海風が吹き付ける度、頬にヒリリとした感覚を与える。
夜の海辺はとても静かだった。
そして、冷たかった。
それを、直に肌で感じ取って海から吹き付ける風に踊る髪を押さえ付けながら、蛮は傍らの男を窺い見る。



「なぁ……お前そんな服装で寒くねぇの?」



男の姿はいつもと変わらずに、蛮の瞳には見るからに寒く映る。
マフラーくらいしてくれれば、まだそれもマシだろうが。
それすらも、ない。
黒いコートとトレードマークの帽子といったいつもの格好で、男は冬の海辺に佇んでいた。



「ええ、寒くはないですよ?」



苦笑を刻み受け答える赤屍に、そうかよと蛮も曖昧に笑うしかなかった。

大晦日の夜。
わざわざ冬の海にまで足を運んでやってきたのには、大して理由はなかったりする。
理由をどうしてもあげるなら、海が無性に見たかった。
今見ておかなければと何かに急かされるように、男を誘い海へとやってきた。
ただ、それだけだった。



「もしかして、夜明けまで此処にいるつもりですか?」
「んー……嫌、か?」



本気で夜明けまでいるつもりはなかったが、それを男には黙っておいた。
逆に問い掛けて、夜明けまでをねだる。
だが、赤屍はそのことについて触れてこなかった。



「寒くはありませんか?」
「テメェこそ、な」



寒さなど、苦にならない。
何よりも、此処にいたい気持ちが寒さを感じさせない。
だから、心配は無用だと寒さを気に掛ける男にヒラヒラと手首を振ってみせる。
すると、赤屍は仕方がない人だと、蛮に肩を竦めてみせた。



「やっぱ、冬の海が一番いいよな……お前もそう思うだろ?」
「そう、ですね」



春の海は、穏やか過ぎて何だか自分に合わない。
夏の海は、ギラギラした感じがあまり好きになれなかった。
秋の海は、どちらかといえば好きな部類に入るが……それはどっちつかずのようなものだ。
やはり、身も凍らせるような凍て付く冷たさが漂う冬の海が一番いい。
自分には、性に合っている。
鋭利なまでに研ぎ澄まされた冷たさに、ホッとするのだといったら笑われてしまうだろうか。
おかしいことを言うものだ、と。
だけど、そう思うのだから仕方がない。



「まるで、貴方のようですね」
「奇遇だな、オレもそう思ってたんだぜ?まるで、お前のようだってな」



冴え渡る冷たさが、とても男に酷似していると思っていた。
薄暗く静けさ漂う海が、時には厳しさをも見せる。
そんなところが特に。



「いつの間にか、新しい年を迎えてしまいましたね」



どうやら、話している間に日付を越えてしまったらしい。
腕時計で時間を確認する男に、蛮は笑って首を振った。



「そんなモン、関係ねぇよ」



新しい年なんて。
明日も明後日も、きっと変わらない日常がそこには待っているはずだから。
二人の間に、古いも新しいも何もない。
そう、ないのだと。
身の内に抱える不安を覆い隠すように、そう信じていたかっただけなのかもしれないが。



「だけど、宜しくな?」



脳裏を掠めた何かを振り切るようにおどけて言えば、近付いてきた赤屍が蛮の額に唇を寄せて微笑む。



「ええ、こちらこそ宜しくお願いしますね」
「ああ、仕方ねぇから宜しくされてやんよ」



敵になったり味方になったり、仕事上の関係で二人の立場はガラリと変わる。
だけど、お互いがそれでいいと認め合っているのだから、二人の関係は敵だったり味方だったり……はたまた、恋人同士だったりするのだろう。



「手始めに、私は“貴方”を宜しくされたいのですが?」
「言ってろ、馬ー鹿」
「おやおや、つれないですねぇ」



クスクス笑う男にスッと手を差し伸べられて、それは何だよ?と見返す。



「手を繋ぎませんか?」
「はぁ、何で?!」
「そこで驚かれたら、さしもの私も傷つきますよ?」
「いや、だってよ……」



お前がキャラにないこと言うからだろ?
したいことは、こちらの意見など聞き入れることなくやり遂げるくせに……。

そう言ったなら、赤屍はそれもそうですねとアッサリと頷いて寄越した。
認めるのかよと、蛮が呆れた視線を男にやったのは言うまでもない。



「貴方が寒そうに見えたので、せめて手ぐらいは暖めて差し上げようかと思いまして」
「………」



呆気に取られたとは、このことだろう。
寒そうに見えたとお互いがお互いにそう思っていたのは、この際別に良いとして。
実は、そんな男を暖めてやりたいと内心では思っていた事実を、先回りして見透かされてしまったのではないかとヒヤリとした。

あまり内情を知られたくはない。
この男の前では、特にそうだ。
自分が自分のままでいられなくなってしまったら、際限なく甘えに走るであろう我が身を知っているからだ。
例え、それすらも知らされていて男が甘えさせようとしているのだとしても。
律せねばならない己を強く自覚した。



「お前、コートの前を開けろ」
「……はい?」
「いいから開けろって」



突然のお達しに赤屍が首を傾げる。
それに、埒が明かないと踏んで蛮は勝手に釦を取り外しに掛かった。



「暖めてくれんだろ?」



寒さを感じなくても、身体は随分と冷えていた。
なかなか言うことを聞いてくれない指先に多少の時間が掛かったが、全部の釦を外し終わるとコートの中に潜り込むようにして、男の胸元には頬を背には腕を回して抱き着く。
その時、ふわりと鼻についた香水の香りに身体の力を抜いた。
安堵する匂いというものがこの世に存在するのだと、それを知った瞬間だった。



「オラ、ちゃっちゃかコートでオレ様を包めよ」
「それは命令ですか?」



そう言いながらも、腰には既に腕が回っている。
それに、蛮はさも面白そう笑った。
男に対してと、こんな冬の海で一体自分達は何をしているのだろうか、と。
考え出したら、おかしくて仕方なかった。



「可愛いオレ様からの、可愛いお願いだろ?」



なぁ、叶えてくんねぇの?

下から見上げるように男を窺えば、赤屍はククッと喉を震わせて笑った。
コートで身体を覆われていくのを感じながら、蛮は頭上から降ってくる唇を見つめていた。
スローモーションのようにゆっくりと近付く唇。
口付けの予感に駆られて静かに瞳を閉じた。
そして、重なる唇と唇は存外に冷たいもので。
いつものキスと、それは少し違った。
お互いが冷たい唇を暖めるように舌を使って、唇の表面を舐め回しては吸い付いて離さないから……唇が少しだけ痛い、キスだった。



「唇……塩の味がしますね」
「海に……いる、からな」



海風に晒されているのだ。
きっと、髪なども塩で塗れている。
そう思うと、風が強い日の海辺には来るべきではないのかもしれないと、当たり前のことを今更に思う。



「多少生々しいですが、塩味風味の貴方も乙なものですね」
「……変態くさい発言と行動は、やめろっつーの」



っつーと舌で頬を舐められて、ゾワリと背筋を走り抜けた何か。
それを察知した男がクスリと笑んだのが触れ合っている箇所から伝わり、無性に腹が立った蛮は胸元に頭突きを食らわした。



「っ、痛いですよ?」
「痛くしたからなァ」
「痛いことがお好きな貴方でしたら構わないでしょうが、生憎私は違うんですよ?」
「っ!テメェはもうしゃべんなっ」
「では、貴方のその唇で私の口を塞いでください」



貴方ならば、簡単に出来るでしょう?

その問い掛けに、蛮はしばし考えを巡らせるとニヤリと笑った。
笑って、



「ホテルで、ならな」



思う存分、やってやるよ?

男の唇の端を舐めて告げる。
すると、その気になったのか。
男はコートに包んでいた蛮を身から引き剥がし、海から離れることを提案してきた。
それに頷いてみせたが、突然なくなった温もりにまだ少しだけこのままでいたかったなんて……そう思ってしまったのは、赤屍には内緒だ。



「では、参りましょうか?」
「ああ」



促されて、歩みを進める。
その前に、一度だけ海を振り返った。
来た時と変わらない海がそこにはある。



「美堂クン?」
「あ、いや」



どうしたのかと視線で告げてきた赤屍に、何でもないと告げて今度こそ海辺から立ち去る。



「また足を運んだらいいでしょう?」
「そんぐれぇ、分かってんよ」



それでも、名残惜しく感じてしまうのは寂寥からか。
それとも……。



「……また、来れるといいんだけどな」



本当に……。

小さく呟いた声は、隣りを歩いている男には聞こえない。
聞こえないように囁いたからだ。



(嫌な予感がするんだなんて、口に出して言えっかよ)



前に進むしかないから、後ろを見ない。
やるべきことがあるから、他は切り捨てられる。
邪魔をしようとするなら、誰であろうと容赦するつもりはない。



(だけど、それが隣りにいる男だったら……オレはどうするのか?)



考えてみるが、答えは出ない。
何かの前兆を嗅ぎ取るように、耳の奥でざわめく海鳴りのような音が鳴り響いて、なかなか離れようとはしてくれなかった。










END

卑弥呼ちゃんの誕生日前のお話的なもの。
今更、原作設定!←