淡い月明かりが降り注ぐ。
今日の月は細くて、光は弱い。
カーテンを全開にしていても、入ってくる光はごく僅かで、ベッドに組み敷いた相手の顔はよく見えなかった。
よく見えない中でも、よくわかる。
いつもより幾分紅潮した頬。
涙に濡れた、オリーブ色の瞳。
まじまじと相手のことを見つめたのは久しぶりだ。
そう思いながら鮮やかな桃色の髪の少年は笑みを浮かべた。
「寂しかったですか、私が居なくて」
そう囁くと、相手はくすり、と笑みをこぼした。
"当然でしょう?"と掠れたような声で相手は言う。
「ずっと待っていたのに、貴方は来ないんだもの」
「すみませんね、しかしいつも、貴方を思っていましたよ」
口から零れる戯言を、相手は嬉しそうに受け取る。
目を閉じるその頬に口づけた少年……ライシスはするりと、その華奢な腰に手を這わせた。
ぴくりと体が跳ねる。
淡い吐息が耳を擽り、ライシス自身の体も昂ぶる。
こういった状況は、大好きだった。
薄暗い、街の一角の宿。
防音設備など一切ないこの場所で派手に声を上げれば、翌朝の冷たい視線は避けられまい。
それは相手もわかっているのだろう。
必死に嬌声を噛み殺している様子だった。
しかしその様がかえってセクシーであることを、自身は自覚しているのだろうか?
そしてそんなある種反抗的とも取れそうな態度が獣(ライシス)を一層煽っていることに気がついているだろうか?
「いつまでその我慢も続きますかね?」
ライシスがそう呟きつつ色の白い首筋に歯を立てれば、甘い声がその喉から洩れた。
はしたないですね、と囁いてみせれば相手はフルフルと首を振って、恥じらって見せる。
しかし体の方は正直なもので、とっくに彼に全てを委ねている。
ライシス、と相手は甘い声で名を紡いだ。
するりと背に腕が回される。
爪が背に食い込んで、痛みを感じた。
自分に依存し始めた様子の相手。
―― あぁ、これは面白くなくなってきたな。
そう思いながらライシスは目を細める。
自身がかき抱いているこの小柄な相手との逢瀬も今日で終わりにしなくてはな、などと思いながら彼は小さく溜息を吐き出した。
元々好色な性格のライシスではあるが、別に相手が誰でもいいというわけではない。
否、誰でもいいというのはその通りなのだけれど、選ぶ相手にも幾分条件はあった。
男でも女でも関係ない。
しかし容姿が美しいことは勿論、ある程度の教養も欲しいと思っていた。
後は……
簡単におとせる相手には、興味が無い。
逆に言えば、自分を拒絶する相手ほどおとし甲斐があると思い、手に入れたいと思う。
そして手に入ってしまえば……それはもう、必要ないと思ってしまうのだ。
自分自身でも悪癖であるとは思っている。
しかし現在の生活に満足しているし……
そのための、強い力も手に入れた。
―― やめるつもりは、ないのですよね。
心の中でそう思いながら、ライシスは甘い吐息を漏らしたのだった。
***
「本当に御主人は悪趣味だねぇ」
聞こえた声に、ライシスは顔を上げる。
先刻まで居た宿を後にして、一人真っ暗な、真夜中の街に出てきていた。
淡い月明かりだけが彼を照らす。
「悪趣味?
ちょうど良いでしょう、東方では今日はタナバタとか言うイベント……
一年に一度、あの星の彼方の姫君と婿君があうことが出来る日だとか……
そんな日に別れを告げるなんて、ある意味ロマンティックではありませんか?」
またいつか逢えるかもしれない。
そう思いながらあの人は私を思い出すのかもしれませんね。
そういいながら少年は笑う。
それから、からかうような口調で付け足すように言った。
「それより……姿を消したまま主人に声をかけるとは、不敬では?」
冗談交じりの声でそういうと、くすと笑う声がすぐ耳元で聞こえた。
刹那、強い魔力が体を取り巻き、するりと体を抱き寄せられる。
気が付けば、ライシスは華奢でしなやかな男性の腕の中にいた。
「それは失礼、我が主。
で?いいの?あの人は一人、宿に放置で」
「いいんですよ。ちゃんとお金は置いてきました」
手に入ってしまったものに興味はありませんから。
呟くようにそういうライシス。
そんな彼を抱き寄せていた黒髪の青年はふっと笑みをうかべて、"流石だね"と呟いた。
そんな青年の背には、大きな黒い翼。
それが悪魔の翼であることは、誰が見ても顕著なことで……――
その悪魔は、ライシスのものだった。
正式に言えば、契約を交わした相手……
恋人とは違う、単なる契約関係。
それはライシスにとって気楽なものであり、気楽に悪魔と契約を交わすという状況はスリリングで、ライシスにとっては面白いものでもあったのだ。
「それでヘイル、どうして今こんなことを?」
そういいながら眉を吊り上げると、ヘイルと呼ばれた悪魔はするりとそんなライシスの頬を撫でた。
彼はくす、と笑いつつ、そんな彼の耳元に甘く囁くように言う。
「理由がないと美しい主人に声をかけてはいけないのかい?」
「貴方は本当に口が回りますねぇ……一体何が目的ですか?」
ふわ、と笑いつつライシスはそんな悪魔の瞳を見つめる。
色っぽい視線。
それに笑みをこぼした悪魔は"わかっている癖に"といいながら、ライシスの耳に軽く口づけた。
―― お望みとあらば……
「ん……っ」
甘い、吐息を漏らす。
そのまま悪魔の腕に身を委ね、その背の翼を緩く撫でる。
彼の手つきは相当慣れたもので、撫でられている悪魔も心地よさそうに目を細めた。
悪魔にとっても好ましいと思ってしまう、この少年の気質。
好色で淫蕩で、移り気で我儘な、子供のような大人のような少年。
だからこそ、こうして契約を持ちかけた。
この少年にくっついていれば、悪魔として好ましいものがたくさん見られると。
例えば、色欲にふける人間のみっともない姿だとか。
例えば、信じた人の愛が偽りであったことに気がつき涙する姿だとか。
或いは、同じように騙されたと気がついても悲しみでなく怒りをその目に湛える姿だとか……――
―― これだから、人間というものは面白い。
そう思いながら悪魔は嗤い、主人の耳元に囁く。
"外で抱く趣味はないのだけれど"と、冗談めかして。
そんな悪魔の誘いに少しも動揺した様子なく微笑む少年は、どこか愉快そうに、満足そうにさえ見えた。
星が煌めく。
ふたつの影はその下で一つに重なり、闇に溶け込んでいった。
―― Milky-way ――
(ミルキーウェイ、なんて可愛らしい名前を付けて。
その下でこうして重ねられる逢瀬が、私は嫌いではないのですよ)
(温もりを求める相手なんて、誰でも構いはしない。
気持ち良ければ良いでしょう、互いの利益になるのなら良いでしょう?)