いつも通りに任務を終えて、賑やかな街を通り抜け、城に戻る。
年明けの街は賑やかで、通り抜けているだけでも楽しい気分になる。
亜麻色の髪の少年……フィアはサファイアブルーの瞳を穏やかに細めた。
そんな、いつも通りの午後だった。
城に戻り、統率官の部屋に向かう。
軽いノックをすると、一瞬の間を置いて、"どうぞ"という返事。
いつもならばすぐに返ってくる返事が少し遅れたものだから、フィアは少し怪訝そうな顔をした。
「任務終わったぞ。……どうかしたか?」
「え?」
室内にいた統率官、ルカはフィアの問いかけにルビー色の瞳を見開く。
一瞬それが揺らいだのを、フィアは見逃さなかった。
眉をよせて、問い詰める。
「何だか、お前の返事の声が少し……いつもと違ったようだったから。
何かあったのか、と思って」
どうかしたか?
そう問いかけるフィアに、ルカは少し考え込む顔をする。
フィアはそれをじっと、見つめた。
彼が答えたくないというのなら、無理に聞きだすつもりはないけれど……
もし一人で何かに悩んでいるというのなら、どうにか力になりたいと思う。
だから、ただただ彼を見つめた。
すると、彼はやがて一つ溜息を吐き出した。
それから、机の引き出しを上げる。
「……これだよ」
そういって彼が差し出したのは一枚の封筒。
可愛らしい、桜色の。
「……え」
「今日、巡回で街中歩き回ってる時に渡された」
誰彼構わず見せるもんでもないと思うから秘密な。
そういいながらもう一度引き出しにしまい直した辺り、恐らくそれの正体は、フィアが想像したもので間違いない、だろう。
驚いて言葉を失う彼を見て、ルカはにかっと笑った。
「モテない、なんて言われるけどなぁ……
俺もこう見えて、一応こういう浮いた話はあるんだよ」
驚いたか。
そういって笑うルカを見て、フィアは思わず眉を寄せた。
……よいこと、だと思う。
騎士はある意味で好感度仕事だ。
男性にせよ女性にせよ、好意を持たれれば仕事を得やすくなる。
信用されるということは騎士団の信用を上げること、其れすなわち騎士団を統率する王女の信用を上げることにもつながる。
それは好ましいことなのだ。
或いは、そのまま誰かと恋愛をして、結婚して、子供を生んでもらえば……
優秀な騎士の血を引く子供が生まれるわけで。
ルカは魔術こそ使えないけれど、優れた身体能力と剣術能力とを持ち合わせている。
きっと……優秀な子供が生まれる。
そんなところまで考えが飛躍したところで、フィアは慌てて首を振った。
自分は一体何を考えているのだ。
「……そうか」
「何だ、リアクション薄いな」
面白くないな。
そういいながらルカは唇を尖らせる。
フィアはそれを聞いてむっとしたような表情を浮かべ、彼を睨みつけた。
「どんなリアクションをすれば良いんだ」
「もっと、ヤキモチ妬いてくれるかと思った」
「ふざけるな。いらん惚気話聞かされて不愉快になっただけだ」
ふいっと、フィアはそっぽを向く。
そして"後で報告書を持ってくる"とだけいって、部屋を出ていった。
バンッと、やや乱暴に閉じられたドア。
それをみてルカは驚いたように瞬きをする。
それから、机の中にしまった封筒を取り出して……一つ息を吐き出す。
「少し、からかい過ぎたかねえ」
小さく呟き、頭を掻く。
まだ冷たい風が窓の隙間からひゅうと吹き込んできた。
***
「ルカと喧嘩でもしたか?」
食堂で夕食をとっている時、不意にシストにそんなことをいわれた。
それを聞いてフィアは蒼の目を瞬かせる。
「……なんで」
「はは、図星か」
可笑しそうに笑うシスト。
フィアはそれをみてむっとしたように言う。
「何がだ」
「お前、後ろめたいことがある時に問いかけると"なんで"って返してくるからだよ。
なんでもない、そんなことない、ていえばいいのにさ」
馬鹿だな。
そういいながらパンを一口口に運んだシストは小さく首を傾げた。
「で?何で喧嘩したんだよ」
「別に、喧嘩ってわけじゃ……ただ、ルカが変な惚気話をするからで」
「惚気?」
シストは驚いた声をあげる。
フィアは"あぁ、秘密だった"と思いだしたように呟きながら声を落として、言った。
「……彼奴が、恋文をもらったというから」
「へぇ?ルカがねぇ」
珍しいこともあったものだ、とシストは言う。
それから彼はフィアの顔を覗き込むようにして、言った。
「で、それが面白くなかったわけだ」
「ば……っ、別にそういう訳では、なく……」
「じゃあ何でそんな不機嫌なんだ?」
ルカが気にしてたぞ。
シストがさらりとそういってやれば、フィアは黙りこむ。
適当にフォークでつつかれている付け合わせのジャガイモは既にぐずぐずに崩れている。
それをみて溜息を吐き出しながら、フィアは言った。
「……断じてルカのことをそういう風に思っているというわけじゃなくて」
ぽつり、とフィアは言う。
シストはそれに頷いてやった。
それはよくわかっている。
フィアがルカに向ける感情は恋だの男女間の愛だの、甘ったるいものではない。
そのことはシストもよくわかっている。
「それでも、何だか……おもしろくない」
「はは、そか」
素直に言えてよろしい、といってシストはフィアの頭を撫でてやる。
子供扱いするようなその手にまたむっとした顔をしたフィアだったが、すぐに顔を伏せる。
……子供、なのは事実な気がしたから。
「……取られるような、気がした」
「ルカのことを?」
こくん。
頷くフィアを見て、シストは目を細める。
「……何といったらよいのか、俺にもわからない。
ただ……うん、ぅ……面白くない」
普段ははきはきとものを言うフィア。
しかしそれが濁っている。
それをみてシストは静かに頷いてやった。
フィアは言葉を飲み込み、黙り込む。
ふう、と息を吐き出す彼は窓の外に視線を投げた。
嫉妬、というには少し違う気がした。
けれども、面白くないというのは事実で。
フィアにとってルカはいつでも傍にいてくれた存在だった。
幼い頃から、ずっと。
従兄として、家族として、上官として……
血がつながっていないと知っても尚、家族と慕う人間。
ルカは優しくてしっかりした人間だから、きっと誰かと恋をしたならば、その相手を大切にするだろう。
騎士団の仕事をこなしながらでもその相手を幸せにする道を探すだろう。
それが酷く面白くないと、そう思ってしまったのだ。
そう。
言葉で表すのだとしたら……寂しい、とか、そんなものだろうか。
「……変だよな、こんなの」
何考えてんだろう。
そう呟くフィアを見て、シストはゆっくりと首を振る。
「変じゃないだろ。
俺だって、姉貴が結婚するっていったらちょっと複雑だから」
「え?」
どうしてロゼさま?
そう言いたげなフィアを見て、シストは笑う。
「似たようなもんだろ、多分心境としては。
ずっと一緒に居た、自分を大事に、一番に思ってくれてた相手が他の誰かのものになる。
……そう思ったら複雑なのは、当たり前のことだ」
恋愛抜きにしたってな?
そういって笑いながら、シストはぽんとフィアの頭に手を置いた。
「……そういうものか」
「そういうもんだ。はは、お前もまだ兄離れ出来てない、ってとこだな」
フィアはそう言われて少し拗ねたような顔をしたが……やがて、表情を緩めた。
「……そう、なのかもしれないな」
少し腑に落ちた様子の彼を見てシストはアメジストの瞳を細め、笑う。
そして軽く彼の頭を撫でてやってから、言った。
「ま、ちょっとずつ割り切れるようにもなるさ。
ただとりあえず、ルカに冷たくするのはやめとけよ、彼奴ショックで動かなくなるんだからな」
その分の書類仕事回ってくるのは俺なんだぞ、と冗談めかした口調で言うシスト。
フィアはそれを聞いてくす、と笑う。
「それは困るな。
俺の相棒が書類仕事に潰されていてはかなわない」
「おいおい、そっちの心配かよ」
可笑しそうに噴き出すシストを見て、フィアもようやく小さく笑い声をこぼしたのだった。
***
その、数日後。
フィアはすぅ、と息を吸い込んでから、統率官の部屋のドアをノックした。
どうぞ、とすぐに返事。
ドアを開けると、机に向かうルカの背中。
「……仕事中だったか」
「いや、プライベート。報告だろ?」
お疲れさん。
そういって笑うルカ。
その手元には、便箋と封筒。
「……手紙か」
この前の、返事の。
気が付いたらそんなことを問うていた。
ルカはそれを聞いて小さく笑った。
「正解」
「……よかったな」
「は?」
「好きになってくれた相手がいて」
お前は一生恋愛なんてしないと思ってた。
フィアがそういうとルカはぱちぱちと瞬きをする。
それからくくっと笑う。
「あぁ、そうだなぁ……当分は良いや」
「え」
今度はフィアが瞬きをする番だった。
ルカはに、と笑って言う。
「断るさ。
正直興味ないし……お前に自慢したのは単にお前らがあんまりに俺のことを馬鹿にするからだよ」
まったく、などといって笑うルカ。
フィアはそれを見つめてぽかんとする。
「……興味ないて、おま……」
「そんな状況で真剣な思い受け止めてやるわけにはいかないさ。
変に期待持たせるのも悪いしきっぱり断る」
そういいながらルカは封筒を閉じる。
フィアはそれをみて、いった。
「……叔母上と叔父上が嘆くな、お前はいつになったら良い人を連れてくるのか、と」
「あはははは、確かにそうだなぁ」
闊達に笑うルカ。
フィアはそんな彼に"本当に、お前という奴は"などと説教じみた口調で声をかける。
しかしその表情は確かに、ほっとしているようだった。
―― 愛しいという感情は ――
(それはきっと、恋愛という甘ったるいものではないけれど。
それでも確かに、俺は、きっと……)
(まだまだ子供な、従弟。
それを置いて、好き勝手になんてできるはず、ないだろう?)