強く、強く、剣を握る。
飛び掛かってくる獣の爪を躱し、迸る炎の魔力をぶつける。
肉の焼ける厭な臭いと獣の断末魔。
それに僅かに顔を歪めるが、剣を握る手は緩めない。
大型の魔獣の相手と言うのは何度こなしても緊張するものだ。
脳の端でそんなことを考えながら、少年は眼前の獲物を見据える。
まだまだ、数が居る。
小型の竜の群れの討伐。
それが今回の任務の内容だった。
小型でも危険極まりない竜。
その討伐任務は決して楽なものではない。
その証に炎豹の騎士たちに草鹿の騎士が同行していた。
まだ、竜はいる。
あちらこちらで上がる炎と魔獣の声。
それを聞きながら騎士……アネットは唇を噛んだ。
嗚呼、早く殺さなくては。
全て、全てを殺さなくては。
危険だから、仲間を殺される、ヒトがたくさん死ぬかもしれない。
そうなる前に、早く、早く、はやく……
飛び掛かってくる竜の攻撃。
初めはそれを躱そうとも思った。
しかし途中で躱すことを考えるのをやめた。
一緒に来ている草鹿の騎士たちがサポートもしてくれる。
酷い傷を負うことはないはずだ。
それならば、一撃でも多く、一瞬でも早く、獲物を狩れば良い。
強い魔力を放つ。
近づいてきたものは大振りの剣の一撃で斬り殺した。
強い竜の鱗に攻撃を弾かれれば、一瞬竜が怯んだ隙にその顔めがけて魔力を放った。
びりびりと体を刺激が走る。
ばくばくと酷く荒い心音が自らのものであると気付くことすらなく、アネットはただひたすらに剣を振るった。
視線を周囲へ巡らせる。
動く影を見つけては斬りかかる。
それを繰り返していれば周囲はすっかり静かになって……
嗚呼、でも、でもまだかもしれない。
もしまだいるのなら、全てを……――
「アネットさん!」
鋭い声と同時。
ぐいと、後ろから強く腕を引かれた。
一瞬バランスを崩し、大きく目を見開くアネット。
其方へ斬りかかろうとして、すぐにはっとした。
違う、これは。
彼は、敵では……――
アネットの剣は強固な魔術障壁で弾かれた。
それで完全にバランスを崩し、アネットはその場に座り込む。
「っ、は……」
荒く息を吐く彼のガーネットの瞳に映るのは険しい顔をした白髪の少年。
白衣を土埃に汚し、肩で息をしている彼はアネットの前に身をかがめると、その頬を冷たい手で包んだ。
「良かった、正気に戻りましたね」
ほっと息を吐いた少年はもう一度表情を引き締めるとアネットの目を見つめ、口を開いた。
「無茶が過ぎますよ」
もう、と言いながら彼がそっとアネットの頬をなぞる。
ぴりっとした痛みが走って、傷を負っているらしいことを知る。
「あ、る……?」
掠れた声で名を呼べば、彼は小さく頷いた。
「えぇ、僕ですよ」
アネットにとってはパートナーである彼……アル。
彼はアネットが冷静になったのを見て、安堵した表情を浮かべている。
「は……はぁ……ぁあ、くそ」
荒い息を吐いて、アネットはくしゃりと自分の髪を掻きあげる。
今になって先刻までの自分の行動を思い出して、吐き気がこみ上げる。
周囲のものを焼き尽くし、殺しつくそうとする自分の姿はきっと、獣(ケダモノ)のように見えたことだろう。
"また"やってしまった、という想いに唇を噛みながら、アネットは顔を上げる。
そしててきぱきと自分の傷の手当を始めている相棒を見つめ、問いかけた。
「怪我は?」
「ありませんよ。アネットさんの方が重傷です」
冷静に返す彼は怒っているようだ。
体中にできた傷を魔力で癒してくれてはいるが、その手つきが幾分荒い。
アネットは彼の言葉と口調に苦笑を漏らして肩を竦めた。
「はは、俺はこんなの、慣れてる」
「慣れないでください」
ぴしゃりとアルに言われて、アネットは口を噤む。
アルは黄色の瞳を微かに潤ませて、アネットを睨んでいた。
「戦っているときは感じなくても傷は負っているんです。
血は流れているし、痛みだってない訳ではないはずです。
血が流れ過ぎれば死にます。
それがわからないアネットさんではないでしょう」
冷静にアルは説教をする。
その口調が少し彼の師に似てきた、と思うが今それを口にすれば一層睨まれることがわかっているため飲み込んだ。
誤魔化すように周囲に視線を巡らせて、アネットは呟く。
「ほかのやつらは……」
一緒に任務に来ていた騎士が何人かいたはずだ。
炎豹の騎士も草鹿の騎士も。
しかし、この煤臭い空間に居るのはアルと自分だけのようだ。
「帰った、か。ビビらせたよなあ」
いつも、こうだ。
少し、真剣になりすぎるとつい暴走してしまう。
魔力の放出にしても、戦い方にしても過剰になってしまうのだ。
その結果、炎豹の仲間にさえ少し恐れられていることをアネットは知っている。
爆弾のようなものだ、仕方ない。
もう少し自分で制御できれば、とアネット自身も思っているのだが……自分の意思ではどうにもならないのだ。
それが悔しい。
そんな悔しさをかみ殺すのに失敗して、八つ当たりのようにアネットはアルに言った。
「お前も、かえっても良かったのに」
そう言って肩を竦めるアル。
幾らか傷が癒えてきたようで、痛みが引いてくる。
傷は負っていたが、恐らく死ぬような怪我ではなかったはずだ。
そんな傷を負わせないようにとアルたちがついてきていたのだから。
だから、おいていってくれても構わなかった。
アネットがそういうのを聞いてアルは溜息を吐き出した。
少し呆れたように首を振りながら、彼は言う。
「パートナーを置いて一人で帰るような薄情なこと、するはずがないでしょう」
なんでそんなこというんですか、とアルは呟く。
アネットはそんな彼を見つめて、問いかけた。
「お前は、怖くねぇの?」
先刻も実際、アルを攻撃した。
アル自身が張った障壁のお蔭で彼を傷つけることはなかったが、もしあれがなければ……
怖くないのだろうか、と彼は問うた。
アルはその言葉に黄色の目を瞬かせた。
それから、あっさりと答える。
「怖いですよ」
その言葉にアネットは一瞬息を呑む。
アルはそっと微笑むとそんな彼を見つめて、言葉を紡いだ。
「貴方が死んでしまうのが怖い。
アネットさんは僕たちを、大切なものを守ろうとして必死になりすぎてしまうから。
自分を顧みずに戦ってしまうから。
僕が必死に貴方を追いかけても、守ろうとしても、貴方がそれより遠くに行ってしまえば守れない。
その末に貴方が死んでしまうことが恐ろしいです」
そういう意味じゃない、と言う言葉は紡げなかった。
アルの表情があまりに真剣で、優しかったから。
……自分が想定した、自分(アネット)に対する恐怖など彼は微塵も抱いていないのだと問わなくてもわかってしまったから。
アルは穏やかに微笑んだまま、アネットの手をそっと握った。
優しくて小さな、白い手で。
そして、優しくもはっきりとした声で言うのだ。
「だから、此処に居てください。僕の手が届くところに。僕が守れるところに」
アネットはそんな自身の相棒を見つめる。
自分よりずっと小さく、幼げな少年。
でも、強い強い心を持った彼は自分を見つめて、笑ってくれる。
自分を守りたいとそう言って。
「貴方の背中は僕が守ります。戦うことはできないけれど、守ることはできますから」
ね、とアルは微笑む。
アネットはそんな彼を見つめ、二度三度と瞬くと、ふっと目を細めた。
「……頼もしい、なぁ」
そう言って、アネットはへらりと笑う。
えへん、と胸を張って見せる彼を見て、アネットは少しだけ鼻を啜ったのだった。
―― この手の届く場所で ――
(強ければ良い、なんて割り切れない。
憎む獣のようになるのが怖いのに獣のようにしか戦えない自分が恐ろしい)
(そんな俺を守りたいと言って笑ってくれる相棒。
嗚呼、なんて頼もしいんだろうなぁ、なんて)