鋭い突きが、襲いかかってくる。
細い剣でそれを何とか受け止めながら、紫髪の青年は、顔を歪めた。
強い、鋭い突き。
辛うじて弾けるものの、その速度は勢いを増すばかり。
凛とした緑の瞳で自分を見据える相手は、一度剣を引き……そのまま、それを素早く払った。
今までと違う衝撃で緩んだ手から、剣が抜ける。
すっぽ抜けて飛んだ剣は彼……アズルの後ろに、カランと間抜けな音を立てて転がった。
はっはっと荒く息を吐いたアズルは眉を寄せ、目をふせる。
「あぁ、もう」
微かに苛立ちを滲ませた声で呟いた彼は、がしがしと頭を掻く。
そんな彼を見て相手をしていた青年はそっと息を吐いて、言った。
「少し上達しましたね。
以前ならば、最初の突きで終わっていたでしょう」
「あはは……そう言ってもらえると、救い、だなぁ。
ありがとう、ルドラス」
呼吸を整えながら、アズルは苦笑する。
相手……ルドラスはそっと肩を竦めて、言った。
「それでも、まだまだではありますがね」
こんなことでは安心はできません。
鋭くそう言う彼は、なかなか厳しい。
いつものことなのだけれど、と嘆息したアズルはふと、口をひらいた。
「ルドラス、昔から、聞きたかったんだけど」
「何でしょうか」
畏まった様子で首を傾げる、教育係。
幼い頃からよく知っている礼儀正しい彼は、真っ直ぐにアズルの目を見つめている。
そんな彼の瞳を見ていると少し竦んでしまって、アズルは一瞬口籠った後、静かに口を開いた。
「ルドラスは、知ってた、かなって」
「何をでしょうか」
煮え切らない態度の彼に、ルドラスは怪訝そうな顔をしている。
アズルは一度、二度と迷うように目を伏せてから、ぽつりとつぶやくような声で言った。
「……僕に、"弟"が居ることを」
アズルには、弟がいる。
それは、"公式な"ことではなく、伏せられていることだが……
自分の身近にいた彼は、知っていたのかもしれない。
そう思ったのである。
アズルの問いかけに、ルドラスの薄い表情が、ごく僅かに変わったのがアズルにもわかった。
彼もまた、少し迷うように視線を泳がせる。
しかしそっと息を吐いた彼はまた真っ直ぐにアズルを見据え、小さく頷く。
「……えぇ」
知っていた、と彼は答える。
その脳内に浮かぶのは、”本来の姿”はアズルにそっくりな、少年の姿。
……一度アズルに反旗を翻した、長身の騎士の姿。
やっぱり知っていたんだ、というアズルの声に、ルドラスは少し気まずそうな顔をする。
アズルはそんな彼を見て、慌てたように首を振った。
「いや、咎めている訳ではないんだよ。
……ただ、ね」
少し思うところがあって。
そう呟いたアズルはまた、目を伏せる。
ルドラスはその言葉の先を待って、口を噤んでいた。
「もし、あの子が、……僕を殺すことに、成功していたとしたら」
―― 君はそれを、喜んだだろうか。
アズルは、そう言う。
まるで独り言のようなその言葉に、ルドラスはゆっくりと瞬いた。
「否、と否定する他ありませんね、私は」
そう、静かに答える。
アズルはその言葉に苦笑まじりに肩を竦めた。
それは当然、そうだろう。
例え本心は反対であったとしても、それを口に出すことは出来まい。
アズルはルドラスの主人であり、ルドラスはアズルの従者なのだから。
だからこそ、とアズルは重ねて問うた。
「従者として、じゃなくて……君個人としては、どう思う?」
その問いに、ルドラスは眉を寄せる。
アズルはその表情に怯むことなく、言葉を続けた。
「きっと僕よりも、あの子の方が国王には向いているだろう。
彼は剣術も得意で、頭も良い。
気質だって優しいし、カリスマ性だってある」
それは、ずっと胸にある気持ちだった。
自分の腹違いの弟の方が、正直国王という立場に向いていると思うのである。
自分(アズル)の影であることを、補佐であることを求められた弟は、騎士として働いている。
剣術の腕は確かなものだし、聖職者として育ったこともあって礼儀正しさや信心深さも人並み以上。
……アズルに牙を剥いたこと以外は、全くをもって問題のない青年なのだ。
もしかしたら……あのまま、彼が自分を倒して国王になった方が良かったのかもしれない。
そう思わずにはいられないのだった。
無論、そんなことを口に出すことは、出来ない。
どれだけそれを負担に思っても、アズルの身分は確かなものであり、従者や国民から見れば、どれほど未熟でも"国王"なのだ。
せめて、振舞だけでも国王らしくある他ない。
そんなアズルが弱音を吐く訳にはいかないのだ。
しかし……
ルドラスは、教育係であると同時、幼い頃からの友人のような存在なのだ。
少しだけ、素の自分を曝け出すことが出来るのだった。
そんな信頼を、ルドラス自身も感じているのだろう。
彼の弱音を咎めることはなく、静かな声で応じた。
「否定はしません」
そんな、静かな声。
真っ直ぐ、緑の瞳でアズルを見つめ、彼は言葉を紡いだ。
「彼は確かに器用で、しっかり者だ。
騎士として、聖職者として、良くやっているでしょう」
それは真実であり、現実だ。
アズルも、それは認めている。
寧ろ、こうして歯に衣着せない物言いの彼だからこそ、信頼してもいた。
「そう、思うよね」
素直な彼の言葉に、アズルは微笑む。
「あの子の計画が、成功していた方が、良かったかな」
その方が、皆も幸せだったかも。
当て付けでも何でもなく、素直な感想として、アズルは呟く。
事実、そう思う自分が常に居た。
そんな彼の言葉に、表情に、ルドラスはそっと息を吐く。
そして、口を開いた。
「その答えはアズル様自身が、答えを見つけるべきことです。……ですが」
一度言葉を切った後、すっと顔を上げ、ルドラスは言う。
「貴方の教育係として、従者として、でないならば……
共に育ってきた貴方が殺されてしまうのを喜ぶほど、冷淡ではないつもりです」
そんな彼の言葉に、アズルは目を瞬かせる。
彼が、そういったことを口にするとは、正直思っていなかったのだ。
ルドラスは常にしっかりもので現実的で、尚且つ厳しい。
だから甘ったれな自分のことは好いていないだろうと思っていた。
どちらかと言えば、アズルはルドラスのことを苦手に思っているくらいだった。
だからこそ……そんな彼の言葉に、驚いたのである。
ルドラス自身も、少なからず照れ臭かったのだろう。
少しきまり悪そうに咳払いをした彼は、ついとそっぽを向く。
「……今日は、もう終いにしましょう」
あまり無理をして体を痛めても大変ですから。
静かにそう言うルドラスの耳は少し赤い。
アズルはそんな彼を見て、ふわりと表情を綻ばせて、頷く。
「ありがとう、ルドラス」
「礼を言われるようなことは、何も」
そっけなくそう言う彼を見て、くすくすと笑いながら、アズルは吹き飛んでしまった剣を拾ったのだった。
―― 影のように寄り添って ――
(あまやかすことは、到底出来ない。
それでも、貴方のことを疎んだことは一度もない)
(きっと、彼は僕が思うより、優しい人なんだろう。
不器用で優しい、大切な人だ)