柔らかな月明かりが差し込む部屋。
その一角の椅子に座るのは、長い白銀の髪の少女。
開かれた窓から吹き込む風に肩を揺らすでもなくぼんやりと座っている様はまるで人形のようだ。
美少女、と言っても相違ない容貌。
この国……イリュジアでは珍しい東方の血筋の顔立ちに、衣装も母国のそれを纏っている。
しかし、それを見た人間が声をかけるかと言えば、きっとそんなことはない。
見るからに異様だからだ。
例えば、纏う雰囲気。
例えば、数分見つめていてもぴくりとも身じろぎをしないところであるとか。
一番は……額に貼り付けられた札が。
ドアが開いて、その少女がいる部屋に入ってきたのは彼女によく似た顔立ちの青年だった。
白銀の一部に黒の混ざる髪を結った青年はまっすぐ少女に歩み寄ると、そのすぐそばに椅子を置いた。
「一人にしてごめんね、麗花(リーファ)。道楽でしている店だけれど、それなりに人が来るものだから」
すまなそうにそう詫びて、青年はそっと、少女の長い白銀の髪を指で梳く。
少女は顔を青年の方へ向けた。
「だいじょうぶ」
幼児のように少女は応える。
それを見て微笑んだ青年はそっと、その頬を撫でた。
「良い子だね、麗花。遠くまで連れてきてしまったけれど、術にも異常はないかな」
そう言いながら青年は少女の様子をじっと見る。
開かれた金色の瞳が強く、光った。
「……うん、大丈夫そうだねぇ」
よかった、と彼はいう。
よかった、と繰り返す少女を見て微笑んだ彼はそっと、少女を抱きしめた。
「大丈夫、きっと……」
小さく呟く言葉は、彼女への誓い。
少女を抱きしめる腕には強い強い力がこもっていた。
***
「新しい店?」
穏やかな昼下がりの食堂。
食後の紅茶を飲みながらふと話になったのは、最近騎士たちの中でも話題に上がる店だった。
最近街の方での仕事が少なかった亜麻色髪の少年騎士……フィアは、パートナーであるシストの言葉を繰り返した。
意外とその手の店に詳しい(主に姉の影響だというが)少年は小さく頷いて、言った。
「まぁ店っていうには小さいところらしいけどな。普通の家の一角が店になってるみたいな。
でもあの国っぽさがほんのりあってなかなか趣があるらしいぞ」
曰く、まだこの国に来て大した時間が経っていないらしい青年が店主をしているのだそうだ。
「ちょっと珍しい茶を扱ってるらしい。東の方の国……天朝上国のお茶なんだとか」
俺もまだ行ったことないけど、と言いながらシストは手元のカップを傾ける。
いつも通りの紅茶は、飲み慣れた味がする。
嫌いというわけではないが、たまに変わった味を求めたくなるのは間違いない。
天朝上国……イリュジアではあまり聞かない国名だ。
大陸の東の端の方だったか、と思いながら、フィアは小さく首を傾げた。
「皇御国のお茶とは違うのか?」
騎士団にも出入りがある東の島国、皇御国でも茶は有名。
しかしあの国の茶はフィアたちが普段飲んでいるものと異なり、緑色をしていて苦味や渋みが強い。
物によっては甘みがあるものもあるが、一部の騎士はあまり得意ではない。
フィアは割と好んで飲むのだが……どちらかと言うとそれと一緒に食べる和菓子が好きだと言うのは余談として。
「似たものもあるらしいし、違うのもあるんだってさ。紅茶もあるらしいけど……
あんまり見ないよな、この辺じゃあの地域のお茶は」
そもそもあの国のことも大して知らないや、とシストは笑う。
「明日フィア非番だろ?少し見に行ってくれば?」
「……何故俺が」
シストの言葉にフィアは少し眉を寄せる。
くつくつと笑ったシストはティースプーンでフィアを指しながら、言った。
「興味ある、って顔してるからさ」
そう言われてサファイアの瞳をぱちりと瞬かせたフィアは少し拗ねたように唇を尖らせる。
だいぶ付き合いも長くなってきた相棒には誤魔化せない。
それを理解しつつも少しきまり悪くて、フィアは無言で紅茶を啜ったのだった。
***
そんな翌日。
フィアはシストに教えてもらった店を訪ねていた。
なるほど、彼が言っていた通り、独特な店だ。
と、ちょうど店先に青年が出てきた。
長い銀の髪を三つ編みに結った背の高い青年だ。
目は細く、狐のような印象を受ける。
店先に水を撒いた彼は顔を上げて、フィアの姿を見るとふっと笑った。
「いらっしゃい。あ、騎士様だね」
制服を見てだろうか、彼はそう言って頭を下げた。
「お会いできて光栄です、で合ってるかな?」
この国の言い回しあってる?
そう問いかける彼に、フィアは少し困ったような顔をした。
「畏まることはないんだが……」
騎士という仕事は何かと神聖視されるが、自分はあくまでただの人間だ。
……尤も、正確にはただの人間、ではないのだけれど……
少なくとも、頭を下げられるようなことはしていない。
そうフィアがいうと、青年はコロコロと愉快そうに笑った。
「はは、昨日来たお客さんに騎士様はこの国を守ってる組織だって聞いたからねー。
騎士団、っていうのは我の国ではなかったものだし」
会えて嬉しいのは本当だよー、と彼はいう。
手放しに褒められて、フィアは少し戸惑った顔をする。
そんな彼に?あ、ごめんねこんな店先で"とすまなそうに詫びた青年は店のドアを大きく開けた。
「我の国のお茶、試してみる?今日は少し暇だからのんびり見ていけるよー?」
開かれた扉からはほんのりと、何かの香りが漂ってくる。
茶の香りと……それとは少し違うような香り。
草鹿の棟のそれに近いな、と思いながら、フィアは青年の言葉に頷いたのだった。
***
店の中は明かりも陽光も絞られた落ち着いた空間だった。
曰く、中心に扱っているのは茶で、それ以外にも漢方の類を置いているため、湿気や陽光をなるべく入らないようにしているのだそうだった。
一応中庭のようなところに出るドアがあり、希望があればそこでお茶を飲んで過ごすことができるのにもしていると店主の青年は語った。
青年の名は「王倫(ワン ルン)」という。
皇御国と同じで苗字(ファミリーネーム)が先に来るのだと教えてくれた彼は店の中をフィアに案内した。
「いろいろな茶があるな」
茶葉や薬草らしきものが入った缶や瓶が棚にずらりと並んでいる。
小さい店だと思っていたが、品揃えは相当良さそうだ。
飲んだことのない茶ばかりで何が何やらわからない、とフィアがいうと、倫はくすくすと笑って、言った。
「あんまり変わりはないけどねー。この国の人、紅茶好きだよねー?それに近いお茶が多くて……あ、そうだ」
何か面白いものはないか、と考えていた様子の彼はぽんと手を打つと、棚から何かを取り出した。
「これなんかどう?」
「ん……なんだ、これは」
青年がフィアの手の上においたのは小さな草の塊だった。
フィアは不思議そうに首を傾げる。
それを見て笑った倫は店の奥に向かいながら言った。
「工芸茶っていうんだ、少し待っててねー」
お湯を沸かしてくるよ、といって彼は奥に引っ込んでいった。
少しして戻ってきた彼の手にはガラスのティーポットとティーカップがあった。
そしてほんの少しの湯を入れたティーポットの中に先ほどの草の塊を放り込んで……
「見ててねー」
そう言いながら、お湯をポットに注ぎ込んだ。
見てて、と言われた通りガラスのポットの中を見ていれば。
ただの草の塊だったそれが、透明のポットの中で"咲いた"のだ。
それを見て、フィアはサファイアの瞳を大きく見開いた。
水中で花が咲いた。
愛らしい。
ふんわりと香るのは確かに淡い茶の香りなのだが……
見た目はまるで、芸術品のようで。
「!すごいな……」
ガラスのポットの中で綺麗に咲いたそれを見て、フィアは目を輝かせている。
その様を見ていた倫がふっと、小さく笑った。
ハッとしたフィアが彼を見れば、青年は少し慌てたようにヒラヒラと手を振って、言った。
「あ、ごめんねー。騎士様の様子が初めて工芸茶を見た時の妹によく似てて」
馬鹿にしたつもりはないんだよー、と言いながら、彼はカップに茶を注いだ。
どうぞ、と差し出されたそれをフィアはひと口口に含んだ。
「……飲みやすいな」
「でしょ?見た目こそこれだけど、味は普通なんだよー?
洋甘菊……かもみーる茶?に近いんじゃないかなー?」
口にあったなら良かった、と微笑む青年。
「騎士様はなかなか忙しいだろうから、たまに息抜きにでもきてくれたら嬉しいなー。
我もまだまだこの国のこと詳しくないから、いろいろ知りたいし」
ね、と人好きする笑みを向けられてフィアも少し表情を緩める。
「何か困ることがあったら頼ると良い。城に来れば誰かしら対応をしてくれるだろう」
そう言いながらフィアは彼が用意した茶を啜る。
これを土産にしたら喜ぶ人が多そうだと思いながら茶を飲む彼を見て、倫はそっと口角を上げたのだった。
***
今日もそれなりに人がきた。
なかなか有力な情報は得られないが……少しずつ交友の輪を広げていくのが重要だろう。
そう思いながら、倫は階段を上り、部屋に入る。
陽の光が入らないように閉めていたカーテンを開けてやれば、部屋の中の椅子に腰掛けていた少女の姿が月明かりに照らされた。
「お待たせ、麗花。今日は天気もいいし風も気持ちいいから少し外に出よう」
そう誘い、倫は少女……麗花の手を引いた。
立ち上がると、かつりと音が鳴る。
固い義足が床を叩いた音だった。
それを見て、倫は少しだけ顔を歪める。
しかしすぐに笑顔に戻ると、彼女を抱き上げて階段を降りた。
「今日はいいことがあったんだ、この国の平和を守ってる騎士様と仲良くなったんだよ」
中庭の喫茶空間の椅子に彼女を座らせて、倫は言う。
「きっと、情報集めも少しは進む」
きっともう少しだから。
そう言った彼は金の瞳に強い光を灯して、呟くように言った。
「キミを殺した犯人は絶対に我が見つけるから」
ーー 人不可貌相 ーー
(地味な草の塊が可憐な花を咲かす茶であるように)
(人好きする笑みを浮かべる店主が毎夜目に憎悪を灯すように)