―― 嗚呼、こんなことならば。
まだ幼さの残る騎士は絶望の淵でそんなことを考える。
武器である剣は魔獣との戦闘で折れ、魔力はすっかり枯渇している。
挙句、体の上には獣のたくましい脚が乗っている。
絶体絶命。
そうとしか言い様のない状況だった。
***
今日は、雪狼に配属された年少の騎士たちだけでの任務だった。
貴族の屋敷の周辺に住み着いた魔獣の討伐。
決して難しい任務ではない。
だから、力をつけるためにもお前たちだけで行ってみるか、と問うてきたのは、部隊長だった。
少し不安げに、心配そうに。
少年は正直、自分の部隊の部隊長のことを良く思ってはいなかった。
適性的にこの部隊に配属されたのだとは思う。
そこに納得はしているのだけれど、他の部隊長たちに比べて雪狼の部隊長はやや頼りなく思えるのだ。
年齢だって一番若い。
魔力もなく、魔術による戦いは一切できないとも聞いている。
その分剣術の腕が立つことは当然知っているけれど、戦闘と言う意味でならば絶対に魔術も使えた方が良いだろう。
文句を言っても仕方がない。
まだ若い部隊長が心配そうに自分たちを見ているのが少し腹立たしく、少年騎士は"行きます"と即答した。
幼いとは言っても、もう充分に訓練を積み、部隊に配属された身だ。
もう見習い騎士ではない。
「……そうか、なら十分に準備をしてから……」
そこから、暫く彼は何かと説明をしていた。
準備が必要不可欠だとか、仲間との連携がどうだとか、緊急時の対応はどうだとか。
……正直、口うるさいとさえ思った。
もう子供ではないのだ。
自分たちで判断して行動することなど容易い。
寧ろ、自分たちを信頼していない様子の部隊長に苛立ちすら覚える。
―― 絶対に見返してやる。
そう思っていたのに。
***
魔獣の討伐自体は完了した。
思っていた以上に数が多く、魔力を消費しきった者、武器を破損させてしまった者は多少出たがこの程度は正直年若い騎士にはよくあることだった。
しかし、想定と異なっていたのは、そこから先。
「やはり城の騎士は馬鹿なお人好しばかりか」
そう言って笑うのは、依頼者であったはずの、貴族の男だった。
魔獣の討伐に疲れ果てた騎士たちの前に立ったその男は魔道具と思しき杖を高く掲げた。
刹那。
「っ、何を……」
体に僅かに残った魔力が吸い取られる感覚に、その場にいた騎士たちは皆膝をついた。
驚き、茫然とする騎士たちを見て男は嗤う。
「困っているから助けに来てくれ。そう言うだけで手頃な"材料"が手に入るとはな」
「ざい、りょう……?」
掠れた声で、誰かが呟く。
それを聞いて男は言った。
「魔術の実験に獣を使うのでは、手ぬるい。最終的な確認は、やはり人でしなければな」
恐らく、呪術か何かの研究をしている魔術師であろうその男は冷たく笑って、言った。
自分たちのことを人としてではなく、実験のための手頃なモノとしか思っていないのは、言動や行動から見て取れた。
「優れた戦闘能力を持つ騎士ならば、戦闘用の魔獣の開発の確認にも丁度良い。
どうせならば、もっと戦闘に特化した騎士でも良かったが……まぁ良い。見目が良いのは合成魔獣の材料にしても良いかもしれないしな」
物好きに売れるかもしれない。
おぞましい計画を口にして笑う男を見て、まだ年若い騎士たちは言葉を失っていた。
雪狼の騎士は"対人戦闘"を含む任務は正直苦手な者が多い。
と言うのも、雪狼の騎士は比較的人当たりが柔らかい者が多いのだ。
人を疑うことよりも信じることが多く、人を傷つける戦いではなく守るための戦いでこそ力を発揮する。
そんな彼らが、幾ら今は敵と確信していても、人に刃を向けることはできるはずがなくて。
「っ、させて、たまるか!」
少年騎士は咆え、折れた剣を手に男へ斬りかかる。
このまま、されるがままになる訳にはいかなかった。
折れた剣でも、僅かでも手傷を負わせることが出来れば、逃げられるかもしれない。
そんな想いで、死に物狂いで飛び掛かる。
男は一層冷たい視線を彼に向け、一度手を振った。
その刹那、現れた獣が少年の剣を弾き飛ばした。
低く唸ったその獣は少年の身体を押し倒し、咆える。
ぼたぼたと温い唾液が体の上に滴る。
強い圧力に、呼吸が詰まった。
「抗うか、鬱陶しいな」
まぁ、一人くらい欠けても問題はあるまい。
そんな言葉と同時、獣の熱い息が首筋にかかった。
このまま食い殺されるのか。
絶望の淵で、ぎゅっと目を閉じる。
―― その刹那。
ふっと、体にかかっていた圧力が消える。
生臭い鉄の臭いがして、どすん、と鈍い地響き。
「え……ぁ」
掠れた息が漏れる。
地響きを立てたのは、つい今の今まで自分の上にのしかかっていた獣だと、少年騎士は理解する。
既に事切れたそれは少年の横で、屍を晒していた。
「良く頑張ったな」
そんな声と同時にくしゃりと頭を撫でられる。
魔力の枯渇と恐怖で上手く動かない体を起こしながらその声の主を見て、少年騎士は目を見開いた。
「もう大丈夫だ」
そう言って笑う、黒髪の騎士。
真白の制服が風にはためく。
……他でもない、部隊長……ルカ・ラフォルナの姿だった。
白銀の剣を紅に汚した彼はふう、と一つ息を吐いて、獣を差し向けた男の方へ視線を向ける。
「やれやれ。俺の部下が世話になったようだな」
低い声で、彼は言う。
真っ直ぐに敵の男を見据えるルビーの瞳には、怒りが灯っていた。
恐らく魔術で召喚したのであろう獣をあっさりと倒したルカの登場に一瞬驚いていた男はすぐに笑みを浮かべる。
「若造一人増えたところで何も変わるまい!」
そう言いながら、男はまた杖を掲げる。
魔力を吸収する心づもりだったのだろう。
……しかし。
「残念だったな。俺は元から魔力がないんでね」
大した養分にはならねぇよ。
そう言いながら、ルカは強く地面を蹴る。
一瞬茫然とした男はすぐに気を取り直したように、魔獣を召喚した。
恐らく、屋敷の周りに出没していた討伐対象の魔獣もこの男が呼び出したものだろう。
最初から、自作自演だったという訳だ。
優れた魔術師であることは違いないようで、呼び出される魔獣はそれなりに強い。
幼い騎士たちが剣術と魔術で必死に対抗して、何とか倒しつくせたものだ。
しかしルカはそれを一人で相手にしていく。
飛び掛かってきた獣をいなし、剣で斬りつける。
吐き出された炎を纏うブレスは剣で弾き、その鼻面を蹴りつけて倒し。
「っ、小癪な……」
悔し気に男は唸る。
きっと、計画を崩されるのを厭うタイプなのだろう。
自棄になったように何事か叫んだ男は高く杖を掲げた。
強い強い光が、放たれる。
魔獣が放つような炎が、ルカの背後から迸った。
「っ、危な……」
思わず、声を上げるが。
敵の炎よりも一層強い炎が、ルカを覆った。
巻き起こる土埃。
それが晴れたとき、そこに立っていたのは三つの影。
「助かった、アンシュ、イシャン」
そう言って笑うルカは無傷で。
その傍に立っているのは騎士たちも遠めにしか見たことのない存在だった。
「一人で駆け出していくものではない」
危ないだろう、と窘めるように言うのは青肌の人物。
その横に居る褐色肌の美しい人物は少し拗ねたような声音で言う。
「せめてどうするつもりなのかは言っておけ」
その二人は、ルカと一緒にいることが多い存在。
ヒトではない。
異界の神なのだということだけ、聞いていた。
確かに人離れした容貌と、魔力量だ。
何より、圧倒的な存在感。
人ならざる存在の登場に、幼い騎士たちも魔術師の男も茫然としている。
しかしそんな二人に寄り添われても、ルカはけろりとしている。
「部下を助けるのに部隊長が後ろから見てるだけじゃあ流石に恰好つかないだろ」
そう言って笑った彼は、ほんの少し表情を翳らせ、"それに"と付け足す。
「魔力を吸収する武器じゃ、お前たちが近づく方が危なくねぇ?」
そんなルカの言葉は、他でもない……二柱の神への気遣い、心配だった。
一瞬ぽかんとした彼ら……アンシュとイシャンは思わずと言った風に顔を見合せて。
「人間ごときに我の魔力が扱えるはずがなかろう」
呆れたように、肩を竦めながら褐色肌の神……アンシュは言う。
吸い取ったところで持て余すだけだ、と言い放つ彼の声音は自信に満ちていた。
イシャンもその言葉に頷いている。
アンシュとは異なり、呆れてはいないようだが、ルカの言葉には少し驚いている風だった。
「それは……まぁ、そうかもしれないけどさ。万が一の可能性でもお前たちが影響受けるのは見たくないし、お前たちの魔力で部下が傷つくのも見たくない」
―― だからこれは俺の我儘だ。
そう言って笑ったルカは、武器を構え、魔術師の男の方を向く。
「援護だけ、頼むよ」
俺がしくじらないように。
そう言って笑った彼は、強く地面を蹴った。
***
「悪かったな」
全てが片付いて、恐ろしい計画を立てていた魔術師も警察に連行された後。
幾らか体力も回復した騎士たちの元へ来たルカはそう言って、頭を下げた。
上官に頭を下げられて、騎士たちは驚きに目を見開く。
「え……」
「事前調査をもう少ししっかりしておくべきだった」
お前たちを危険に晒してしまったのは自分の責任だ。
そう言って詫びる彼は、顔を歪めていた。
それを見て、部下たちは言葉を失う。
彼の責任ではない。
きっとあの男の計画に気づくタイミングは任務中にもあっただろうに、任務をさっさと片付けて出来るという証を見せたいという先走りをした自分たちが悪いのだ。
それなのに、こうして助けに来た挙句、叱責ではなく謝罪を投げかける上官なのだ、彼は。
「助けに来てくれて、ありがとうございます」
やっとのことで、誰かがそう言葉を紡いだ。
それに続いて、他の騎士たちもありがとうございます、と言葉をつづけた。
それを聞いて、ルビーの瞳の統率官はぱちりと瞬きをして……へにゃりと、破顔する。
―― 無事でよかった。
そう言って笑った彼はまた一人一人の頭を軽く撫でて、事後処理のために離れていく。
その傍に佇む二柱の神たちと笑う姿は、先刻までの迫力あるそれとは異なっていて。
―― 嗚呼、なるほど。
彼(ルカ)が統率官を務めている理由が、わかった気がする。
誰が口に出すでもなく、まだまだ幼い雪狼の騎士たちは、そんなことを考えていたのだった。
―― 認められる理由は ――
(決して、強さだけではない)
(それを理解することが出来て、良かったと、心からそう思うのだ)