カリカリと書類にペンを走らせる。
先日の任務の報告書への書き込み。
あの時出会った魔獣への対処方法。
水兎からの提案を元に、作戦を練り直す。
「とりあえず、俺とフィアとシストで行くべきだろうな」
小さく呟き、溜息を一つ。
気が進まない、と言うか本当はあまり部下二人を連れて行きたくはないのだが、そうも言ってはいられない。
魔術をメインに使う魔獣を自分の剣術のみで倒すのはあまりに難しいだろう。
あの魔獣の能力を経験した訳ではない他の騎士を連れて行くよりは、その能力や対処方法を身をもって知っているフィアとシストを連れて行くのが一番確実で安全だろう。
……もう一度あの魔術を味わわせる訳にはいかない、その前に片を付けなければいけないか。
ルカがそんなことを思った、その時。
「こんな時間まで仕事ですか?」
聞こえたのは静かな声。
驚いて顔を上げれば、長い緑髪を背に流した魔術医の姿があった。
ルカは小さく笑って、彼に言う。
「ジェイド。お前もか?」
ひらりと手を振って問えば、彼……ジェイドはそっと微笑み首を振った。
「僕は見回りですよ。尤も、入院している騎士も多くはないですし、そこまで気を張る必要はありませんけどね」
医療部隊は他の騎士たちと違って、時間が決まっている仕事ばかりではない。
こうして、夜の病棟の見回りなども必要になるのだ。
部隊長であるジェイドも至極当然のようにその役割をこなしている。
今日は担当が彼だったらしい。
なるほど、と頷いたルカは一度席を立ち、伸びをした。
「そっか。ついでだし、飲み物でも淹れてくるよ」
夜の食堂は明かりが落とされ、普段食事の支度をしてくれるメイドや料理人の姿はないが、自分でキッチンを使って軽食を作ったり茶を淹れたりすることはできる。
休憩がてらに、とルカが言うと、ジェイドはそんな彼を押さえ、言った。
「良いですよ、僕が淹れてきましょう」
有無を言わせない声に、ルカは頷き席に戻る。
そして机の上に広がった書類やペンを片付けていれば、すぐにジェイドは戻ってきた。
ふわり、と淡い紅茶の匂いが漂う。
礼を言ってカップを受け取るルカの傍に、ジェイドも腰かけた。
「大丈夫ですか?」
不意に問われ、ルカはきょとんとする。
ジェイドはカップを持たないほうの手で、とんとんと先刻までルカがペンを走らせていた報告書を突いた。
「うん?あぁ、この前の件か。平気だよ」
そう言って、ルカはへらりと笑う。
そんな彼の様子を見て眉を寄せたジェイドは一度カップを置いて……
「いて」
こつん、とルカの額を小突いた。
「誤魔化すのが下手ですね、貴方は」
呆れたようにそう言いながら、ジェイドは唇を紅茶で湿らせる。
それからもう一度書類を細い指で突いて、言った。
「ただ仕事をこなすだけならば、部屋でこなすほうが楽でしょうに。
其れなのにここで仕事をしているというのは、少なからずダメージを受けているから、なのでは?」
違いますか?
そう問われて、ルカは視線を泳がせる。
それから、降参するように両手を上げた。
実際のところ、そうなのだ。
シストの前では平然とした姿を見せはしたがルカもあの悪夢による影響を少なからず受けている。
全く平気かと言われればそうではなく、一人で過ごすのが少し恐ろしくて、多少でも人の気配を感じられる食堂で仕事をこなしていたのだった。
「……やれやれ、適わないな」
そう言って溜息を吐くルカ。
ジェイドはその返答に少し眉を下げ、心配そうに言う。
「きちんと、眠れていますか?あまり、薬や魔術に頼るのは感心しませんが、必要ならば……」
「あぁ、大丈夫大丈夫。そこまで酷くはないんだ、本当に」
大丈夫だよ、と笑うルカ。
その真意を確かめるように暫し彼の紅の目を見つめたジェイドだったが、やがて小さく息を吐き、言った。
「……あまり無茶をするものではありませんよ」
警告するように彼は言う。
ルカはその言葉に肩を竦めながら言った。
「部下の前でくらい恰好つけさせてくれよ」
普段があんまり頼もしい方じゃないからさ、とお道化たように彼は言う。
ジェイドはその言葉に溜息を吐きながら、ぽつりと言った。
「それがいつもだから、僕は心配なのですけどね」
部下の前でくらい、と彼は言うが、その部下と一緒に過ごす時間がルカは圧倒的に長い。
気を抜いている時間は然して多くないだろうと思っていた。
だからこそ心配だと言ってやれば、ルカは苦笑混じりに頷いた。
「はは、確かになぁ。でもジェイド、お前も結構無茶するタイプだろ」
俺のこと言えないんじゃないか?
そうルカは言う。
ジェイドは決まり悪そうに視線を逃がすと、小さく頷いた。
「……否定はしませんがね」
ジェイドはジェイドで、しばしばアレクに叱られている。
もう少し気を抜け、無茶ばかりするな、と。
しかし今は、恐らく精神的にも肉体的にも疲弊しているであろうルカのサポートが先だとジェイドは顔を上げた。
「貴方が見たという夢を、僕たちも聞きました。
相当、重たいものだったでしょう。
……魔術を使えないのは貴方の所為ではない、魔術なしでも貴方は十分に騎士として、僕たちの仲間として戦ってくれている。
それは、貴方もわかってくれていますよね?」
魔術が使えない所為で仲間を守れなかったという悪夢の内容。
それを聞いて、ジェイドは顔を歪める他なかった。
いつも明るい、最年少の部隊長の心の底の恐怖心。
それがあまりに痛々しかったから。
ジェイドの言葉にルカは笑いながら頷く。
「あぁもちろん。いつも、ジェイドたちがそう言ってくれるからな。
……でもやっぱり、多少思うところはあるんだよ」
そう言いながらルカはカップを傾ける。
少し冷めた紅茶を飲み込んで、彼は言葉を紡いだ。
「俺は、騎士になりたくてなった。
挙句俺の場合は、平穏に暮らせてたはずの従妹まで巻き込んだ。
俺が本気で止めたなら、俺が推薦しなかったなら、彼奴はこんな危険な道を歩かないで済んだ。
そう思わないと答えたら、嘘になる。
……まぁ、フィアへの侮辱だから、頷きはしないけどな」
ふ、と笑いながらルカは言う。
「でもそんな道に連れてきちまった責任は、俺がとらないといけない。
……魔術が使えなかろうが何だろうが、俺はあいつを、仲間を守るよ」
きっぱりと言ってのける彼の声に迷いはない。
ジェイドはそれを見て何か言いたげな顔をしたが、その言葉を飲み込み、微笑んで見せた。
「そういうところが、貴方らしくて好きですよ」
「……ありがとうな、心配してくれて」
少し照れたように笑うルカ。
ジェイドはそれを見て翡翠の瞳を細めると、そっとその頭を撫でる。
少し驚いた顔をしたルカは、少し動揺したような顔をしていった。
「あんまり子供扱いするなよ」
「僕たちからすれば貴方も立派に子供ですよ」
まだ二十歳にもならない、青年。
それが自分と同じ重圧を背負っていることを、時々忘れそうになる。
尤も、心配しすぎることはルカに対する侮辱になることは重々承知の上なのだけれど、それでも。
「きちんと、僕たちにも頼ってくださいね」
伝えるべきことは、伝えなければならない。
ジェイドはそう思いながらまっすぐにルカを見つめる。
ルカは彼の言葉に微笑むと、しっかりと頷いて見せたのだった。
―― 背負うもの ――
(部隊長と言う立場は、もしかしたら彼には重荷かもしれない)
(それでも、前を向き続ける彼は確かに強いのでしょう。
その強さが時折、心配にもなるのですけれど…)