賑やかな宴会場を抜け出して、しんと静かな中庭に足を向ける。
少し枯れ始めた下草を踏んで歩くブーツがカサコソと、音を立てる。
それを聞きながら、亜麻色の髪の少年騎士は何かを、誰かを探すように、青色の瞳を中庭のあちこちに向けた。
大きな、木の根元。
そこに凭れ掛かる、白い制服の騎士。
やれやれ此処にいたか、と溜息を吐きながら、彼はゆっくりとそんな少年のもとへ歩みを進めた。
長い紫の髪が肩にかかり、風に揺れる。
閉じられた瞼には月明かりで出来た影がくっきりと浮かんでいて薄く開いた唇からは微かに寝息が漏れていた。
吹く風は秋の冷たさを含んでいる。
このまま放っておくわけにもいくまい。
そう思いながら息を吐き出し、彼……フィアはそっと彼に声をかけた。
「シスト」
呼びかけながらそっと、肩を叩く。
薄く目を開く彼のアメジストの瞳を覗き込みながら、フィアはいった。
「そんなところで眠っていたら風邪をひくぞ」
寝るなら部屋に戻れ。
フィアがそういうと、シストはゆっくりと瞬きをする。
そして眼前にいるのがフィアだと気が付くと少し表情を緩めた。
「あぁ、フィア……」
ごめん、ちょっと夜風にあたりにきたら眠くなって。
彼は言い訳のようにそういうとふぁ、と欠伸をした。
フィアは彼の様子を見てふっと苦笑を漏らして、いった。
「そうして寝ぼけている様を見るとどうにもお前が男だということを忘れそうになる」
長い紫髪。
眠たげなアメジストの瞳は欠伸の涙に濡れている。
色の白い肌とその顔立ちとを見ていると、彼が男性であることを忘れそうになる。
尤も、声も体格も華奢ではあるものの確かに男性のものなのだけれど。
しかしシストは拗ねたような顔をした。
そして目元にかかった長い前髪を指先で払って、呟くような声で言う。
「……俺も、時々お前が女なのを忘れそうになるよ」
「それは正解だ。俺は確かに男なのだから」
シストの隣に腰を下ろしながら、あっさりとそう答えるフィア。
一切迷いのない彼の返答にシストはゆっくりと瞬きをする。
そして少しだけ悩むような顔をした後、いった。
「……なあ」
「ん?」
こて、と首を傾げるフィア。
その動作は女っぽいな、という言葉は飲み込んで、シストは彼に問いかけた。
「お前は、思ったりしないのか。普通に……女として生きてみたかった、とか」
彼の問いかけにフィアは大きく目を見開く。
やはり、聞かない方が良かっただろうか。
そう思いながらシストは蒼の目を大きく見開いているフィアから視線を外した。
……常々、気になっていた。
彼が、"彼女"であったことを知ってから。
男として生まれてきた自分が騎士になることを決めるより、女性として生まれてきたのにその性を捨てて、男として騎士になることを決めた彼の決意の方が重く感じる。
彼は、思いはしないのだろうか。
女性として生まれたのだから女性らしく生きたい、と。
こうして、騎士として生きるのが嫌になったりはしないか、と。
……正直。
シストは騎士をやめたいと思ったことがある。
無論、あの時……エルドを失った時だ。
自分の不注意で人が死ぬ。
自分の決断一つで人の命を左右する。
今まで騎士として生きてきて、人が死ぬ姿はたくさん見てきた。
それが急に怖くなったのだ。
彼はそんなことを考えたことがあるのだろうか。
自分より寧ろ、思うことは多いのではないだろうか。
シストがそう思いながら目を伏せていると、フィアが溜息を吐き出すのが聞こえた。
呆れさせたか?
或いは怒らせたか?
そう思いながらおずおずとシストが視線を上げると、フィアは少し悩むような顔をしていた。
それから、彼はふっと息を吐き出して、呟くような声で言う。
「……そうだな。
思ったことがない、と言ったら嘘になるかもしれない。
俺だって最初から男に、騎士になりたかったわけではない。
きっと、"あの日"がなければ、俺は今もルピリアにいて、……そうだな、母さんの手伝いでもしていたんじゃないか」
まったく想像はつかんがな。
フィアはそういって笑う。
そして亜麻色の髪を軽く掻きあげてから、綺麗な月を見上げた。
「街中を着飾って歩く女性たちを見ているとほんの少し、居た堪れない様な気分にもなる。
俺だってああして着飾って歩くことが、パーティに出ることがあったのだろうか。
……まぁ俺は田舎の出だし、そうしたことはなかったかもしれないけれど」
そういいながら彼はくす、と笑う。
しかしシストは悲しげに目を伏せた。
「……だよな」
やはり思わないはずがない、よな。
きっと人知れず悲しい思いも苦しい思いもしてきたのだろう。
そう思うと……居た堪れない。
しかしそんなことを考えながらシストが顔を伏せていると、フィアの声が聞こえた。
「でもな、こうも思うんだよ」
きっぱりと、嘆きなど微塵も感じられない声で、彼はいうのだ。
「俺が騎士になり、男となったから、城に来られた。
俺が騎士として戦うから、彼女たちは笑顔で着飾り、パーティに出ることが出来る。
それを、その幸せそうな笑顔を守るのも悪くはない」
そういった彼は穏やかな顔をしている。
嘘でも誤魔化しでもないその表情に、シストの方が驚いて、幾度も紫の瞳をまばたかせた。
フィアはそんな相棒の顔を見て、穏やかに微笑みながら、言う。
「お前が想うほど、俺は悲観していないよ。
……シストやアネット、アルにも出会えた。
面白くないことも面倒なことももういやだと思うことだってあるが、別にだからと言って騎士であることをやめたいと思ったことはない」
そういいながらフィアは少し迷って、シストの頭に手を置く。
今は座っているから、手が届く。
そのまま彼はくしゃり、とシストの頭をなでてやった。
いつも自分が、されるように。
「だからお前がそんな顔をする必要はない。
ついでに言うなら、守ってやらないと、とかくだらないことを考えるのもやめろよ」
「な……」
フィアの言葉にシストは目を丸くする。
それは流石に頷けない、と彼が言おうとするより先に、フィアはきっぱりといった。
「俺は女であるより先に、騎士だ」
だから、守られる必要なんてない。
自分が守る立場なのだ、とフィアはいう。
シストはそれを聞いてぱちぱちと瞬きをする。
それから、ふっと苦笑を漏らして、いった。
「普通逆だろう、馬鹿」
騎士であるより先にお前は女だ、馬鹿。
シストはそういって笑う。
フィアは彼の発言に顰め面をして、いった。
「馬鹿はお前だシスト。
……まったく、下らん事を気にしてる暇があるなら剣術の練習に付き合え」
しごいてやる。
フィアはそういいながら立ち上がる。
挑発するような蒼の瞳。
それをみてシストは笑う。
そして腰の剣に手を添えながら、立ち上がった。
「久しぶりだしな……良いよ、やろう」
今なら訓練場も誰もいないだろう。
呟くようにそういうシストの姿に、フィアは小さく笑ったのだった。
―― Preparedness ――
(ずっと覚悟は決めていた。
それでも時折悲しくなったことは確かに違いないけれど…)
(それでも俺は強くありたかったから。
強さを、求めていたのだから…)