャーマン(呪術師)でしたからね。
これらから占部日美子は物語の中で「預言者」(先読み)の役割があることが分かる。
・平坂歩(ひらさかあゆみ)空と海と虹の会代表。
ひらさか、で検索するとすぐに分かりますが、島根県東出雲にある、イザナギが亡き最愛の妻イザナミを慕って訪ねた「黄泉の国」の入り口。生と死の境といわれる地。
物語のテーマがここにあります。
・風宮巧(かざみやたくみ)平坂歩の本名。
風宮は風の社という神社でもともとは農耕に適した風雨をもたらす神だったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となった救済神。このことから彼は「何かから何かを救う」という役目を果たそうとしていることが分かる。

(5)車のナンバー
バスのナンバー=4392(よみのくに)黄泉の国
星崎捜査官の車のナンバー=7292(なかつくに)中つ国
中つ国は、この世とあの世の境目にある国です。
学校のバスは黄泉の国のもので、黄泉の国へ乗客を運ぶが、星崎捜査官はまだ境目にいる。最後自分の車からバスに乗り換えるというアクションが非常に興味深いですね。

(6)星崎捜査官について
・星崎剣三(ほしざきけんぞう)
星と剣、といえば北斗七星を刻んだ剣「七星剣」が思い浮かぶ。聖徳太子の守り刀と呼ばれ、国内でも同種の剣が幾つか出土しています。「北斗七星が宇宙の中心である北極星を守る」と言う思想が根底にあり、永遠に位置を変えない北極星そのものを天帝とし、北極星を取り巻く7つの星、北斗七星が人間の生死を司る霊力を持つと考えられていました。世界中で7という数は神聖視されており、仏教における初七日・四十九日など7の倍数で行なわれる供養は「成仏させるべき人かどうか」を7日ごとに審判する、という思想からです。
星崎捜査官は何らかの審判の役目があり、使命をもって、自らの意志でこの生と死の境目にある世界に飛び込んできたことが想像できます。

(7)ゴーギャンの絵
我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか
(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)
↑長いけどこれが絵のタイトルです。
描かれているのはゴーギャンが人類最後の楽園と信じていたタヒチの民の姿です。この世で最初の女性エヴァと老婆(エヴァの未来?)なども描かれている。
つまり楽園(現世)における人間の生涯(生〜死)を描いた作品といわれていますが、もっと大切なことはこの絵を描く直前ゴーギャンの最愛の娘・アリーヌの死の知らせが届き、ゴーギャンもこの絵を書いた後自殺しました。
そのため、この絵は「ゴーギャンの遺書」と呼ばれています。

以上が分かりやすいモチーフ。まだ沢山ありますがこれらは非常に顕著にテーマを暗示していますよね!


つまり・・・・
あの熱海にいる人々は、全員死んでいる。みな死んでからあの世に行くまでの時間を過ごしている人々ばかりである。平坂歩(NPOの人)は生前、臨死と蘇生に関する研究をしており、自分が死んで熱海に来てからは、いかにして蘇るかの研究をしていた。
その研究対象として4人(実際には東雲麻衣以外の3人)を選び、連れ出して隠していました。
(救おうとしていた、と考えた方が分かりやすい。死の世界に行くのをブロックしていた)

そもそも、あの4人は「入学式の準備のため」出かけたのですが、この学校における入学式とは「新しい死者を迎える」ことに違いありません。
とはいえ、誰もが「死」を理解しているわけではなく、むしろ理解していない・認識していない人々が住む町であるといえます。そして自分が死んでいること(肉体の死)を認識した時点で次のステージ(第二ステージ)=あの世への旅に出るのです。

東雲麻衣は幼い頃の臨死体験により、恐らく生死の境目を行き来する力があった。星崎捜査官はさしずめ「死んでしまった恋人(モトコさん)を追って黄泉平坂のトンネルをくぐるイザナギの役割でしょう。
この世とあの世を結ぶ道がトンネルだという話はよく聞きますが、バスでそこを行き来するというのは面白いですね。

ツインピークスのオマージュ作品とも言われていましたが、実際にはどちらかというと「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)であり、日本神話「黄泉平坂」の物語であり、文学・歴史・芸術の3つの柱でモチーフが校正されている作品でした。
この文学・歴史・芸術こそ、近年の教育から削除に削除されてしまった項目ですので、神話も学んでいない、忌み事の文化も知らない、ましてやゴーギャンの最高傑作も教科書には載っていないという時代には、これらの深いつながりのあるキーワードが、そのつながりを発見できなくて意味不明理解不明の謎かけに見えてしまうので、「ワケワカラン」と言う評価になってしまうのでしょう。