どこかで自分を救わなければならない。
今こうしている間にも深い哀しみは続いている。
その事実から目を背けてはならないし、
背けたくないんだろう。
昔通院していた病院の主治医からは
目を逸らせと忠告を受けていた。
何故なら僕は、完璧なまでにどっぷりと
被害者や加害者の心情やバックグラウンドに浸かってしまうから。
一度片脚を突っ込んでしまえば戻ってくるまでのスパンは長く、酷い時には仕事をしながらもずっと頭から離れないままだった。
そんなことを続けていれば誰だって壊れる。
元来患っていた鬱病は日増しに悪化していき、仕事にも支障をきたすようになった。
それでも主治医の忠告を、僕は一切聞かなかった。
聞かずに今まできたけど、日常に支障をきたすことはなくなったから結果的に間違いではなかったと考えている。
結局、何をしてもしなくても悪化する時はする。
哀しみ、苦しみ、憎しみ、怒り。
幸福とはまるで正反対の感情でも、目を背ければその瞬間に僕は僕ではなくなってしまう。
その事実を理解するまでにそう時間はかからなかった。
誰に理解して欲しくもないし、僕は別段、不幸自慢をするような人間でもない。
誰だって何かを背負って生きている。
他者と比べるという意味ではなく、そもそも人間なんてそんな生き物だろう。
だからと言って、他者を妬んだり攻撃するような人間ではいたくない。
そんな自分は美しくない。
だから僕が汚い、醜いと判断した人間は片っ端から捨てるし、その場からさっさと離れる。
例え相手が僕に好意を抱いていたとしてもだ。
そんな連中は僕の傍には置いておけないし、必要ない。
多少使えそうかも知れないと思える相手であっても最終的には僕のフォルダから削除される。
美しいものとの共存は容易いものではない。
そのことに気づけない馬鹿が嫌いなんだろう。